NO. 638 主にきくこと(2)


”テキスト:ルカ10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」”

本日は主にきくこと(2)として、さらにこのことを見ていきたいと思います。

かつて私達は、サウルの箇所で、

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」といわれたことを学びました。聞き従うことは、いけにえ、すなわち、奉仕にまさると語られたことは、
旧約新約を問わず、聖書の一貫した教えであり、新約でも同じことがいわれています。
上記テキストはまさにその箇所です。ここから、学びましょう。
テキストに沿って見ます。

”38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。”

マルタ、マリヤは2人の姉妹ですが、彼女達は聞くこと、従うことに関して、
対照的な立場にいます。

マルタは奉仕すなわち、サウルでいういけにえをささげる、良いいけにえをささげることに
力を入れるタイプです。しかし、この方法には、みこころがありませんでした。
「聞き従うことは、いけにえにまさり」といわれているからです。
 
 

ポイントが高く主に喜ばれる歩みをしたのは、マリヤの方です。
彼女は、主のほうむりの前に油を注いでいます。まさに絶好のタイミングでなすべきことをしているのです。また、復活の主に初めて会ったのもこのマリヤです。特別なポイント、タイミング、
重要な時に彼女は余人に代えられない行いをしています。彼女の成功の秘けつは何でしょうか?


39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。”

マリヤの原点、ポイント、特徴は、主の足もとにすわること、そのことばに聞き入ることでした。
主が何をいっているのか、静かに座り、じっと動かず、耳を傾け、きいていたのです。
このことが賞賛されたのです。

さて、このこと、マリヤのしていることは、一見とても良いことのようには
見えません。それより、よっぽど、一生懸命奉仕しているマルタの方が
良い奉仕者に見えるのです。
しかし、主はマリヤを賞賛されました。このことに何かがあることを知るべきです。

今はどんな時代なのかというと、じっと主の足もとにすわって、そのみことばに聞き入ることの
ない時代であることを知るべきです。

クリスチャンたちは忙しく歩き、もしくは走り回り何ごとか、忙しく奉仕しているのですが、
肝心な主が何をいっているのか、あまり聞いているように思えません。

主が何をいっているのか、聞くためにはまず今の時代、主のみことば、聖書を読むべきですが、
そもそも聖書をあまり読んでいないようです。

ろくに聖書を読んでいないため、異端的な教えにころっとだまされてしまいます。
たとえば、1830年頃イエズス会の異端教師、プリマスブラザレン系のJNダービーが
聖書に一度しか書かれていないキリストの再臨をもう一度付け加え、2段階
携挙説などというとんでもない異端教理を
提唱しました。

マーガレットマグドナルドとかいう女性霊媒の見た幻がきっかけで、この異端教理は
アメリカで大いに発展したそうです。

しかしこれはつけ加えてはならないと厳命された聖書につけ加えたとんでも異端教理です。

しかし、あまり聖書を読むことのない、すなわち主の足もとで聞くことのない
愚かなクリスチャン達は、実際には聖書に書かれていないバーチヤル、架空、
空想、偽りの2度目の再臨というよた話に引き込まれ、愚かにも、
終末の備えを崩され、油断させられています。

彼らの問題は主のみことばにじっと聞き入ることがないからです。

もう一つ、聞くことに関しては、何に関しても主に聞くことを優先すべきということです。
主に聞くなんていっても神様は目に見えないし、声も聞こえないから、
確認しようがない、という意見があるかもしれませんが、そのように不信仰に
ならず、聞くことを習慣化すべきです。
 

旧約の時代、聖徒達は主に聞いて自分の歩みを定めました。たとえば、
以下のダビデがそうです。

”1サムエル23:9 ダビデはサウルが自分に害を加えようとしているのを知り、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」
10 そしてダビデは言った。「イスラエルの神、主よ。あなたのしもべは、サウルがケイラに来て、私のことで、この町を破壊しようとしていることを確かに聞きました。
11 ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、あなたのしもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。」主は仰せられた。「彼は下って来る。」
12 ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」主は仰せられた。「彼らは引き渡す。」

この時の前にダビデはケイラの町を敵の手から救っていました。ですから、
普通に考えれば、恩のあるダビデを町の人々が裏切るはずはないと思えるのですが、
そうであっても正しく未来を知るのは神御自身なので、ダビデは神にきいたのです。
結果、思いもかけず、町の人々がダビデを裏切ると神は語られました。そして、その通り、
町の人々は後にダビデに対して行ったのです。

ですから、神に聞くことは大事です。
何故なら、人知にまさる正しい未来、正しい道は神にのみあるからです。

ダビデはこのようにいつも神にきいて自分の歩みを歩んでいました。
結果、彼の歩みは、非常に成功したもの、祝福されたものとなったのです。

主御自身も父なる神にいつも聞いていたのです。また、
弟子達も主に聞き、聖霊に聞いて歩んでいたのです。
 

”40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」”
 

さて、このように主に聞くことを優先しているマリヤに対して、マルタはおさまりません。
こんなに奉仕し、いけにえを捧げ、神の前に急がしい、自分に比べ、マリヤは何一つ
奉仕ももてなしもしてないように思える。こんなことで良いとはとてもマルタには
思えなかったのです。

”41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」”

主はこういわれています。なすべき多くのこと、
心配すべき多くのことがあるようだが、本当に大事なことはたった一つだけであるといわれているのです。

多くの奉仕があり、多くの参加すべき聖会があり、歩みがあるようですが、
本当に大事なことは一つだけだといわれているのです。

そしてそのもっとも大事なことをマリヤは選びとったのだから、それを取り上げてはいけない、
そういわれているのです。
 

そのもっとも大事なことは何かというと、
まず主のみもとに座り、主のいわれたことをじっと聞くということなのです。

話半分しか聞かず、お使いに行く子供は間違った、買い物をしてきます。
まともに主に聞かず、奉仕を始める人は、主のみこころとだいぶ外れた奉仕を行うようになるのです。
あのサウル王がそうでした。彼は主の命じたことを話半分でしか聞かず、アマレクを絶滅せよとの
命を完全には実行しなかったのです。
 
 

私達も及ばずながら、このこと、主にきくことを努めたいと志しているのです。私達が、
主に聞き、終末のみことばを改めて見た時、思い掛けないことがわかってきました。
すなわち、キリスト教会の常識と異なり、
艱難前携挙説は誤り、また、終末の日の裁きとは何と神のことばに従わない、
神の民への裁きであることがわかってきたのです。

これらは私達の常識、思い込みを覆すものですが、しかし、主のいわれることが
もっとも正しいのです。
私達も多くの奉仕を行う前にまず、主に聞きました。そうです、このことを優先しましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

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