No. 632 不思議な預言


”テキスト:ヨハネ11:47 そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。
48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」
49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。
50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。”

本日は不思議な預言という題で、メッセージをしたいと思います。

まず、預言と言うことばに関してですが、預言と言う聖霊のたまものを
御存知ですか?

預言と言う言葉の原語の意味は「前もって語る」という意味合いです。
旧約の預言者達は未来に起こることをみな、前もって語りました。
 

聖霊によって、未来のことを語るということはあり得るのです。
このことは、旧約のことだけでなく、新約においても、御霊のたまもの、預言のたまものを
求めることは奨励されています。以下の通りです。

”1コリント14:1愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。”

御霊のたまものを求めることは、新約のクリスチャンに対して奨励されており、特に預言のたまものを
求めることは、大いに奨励されているのです。

このことを念頭に起き、テキストに沿って見ていきたいと思います。
 

”47 そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。
48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」”
 

この時、「祭司長とパリサイ人たち」は、イエスの働きに恐れをもっていました。
多くの人がイエスを信じ、結果として、ろくなことにならないと彼らは思ったのです。

これから、このイエスという人の働きはどんな風に進むのでしょう?
ますます彼の働きは進んでいずれ、全イスラエルを席巻するようになるのでしょうか?

”49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。
50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」”

しかし、この時、適切に未来を語る人が現れました。
それは、「彼らのうちのひとりで」かつ大祭司であるカヤパでした。
彼は何と、「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びない」という福音の中心的な
部分を語ったのです。
これは、多くの人の為に身替わりとしてあがないのために命を捨てた神の子イエスの働きのもっとも中心部分です。

”51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。”
 

さて、このような預言をしたカヤパですが、彼がそう語った理由は、
彼の洞察力が鋭かったからではありません。
そうではなくて、神からの預言だったのです。
 

しかし、このことは驚くべきこと、また我々にとって、理解不能なことです。
何故、敵の大将みたいな人物、キリスト殺しの頭目みたいな人物に神からの霊が下り、正しい預言をしたのかどう考えてもわからないのです。

ここで、とりあえず、理解できるのは、神はたとえ、みこころからずれた人に
対しても預言の霊を下すと言うことです。しかし、その預言を本人が、また聞く者が正しく適用するか、
活用するかはまた別の問題ということです。

何故なら以下の様に書かれているからです。

”53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。”
 

あろうことか、この預言を契機に彼らはイエス殺しに進み、王殺しの
大罪に加担するようになったのです。

その結果、彼らはどうなるのか?
王殺し、キリスト殺しの罪を負うようになったのです。

そして、カヤパが預言したイエスの死の効用、すなわち、あがないの死ということが、
彼らに適用されたのかどうか、これは疑問です。

むしろ彼らはあがないを拒んだ者たち、救い主を殺した者として裁かれたと思った方が妥当でしょう。
 

結論として、この預言は彼らにとって、何の益ももたらさない、むしろ罪を倍加させる
役にしか立たなかったということができるかもしれません。

慄然とし、また考えさせる事柄です。

ここで学ぶべきことは何でしょう。一つは神のたまもの、預言は、人に限定されず、
ある意味、語っている人が全てを理解していないことさえ、預言として与えられるということがわかるのです。
このカヤパの様に、救いの全貌もイエスの真の役割も、理解していない人にも神の
大切な預言が与えられることはあり得るのです。

カヤパは結局は、イエスを十字架につける行動の急先鋒として、活躍し、
このことを進めたのです。
彼はこの後、どうなったのでしょう。やはり、キリスト殺し、王殺しの罪を神の前に問われるようになったのでしょう。

ですから、この預言が与えられたことは、必ずしも彼にとって、益とはならなかったのです。

かくのごとく、預言という御霊のたまものの不思議さを見ます。
全てを理解しているのは神御自身であり、
私達はある意味、それに用いられる器に過ぎないかのようです。

神を恐れましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
  -----------------------------7d8441230122 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream