NO. 627サウルとサムエルに従って戦いに出る

”一サムエル11:1 その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」
2 そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」
3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」
4 使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。
5 そこへ、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、どうしたのですか。」そこで、みなが、ヤベシュの人々のことを彼に話した。
6 サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。
7 彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。”

本日は、「サウルとサムエルに従って戦いに出る」という題でメッセージをします。
 

テキストに従って見ていきます。

”1 その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」
2 そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」”

アモン人ナハシュはイスラエルの民に対して戦いを挑もうとし、また、そしりを与えようとしました。
このようなことは今でもよくあることであり、今のイスラエル、クリスチャンの歩みもまた、
多くの敵との戦いなのです。
 

”3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」
4 使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。
5 そこへ、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、どうしたのですか。」そこで、みなが、ヤベシュの人々のことを彼に話した。
6 サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。”

そのことを聞いた、イスラエルの王、サウルに、神の霊が下り、彼の怒りが燃え上がりました。
神の霊により怒るということはあるのです。
 

"

7 彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。”
 

さて、この日サウルは神の霊により、憤り、そして全イスラエルに対して、「サウルとサムエルとに従って出て」来ることを命じました。そして民は、「主を恐れて、いっせいに出て来た」ことが書かれています。

このことを考えてみたいのです。
この箇所は明らかに神の民の戦いに関する原則を書いていると理解できます。
いっせいに出てきたとのことばは注によれば、「一人の人のように」出てきたという
意味合いだそうです。

ですから、神の民は戦いがあったなら、異論や、反論や不参加はあるべきではないのです。逆に
一人の人のように、心をひとつにし、行動をひとつにし、戦いに参加すべきなのです。
 

逆に異を唱えたり、さぼったり、参加しないなら、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」とのことばどおり、体から切り分けられ、切り離されてしまうのです。
切り分けられた牛のからだの
たとえの意味合いとしては、キリストの体なる教会から離れ、受くべき恵みから外されていくクリスチャン:そんな
意味あいでしょうか。

今の教会、キリストの体なる教会は、あらゆる攻撃を受けています。
いわく、2段階携挙説を始めとする終末異端教理、はたまた、聖書かいざんの
偽り、また悪霊リバイバルの浸透などです。

これらの敵に対して、主が反撃を命じたのなら、教会のメンバーは誰も彼も
戦いに出陣すべきなのです。静観したり、他人ごとと乙に構えているべきではありません。

傍観者、中立者などは、ありえないのです。
主もいわれなかったでしょうか、わたしとともに集めないものは、散らすものであると。

持ち場立場で、戦うべきであり、たとえ、一刀であっても敵に斬り付けるべきです。
もし、「「サウルとサムエルとに従って出て」こないなら、
その牛、クリスチャンは切られ、切り離される、頭なるキリストから切り離される、
そのことを知りましょう。

私はこのようにいいます。
2段階携挙説、エキュメニカル、悪霊リバイバル、多くの戦いに関して、
すでに主からの出陣の命は下っています。「サウルとサムエルに従って戦いに出る」ことに
ポイントがあります。

.

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー  セミナーのお知らせ -----------------------------7d8178b902a2 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream