本日は、「王のわざわい(2)」として、さらに黙示録から見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。
”13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。”
終末の日の問題、災いは汚れた霊、悪霊が教会を席巻することです。
この悪霊はすでにベニーヒン等多くの怪しい器を通して下されているのですが、
しかし人々が理解することはありません。
木はその実によって知られるとのことばどおり、不倫、離婚のレークランドの使徒を始め、
悪い実を結ぶ多くの怪しい人々が現れているのですが、
聖書のことばなんてまともに考えない愚かなクリスチャンは、それを見分けることはありません。
”14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。”
さて、ここでは、悪霊が全世界の王のところへ出ていくこと、彼らを惑わすことが書かれています。
この王とは、たとえであり、各国の王や元首のことをさすわけではありません。
旧約時代の王といえば、ダビデ、ソロモンの様に神の国を治める人々ですが、
これはまた新約の神の国を治める教会の指導者、教団監督等をあらわすたとえと理解できます。
新約の王とは、すなわちこれらの教会指導者のことなのです。
かつてサムエルの時、神の国を治める王についてこういわれました。
”1サムエル8:
7 主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。”
神の民の国、すなわち神の国を治める真の王は目に見えない神御自身なのです。
人の王を立てるということは現に統治されている方に対する公然たる侮辱、
反抗なのです。
旧約の神の民はそうであってもなおかつ執拗に人の王を求め、結果彼らは、
混乱と敗北と捕囚の中へ入っていきました。
王が何代もこの国を治めた結果どうなったのかというと、
神の民の国はますます、混乱と不信と堕落の中に入り、最後は全く別の国へ捕らえ移されてしまった、
約束の国から追い出されてしまったのです。
人の支配、治世は、あてにならない、これが旧約の結論なのです。
新約の神の民はその失敗から学んだかというとそうでもなく、結局は人を王の立場に置き、結果、
新約の神の民の国、教会も年とともに、
堕落、不信、反抗をかさね、終末の時には、全く別のものとなっていくのです。
それが、上記節に書いてあることであり、王は悪霊に惑わされて戦いに出ていくのです。
王一人が惑わされて出ていくなら、大きな被害はないのですが、キリスト教会の王、すなわちローマ法皇、プロテスタント各派の監督、理事、リーダー等は単独で存在しているのではなく、
その後ろに多くの教会員を擁し、それらの大人数が惑わされて主なる方との戦いに
巻き込まれていくのです。
かつての日、祭司長、律法学者達、長老達、すなわち、神の民の王の位置に座する人々がみな、キリストへ
悪意をむき出しにして逆らい、結果すべての民衆も滅びました。同じことの再現がこの日あるのです。
”16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。”
ハルマゲドンとは、群集の丘という意味合いです。
多くの群集が、神とキリストに対して戦いをいどみ、逆らっていくようになるでしょう。
あの日、多くの群集がイエスを「十字架につけろ」と叫んだ日が再現するわけです。
まとめますが、終末の日、キリスト教会の多くのことがらが不正常になり、道を外しおかしくなります。
真の王である方、神であるキリストを教会の王として迎えるという面でもおかしくなります。
人を王として迎え、結果、とんでもないところへ全教会は進むのです。
今のキリスト教会では多くの協議会やら、会議、集まりがもたれ、超教派の大きな集まりがもたれています。皆が集まって話しあうので、良い結論が出て、良い方向へ行くと思いますか?
皮肉なことをいうようですが、そんなことは聖書的には決してありません。
これらの集まりはいずれ、うまく惑わされ、最終的には全教会が反キリストを拝むようになるでしょう。
この方、キリストを真の王として迎え入れる人に助けと祝福があります。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー セミナーのお知らせ