NO.622 安息日と天地


”テキスト:出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「
11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。”

本日は、安息日と天地と言う題でメッセージをします。
安息日には「何の仕事もしてはならない」とは旧約時代の重要な律法です。
このことのたとえの意味合いを見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ます。

”8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。”

安息日は、聖なる日とするべきことが命じられています。
何故か?それは、安息日、7日目、すなわち、7つ目のミレニアムが冒涜の
時となるからです。

あらゆる形の教理の変節、ゴリ押し、かいざんが許される時、それが、今のミレニアムなのです。
 

”9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。”

全ての仕事は6日間になされるべきこと、7日目には、仕事をしてはいけないことが
ここでは、描かれています。しかし、それでは、仕事とは何をさすのでしょうか?

”10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「”

全ての人が仕事をしてはならないことが描かれています。
息子、娘すなわち、新たに信者になった人も仕事をすべきではないのです。
また、男奴隷、女奴隷すなわち罪のある人もそうでない人も仕事をすべきではないのです。
しかし、何の仕事に関していっているのか?


11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。”
 

さて、ここで仕事の内容に関して示唆を与えるような記述があります。
ここには、主が天と地と海を造られたことが7日目に休むことと対比して書かれています。
ですから、明らかに聖書は、仕事として、天地、海を造ることを念頭に語っていることがわかるのです。
では天地とは?
 
 

天地は、アブラハムの子孫、星や砂の住むところとして、教会のたとえです。また、海も
水にたとえられる聖霊の住まいとして教会のたとえです。

聖書は、天地は、6日間に造られたと述べます。すなわち、教会完成のわざ、
神が教会に関して持っていた計画は、すべて6日間の間、すなわち6つのミレニアムの間に
完成したと神は語るのです。

そして、7日目になったら、すなわち7つ目のミレニアムになったのなら、
もう教会完成とか、教会変革とか、建築とかのわざ、仕事をなしてはいけないと聖書は
語るのです。
そう厳命されているのです。
 

ここで思い出すべきなのはあの第三の波系の怪しい面々、ピーターワグナーを始めとし
た人々が、トランスフォーメーション、パラダイムシフトなど、新しい教会の
創造をめざしていることです。
彼はルターの宗教改革以上の大きな教会変革がこのミレニアムに起きるとして、
恐れげもなくこのミレニアムに教会改造、創造すなわち天地を造る仕事を
始めようとしているのです。
 

そうです、彼らはなんとこの7日目に新しい天、新しい地を作り出そうとしているのです。
彼らの教えを軽んじてはいけません。彼らの教えこそ、かねてから、
聖書に預言されている安息日に天地を造る働きなのです。

そのようなわけで私達は正しく正しく時を知るべきです。
多くの終末の預言は今、成就しつつありますが、しかし、それとともに、
この預言、安息日に仕事をする、天地を造る仕事をするということまで、
私達の目の前で成就しつつあるのです。

私達は、神の十戒に関して、さらにその中の安息日の戒めに関して
よくよく理解すべきです。旧約の時代、神の十戒は守るべき大事な
教えであり、また安息日の戒めも守るべきものでした。

今は新約の時代、終末の時代であり、旧約の戒めである安息日の教えは
我々と何の関係もないかのように思えます。
しかし、実際は関係があり、大きな意味合い、重要な意味合いがあるのです。
それは、天地を造ることと関係があり、すなわち、教会形成、新たに教会を造り、
変質させることと関係があるのです。
 

今、しきりにトランスフオーメーション(教会変革)とか、パラダイムシフト(軸変換)などと
いっている人々を軽視すべきではありません。
彼らのしていることを一過性のこと、いずれ消え去る愚かな試みなどと馬鹿にしてはいけません。
逆にかねてから、聖書で警告されていたその教会変質の時代にまさに
我々は入りつつあるということを正しく知るべきなのです。
 

おおくの人々がこれらの偽りの運動に荷担し、教会ならぬものへと惑わされていくのでしょうが、
しかし、私達にあっては、この方のことばにとどまりましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
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