NO. 621荒野

テキスト:

”黙示録12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。
7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」
13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。
14 しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
15 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
16 しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
18 そして、彼は海ベの砂の上に立った。”

本日は、荒野という題でメッセージしたいと思います。
上記テキストには、黙示録の日に女が「自分の場所である荒野に飛んで行」ったことが
描かれています。このことの意味合いを見ていきたいと思います。
 

テキストに沿って見ます。

”1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。”

この12の星、太陽、月の記述はイスラエル(ヤコブ)の息子、ヨセフの見た夢と類似しています。
旧約のヨセフの見た、12の麦、星は、イスラエルの12の息子をあらわすものでした。ですから、この箇所の12の星も新約のイスラエルである、12弟子の子孫、信仰の子孫を現すと理解できます。
ですから、この女は、新約のイスラエル、教会であると理解できます。


2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。”

産みの苦しみとは以下のことばと関係があります。
 

”マタイ24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。”
 
 

産みの苦しみとは、すなわち迫害のことです。しかし、もう一つの意味合いがあり、
それは、産みの苦しみを通して出産、すなわち男の子を産むようになるということです。
男の子は、かつての日、サタン、蛇に一敗地にまみれた女のリベンジ、
女のすえと関係があります。
希望の男の子が生まれるとの預言の最初の成就は主イエスの誕生の日であり、
その終わりの日の成就は、終末の男の子、勝利者がうまれる日のことです。
 

”3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。”
 

この赤い竜とは恐竜、動物、獣の一種であり、かつて現存した生き物です。
これは、終末に荒し回る国をあらわします。
ダニエル書7章の3つの獣、獅子、熊、ひょうがそれぞれ、バビロン、メデイアペルシャ、
ギリシャをあらわすのと同じです。この章の中で、4つ目の国はただ、獣とのみ記されていますが、
その名前が黙示録に記されており、具体的にはここでいう竜、恐竜なのです。
獅子も熊もひょうも強いどうもうで強い獣ですが、しかし、何といっても、竜、恐竜には、かないません。
ですから、終末の日に人類の歴史において最強の国が登場するのです。それは、
まぎれもなくアメリカであり、多くの歴史家は口をそろえて、アメリカこそ、史上最強の
帝国であることを語ります。

”また、別のしるしが天に現われた。”

天とは「我らの国籍は天である」と書かれたみこころの民が住むところです。
そこに竜のしるしが起きます。彼らへの攻撃が起きたのです。

いわんとしていることは、アメリカこそ、天に座するはずのクリスチャン攻撃のために
悪魔が特別に立てた獣の国であるということなのです。
アメリカで起きているあらゆるおかしなキリスト教ムーブメントをあなどってはいけません。
これらは相まって多くのクリスチャンの永遠の命を奪うために効果的に働くからです。

クリスチャンをたくみに惑わすために、あらゆる種類の偽りの教理、聖書改ざん、
教団把握が行われています。いずれ、政治的、法律的圧力が
この国を起点に全世界のクリスチャンに加えられるようになります。

”4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。

竜の尾により、天の星の三分の一が地上に落とされることが書かれています。
尾に関してイザヤ書はこう語ります。
 
 

イザヤ9:15「そのかしらとは、長老や身分の高い者。その尾とは、偽りを教える預言者。」

従って、偽預言者の惑わしに惑わされ、地上に落ちる、
この世的なクリスチャンになる、そう理解できます。
そのようなクリスチャンが、全教会の三分の一いるわけです。
この男の子、すなわち、勝利者が、あらわれるやいなや、殺そうという竜すなわち、
獣の国の計画があります。具体的には、獣の国アメリカ主導で、
カルト取り締まりの法律が制定されるということでしょうか。

”5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。”
 

男の子すなわち勝利者達は、殉教します。
それは、「神のみもと、その御座に引き上げられた」という表現から、理解できます。
かつての日、2000年前、マリヤから生まれた男の子、キリストも公生涯を終え、
「神のみもと、その御座に引き上げ」られました。同じことが
再度終末に再現するわけです。
 


6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。”

さて、この箇所ですが、女が荒野に逃げることが書かれています。この「荒野」とはどう理解すべきなのでしょうか。

以下の箇所がこのことの理解を助けるかも知れません。


 

ヨハネ11:
53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。
54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町にはいり、弟子たちとともにそこに滞在された。”

この日、イエスは ユダヤ人達に命を狙われました。
それで、エルサレムの都を出て、荒野へ行ったのです。
ですから、明らかに荒野は、都の外と理解できます。
今でいうなら、都、教会、教団の外へ出ることを語っているのです。

ですから、今迄何度も書いたことですが、終末の日に私達が気をつけなければいけない
大きなことは、都を出る、教団、教会を出る日のことです。教団を出る、教会を出る
こんなことばは、今までの教会の常識では、決していってはいけないことばなのですが、
しかし明らかに聖書が語ることなので、繰り返したいのです。

聖書は繰り返し繰り返しこのことを語ります。たとえば、仮庵の祭り自体がそうです。
家の中でなく、その屋上に仮の庵を作れとは明らかに教団、教会を出て、地下教会を作れとの
教えなのです。畑にいる者は上着をとろうと家に入るなとの教えもそうです。
 
 

逆に家、都の中にとどまる人は災いを受けます。
以下のことばはそれを暗示します。

”ルカ21:21そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。”
 

また、あのソドム、ゴモラの日、義人ロトの一家が都から、出ていったことも、
このことを語ります。彼らは荒野へ出ていき、都には裁きの火が下ったのです。

「そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。」

これがどのような場所かわかりません。具体的には地下教会なのかもしれません。
しかし、この千二百六十日の間、すなわち終末の大艱難の日々、神はその場所を用意すると書かれているので、私達はそれを信じたいと思います。

”7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」
13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。”

男の子すなわち、勝利者、殉教者を生んだ女すなわち、教会は竜、サタンにおいかけられます。迫害があるのです。
 

”14 しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。”
 

女は、教会です。主につく教会です。この教会にとって、
自分の場所は、荒野であることが書かれています。
ですから、終末の日、特に艱難時代に入った時、我々にとって、聖書的に
あるべき妥当な場所、いるべき位置は、都の外、すなわち、正統派の教会の
外にあること、具体的には、地下教会に属す、それが、あるべき姿であることを
知ってください。

大わしのつばさとは何でしょう。鷲やら、鳩などの鳥は、聖霊のたとえです。
鳩はふわふわと空から降りてきますが、聖霊の臨在も上からきます。
ですから、今の私の理解では、大わしの翼とはこの教会が聖霊によって、養われると考えます。
 

世の終わりにあって大きな問題は、霊的な問題であり、聖霊の助けを受ける人は
永遠の命を受けるでしょう。

”一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。”

みことばのききん、艱難の時は、3年半続くのですが、しかし、主にある人々は、
荒野すなわち、地下教会で養われます。
 

”15 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
16 しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。”

ここでは、大水で女が流されそうになることが描かれています。この水は、
ノアの洪水の水に該当し、すなわち、悪霊の洪水の事です。
ですから、大わし、すなわち聖霊の助けにある教会は、大水すなわち、悪霊の大洪水にも耐えるのです。
都すなわち、正統派教会各派は、悪霊の洪水で全滅するが、そこを追い出され、荒野へ行った
小数の主につく人々は、この洪水から守られるのです。ですから、
終末の日のキーワードは分離であり、地下教会です。
 

”17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
18 そして、彼は海ベの砂の上に立った。”

ここで終末の日、永遠の命をかけた最後の戦いが始まります。
具体的には、獣の国、アメリカを中心にした、カルトしめつけ、排他、強制改宗、
恫喝が行われるでしょう。ダニエル書に書かれているような
パターンの迫害が起きるのです。
像(反キリスト)を拝まないといっては、火に投げ込むぞと脅されたり、
王に祈らないといっては、ライオンの穴に投げ込まれそうになるのです。しかし、
もし、みなさんがこの日まで生きていたら、このことを覚えてください。
この迫害はどんなに続いても3年半であり、その日があけたら、
必ず、再臨の主が来られることをです。
 

終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー
 
 
 
 
 
  -----------------------------7d8374f10326 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream