NO. 620よこしまな祭司(2)

”テキスト:1サムエル2:
27 そのころ、神の人がエリのところに来て、彼に言った。「主はこう仰せられる。あなたの父の家がエジプトでパロの家の奴隷であったとき、わたしは、この身を明らかに彼らに示したではないか。
28 また、イスラエルの全部族から、その家を選び、わたしの祭司とし、わたしの祭壇に上り、香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエル人のすべての火によるささげ物を、あなたの父の家に与えた。
29 なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。
30 それゆえ、「「イスラエルの神、主の御告げだ「「あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、「「主の御告げだ「「絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。
31 見よ。わたしがあなたの腕と、あなたの父の家の腕とを切り落とし、あなたの家には年寄りがいなくなる日が近づいている。
32 イスラエルはしあわせにされるのに、あなたはわたしの住む所で敵を見るようになろう。あなたの家には、いつまでも、年寄りがいなくなる。
33 わたしは、ひとりの人をあなたのために、わたしの祭壇から断ち切らない。その人はあなたの目を衰えさせ、あなたの心をやつれさせよう。あなたの家の多くの者はみな、壮年のうちに死ななければならない。
34 あなたのふたりの息子、ホフニとピネハスの身にふりかかることが、あなたへのしるしである。ふたりとも一日のうちに死ぬ。
35 わたしは、わたしの心と思いの中で事を行なう忠実な祭司を、わたしのために起こそう。わたしは彼のために長く続く家を建てよう。彼は、いつまでもわたしに油そそがれた者の前を歩むであろう。
36 あなたの家の生き残った者はみな、賃金とパン一個を求めて彼のところに来ておじぎをし、『どうか、祭司の務めの一つでも私にあてがって、一切れのパンを食べさせてください。』と言おう。」”
 

本日は、よこしまな祭司(2)としてこの件をさらに見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。


27 そのころ、神の人がエリのところに来て、彼に言った。「主はこう仰せられる。あなたの父の家がエジプトでパロの家の奴隷であったとき、わたしは、この身を明らかに彼らに示したではないか。”

ここで神の人が来て、祭司である、エリに神からのことばを語りました。
それは、エリの家の不誠実に関する言葉です。

それは、また、祭司に関わる人の陥りやすい罪に関する言葉です。
ここでいわれていることは、神が「この身を明らかに示した」、すなわち、
神の力をまじかに見ながら、不誠実になる、この問題です。
 

”28 また、イスラエルの全部族から、その家を選び、わたしの祭司とし、わたしの祭壇に上り、香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエル人のすべての火によるささげ物を、あなたの父の家に与えた。”
 

ここでの祭司の問題は、彼らには、主の民の全ての火によるささげものを与えたのに、
しかるにこの祭司たちは、主をないがしろにしたということです。

火は霊のたとえであり、今でいえば、聖霊の火で燃えた信者達の奉仕を祭司たちに与えたということをいっているのです。
現代の祭司の立場にいる人々は、牧師、献身者でしょうから、彼らの罪に関するこの箇所は告発です。
聖霊の火に燃え、奉仕に生きようと志す信者を悪霊男、ベニーヒンの所へ連れていく牧師などは、
この手のよこしまな祭司かもしれません。
 

”29 なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。”

「わたしよりも自分の息子たちを重んじて」とは大きな問題です。
要するに、神への忠実を優先するのかそれとも人間的な親子の情を優先するのかという問題です。
たとえとしては、霊の親子関係すなわち、信者の都合を優先するのか、神のことばを優先するのかということでしょうか。たとえ、信者が一人も来なくなってもそれでも神の語ることを優先することにみこころがあります。

「最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか」

神へのささげものでもって自分達をこやすのは、問題です。
教会へ熱心な信者、信仰的な人々があらわれたとして、それらの
人々を神のためというより、ただ、自分のために奉仕させるようになるなら、牧師、献身者は、問題です。
 
 

”30 それゆえ、「「イスラエルの神、主の御告げだ「「あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、「「主の御告げだ「「絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。”
 

「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」とは非常に意味深いことばです。私達が主に仕えるものであるとして、私達が尊ばれる、軽んじられる、その違いは私達が、
主にどう仕えるかということにかかっているのです。このことは本当です。

ある日本の教団の牧師が軽んじられたということを聞いたことが
あります。そのことに同情しないわけではありませんが、しかし、彼らが神のみことばを軽んじ、
キリストの復活はなかったなどと語っているなら、それは、そのように軽んじられるのはしかたが
ないのかもしれません。主を軽んじる者は軽んじられるのです。
 

”31 見よ。わたしがあなたの腕と、あなたの父の家の腕とを切り落とし、あなたの家には年寄りがいなくなる日が近づいている。
32 イスラエルはしあわせにされるのに、あなたはわたしの住む所で敵を見るようになろう。あなたの家には、いつまでも、年寄りがいなくなる。”

私達が主に仕える職にあり、そうでありながら、この職に対して不忠実なら、
神の住む教会で敵を見るようになるでしょう。
これは、どんな敵なのかわかりません。たとえば、折角教会に招聘されたのに、
役員が頑固で教会を追い出されるとかのことでしょうか。
よくわかりません。

しかし、何はともあれ、不忠実なら、教会で敵を見るようになるのです。


33 わたしは、ひとりの人をあなたのために、わたしの祭壇から断ち切らない。その人はあなたの目を衰えさせ、あなたの心をやつれさせよう。あなたの家の多くの者はみな、壮年のうちに死ななければならない。”
 

ここでは、祭司交代に関して書かれています。神は神の祭壇を守るために、
別の人、エリ一族以外の人を祭司として立てたのです。
具体的には幼子、サムエルを選んだのです。

この祭司の交代劇は主イエスの時にも行われました。
少年イエスは、宮もうでの時、宮にとどまりました。そして、
自分は父の家にいるのだといわれました。
このことは、宮に住んだ幼子、サムエルのことをほうふつさせます。
主イエスこそが、真の祭司であり、不忠実な、当時の祭司、律法学者達は、
その後、神に見捨てられるようになったのです。

真の祭司は、主イエス、また主に従う、ペテロ、ヨハネなどの「ひるがえって幼子の様に」なった人々へと受け継がれていきました。
祭司の交代劇があったのです。

もう一つのことをいいます。主イエスの時に起きたことは、終末の日の型であり、
この交代劇は終末にも再現すると思われます。

すっかり大人ばかりになったキリスト教会、へ理屈、いいわけは多いがなにも神のみこころなど行わない人々に満ちた教会に、幼子の様に主のみこころを行う人々があらわれるでしょう。


34 あなたのふたりの息子、ホフニとピネハスの身にふりかかることが、あなたへのしるしである。ふたりとも一日のうちに死ぬ。”

冒涜の祭司が受けたのは死のさばきであることを知りましょう。
この神のことばは成就し、ふたりの息子、ホフニとピネハスとは、
戦場で一日で死にました。祭司の職とは恐るべき職であり、正しく行わず、冒涜に歩むなら、
命にかかわることであることを知るのです。
この方を恐れましょう。
 
 

”35 わたしは、わたしの心と思いの中で事を行なう忠実な祭司を、わたしのために起こそう。わたしは彼のために長く続く家を建てよう。彼は、いつまでもわたしに油そそがれた者の前を歩むであろう。”

冒涜の祭司、それにとって代わる新しい忠実な祭司についてここでは書かれています。
そして忠実な祭司の家は長く続くことが書かれています。

忠実な祭司とはどのような祭司でしょう?
神のみことばを勝手に都合良く改ざんしない人々です。今で言うなら、勝手にキリストの再臨の
数を増やして2回にしたりしない人々です。2段階携挙説すなわち、艱難前やら、中やらの
嘘に加わらない人々です。

”36 あなたの家の生き残った者はみな、賃金とパン一個を求めて彼のところに来ておじぎをし、『どうか、祭司の務めの一つでも私にあてがって、一切れのパンを食べさせてください。』と言おう。」”
 

不忠実な祭司は職がなくなり、パンに困ることが書かれています。
教会がつぶれ、また、パンがない、すなわちみことばを語ろうにも何のメッセージも
神から与えられないことをさすのかもしれません。
私達が不忠実なら、この方から何のパンも受けることはできません。

繰り返しますが、この方を尊ぶものは尊ばれる、しかし、軽んじる人は軽んじられる、このことを知りましょう。このことは今でも実現する真理です。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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