本日は、「他の所を乗り越えて来る者
」という題でメッセージします。
テキストを見ます。
”1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。”
羊とは何か、羊の囲いとは何なのでしょう?
羊はもちろん、クリスチャンのことをいいます。
私達クリスチャンは、羊にたとえられる非常に弱い存在であると明らかに聖書が語ることを理解してください。羊は非常にかよわい存在で、牧者がいないと何もできません。
同じく我々クリスチャンもキリストがいなければ何もできない存在なのです。
羊は羊の囲いの中に集められ、その中で外敵から守られます。ですから、
囲いは教会のたとえと理解できます。我々クリスチャンは教会の囲い、守りの中で、敵から守られるのです。
「羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です」
さて、ここで門から入らない人々について書かれています。
門から入らないとは何を意味しているのでしょうか?
以下の箇所を見ればわかります。
”
7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。”
門とはこの箇所から、イエスキリストのことであることが解ります。
ですから、門を通らない、他のところを乗り越えてくるとは、
イエスキリストによる救いを語らない人々、それ以外の救いを語る人々なのです。
その代表的な教えは、ものみの塔の教えです。
彼らは、巧妙に聖書をかいざんし、イエスは神でないことを語っています。
この門を通ることを否定しているのです。
それ以外の門の1つはマリヤでしょうか。マリヤへの取り次ぎを祈る、カソリックもまた
他の門を語る教えです。
これらの教えはどういう教えなのでしょうか?
それは、強盗の教え、盗人の教えです。
何故なら、「ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」と書かれているからです。
マザーテレサは、キリストと共同のあがない主、マリヤなどという教えを
吹聴していた、異端の教えの人です。
このことばでいう、他の所を乗り越えることを推賞していた人なのです。
このことは問題です。
私達は主から「然りは然り、否は否とせよ、それに過ぐるは悪より出ずるなり」と
教えられています。それで、白黒はっきりさせるように努めているのです。
彼女の教えは、白か黒かといえば、黒であり、聖書的か聖書的でないかいえば、聖書的ではないのです。
白か黒、私達は、それ以外の答えを語ることはできません。
「ヒンズー教徒はヒンズー教徒のまま死ぬべきである」すなわち、真の門より、
他の門を超えることを支持する彼女の教えは盗人、強盗の教えなのです。
偽善者となり、間違えてはいけません。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー