No.616打ち場に下る

テキスト:ルツ3:1 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。
2 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。
3 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。”

本日は、「打ち場に下る」という題で、メッセージをします。
テキストに沿って見ます。

”1 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。”

この箇所は、ルツ記であり、これは、しゅうとめナオミからルツへのことばです。
彼女は、ルツのために良いアドバイスを与えています。
このナオミのことは、私の理解では、私達クリスチャンに対して必要なアドバイスを与える聖霊の型です。


2 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。”

さて、ここでボアズが打ち場で大麦をふるい分けることが書かれています。

ボアズは明らかにキリストの型ですが、このことばは、いつの日かキリストが大麦すなわち、
クリスチャンをふるい分ける日が来ることの預言と理解できます。
大麦は、命のパン、みことばによって、養われる者としてのクリスチャンの型です。
他にもクリスチャンをさす表現として、羊、魚などの表現があります。
 

さて、これは、収穫の季節のことです。その時、大麦をふるうことがあったわけです。
同じく教会時代の収穫の時、終わりの時にも大麦のふるいわけがおきることを知りましょう。
 

麦をふるいにかけると選別されます。その結果、ある麦は、倉に納められ、あるものは、
外に捨てられます。

明らかに終末の日には、刈り取りとともに、ふるいにかけること、
選別されることがあると聖書が暗示することを理解しましょう。
何をいいたいのかというと、選別があるなら、選別のための用意をしなければならないと
語っているのです。
 

世の中でも選別や試験があるなら、それに受かるために準備をします。
御曹子とのお見合いがあって、選ばれれば玉の輿に乗れると言うことなら、
入念に化粧をして準備をするでしょう。
また、入学試験があって、それに合格すれば、希望の名門学校に入れる、落ちると、
その学校へ入れないという時、やはり準備をしないでしょうか。時間をかけて、勉強し、
備えをして合格すべく用意するのです。

終末の日は、明らかに多くのクリスチャンがふるいにかけられ、淘汰されてしまう時代なので、
その日への備えは大事なのです。

以下の黙示録の記述は明らかに終末の日がふるいにかけられる日であることを語ります。

”黙示録6:13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。”
 

風により、あるいちじくは振り落とされ、あるいちじくはそれでも残るでしょう。
この日は、大きな風が許される日であり、選別の日です。

”黙示録11:13 そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。”
 

終末には、地震と描写されるよりわけ、ふるいにかけられる日が来ると語っているのです。

さて、テキストに戻ります。

”3 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。”

もし、その時、終末の日の麦をふるいにかける日に我々が遭遇するとして、私達はどのような
準備をしなければならないのでしょうか?
この節がその問いに関する答えです。
 

「あなたはからだを洗って」

私達は聖霊の水により、その体を洗わなければなりません。
罪があったり、この世のおかしな霊に惑わされていてはいけないのです。

油を塗り」

聖霊の油を受けるべきです。
 

「晴れ着をまとい、」

晴れ着は衣であり、衣は、裸の恥をおおうものとして、義をあらわします。
すなわち、義の衣、正しい行いで身をかざるべきなのです。

「打ち場に下って行きなさい」

これらの備えをして始めて私達は、打ち場、よりわけの場へ下っていくことができます。
そうでないなら、よりわけられてしまうでしょう。
さて、この時、終末の時は、確かに麦が打たれ、よりわけられる時なのですが、
しかし、別の表現をするなら、キリストの真の花嫁が選ばれる時でもあります。
このテキストの箇所においては、ルツがボアズのもとへ下り、その
結果、ボアズはルツをめとることを決心します。

ですから、私達は終末の時に関しての語りかけ、それは、裁きの時であるとともに、
また別の面としては、真のキリストの花嫁がめとられる時である、それをとらえていきたいと思います。
 

「しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。」

ここで、わざわざボアズの食事のことが書かれています。ボアズは収穫の主としてのキリストの型であり、
終末の収穫、刈り取りの時においては、キリストの食事ということが一つのポイントになります。
それをさして、以下の箇所において食事が描かれているのです。

”黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”
 

食事の意味合いは食べること、飲むことであり、みことばのパンを食べる、すなわち、メッセージ
と関係があります。
キリストが真に満足するようなメッセージがあるかどうかが大きなポイントなのです。
主の心にかなったみことばのメッセージを語り続ける教会はその日、ルツのように、
ボアズ、キリストの心にかない、花嫁として、めとられるようになるでしょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  -----------------------------7d83cf235025c Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream