NO. 613食卓から落ちるパンくず


”テキスト:マタイ15:21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。
24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。
25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

本日は、「 食卓から落ちるパンくず」という題でメッセージをします。
テキストに沿って見ます。

”21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」”

この日、主イエスの目の前にカナン人の女があらわれ、懇願をしました。
その願いは娘の悪霊からの解放です。
カナン人は異邦人であり、イスラエル人は、カナン人と交わらないよう神に命じられていました。
 


23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。
24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。”

この箇所から学ぶべきことは、私達の召しの範囲ということでしょうか。
私達が神から働きを命じられた時、そこには自ずから範囲、限界があることを知るべきです。
この時の主イエスの働きの範囲は、「イスラエルの家の失われた羊」でした。
だから、異邦人へは原則遣わされていないのです。
逆にパウロは異邦人への使徒として、働きにつきました。それぞれ、置かれた立場があり、神の計画があり、
召しが違うのです。


25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。

しかし、その様なつれない主イエスの態度にもめげず、この女は、直接主イエスの前まで、来て、
願いを告げました。
原則だめだとわかっていてもそれにもめげずに求め祈り、願い続けたのです。このことは、ありえない奇跡を起こしました。

”26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。”

主イエスはこの時、口を開くのですが、しかし、そのことばもなかば冷たいものでした。
何とカナン人である女を犬扱いしたのです。ここでいう子供は神の子供たる、イスラエルの民をさします。

さてこのことばを考えてみましょう。
「こどもたちのパン」とは、麦に関係した言葉であり、それは、命のパン、神のことば、メッセージ、
教えに通じます。
旧約の時代において、神のことばは、子供である、イスラエル人に与えられていました。
それを異邦人に与えるのはわざわざ子供のパンをとって、犬に与える様なものであり、
良いことではなかったのです。これは、旧約における原則です。
 


27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」”

さてこの原則、神の子供のパンを犬にはなげ与えないという原則は、しかし、
主イエスの時、またパウロの時、大きく変換しました。何故か?
その理由は、この女の答えにも現れているように異邦人の神のことばへの真摯な態度、渇望、尊敬が神を動かしたからといえるでしょうか。
 


28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。”

さて、この女の態度を見た主イエスは女の願いにこたえ、娘をいやしました。
ここでは、霊的な面における恵みを施したのです。

このカナンの女が主人の食卓から落ちるパンさえ、願った謙虚な態度はあの旧約のルツ、熱心に
ボアズの畑で、人々が刈り残した落ち穂を拾い集めたルツに通じます。
ルツの日、熱心に落ち穂、神のパンの残り物を慕い続けた女は恵みを受け、何と、ダビデ王の
家系の先祖となったのです。
 

まとめますが、聖書には麦、パン、みことばについて多くの面が語られています。
その中で、明らかに落ち穂、初めの神の民の取り残した麦、パン、みことばを
次の人々が拾い集め、恵みに入ることが語られています。

新約聖書の記者の中で、もっとも多くの書簡を書いたのは、パウロですが、
彼の教理、教え、啓示はみな、旧約のみことばに基づいたものであり、
いわば、彼は旧約聖書の畑、麦、みことばの「落ち穂」を拾ったのです。
彼は、異邦人への使徒であり、この様にして、異邦人へと、落ち穂は、
供給されるようになったのです。

さて、明らかに予想できることは、この「落ち穂拾い」は終末の日に再度繰り返されることです。
以下のことばは、終末の日まで、残る落ち穂があることを現してはいないでしょうか?

”ヨハネの黙示録 2:17 わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。”
 

以下のことばは、終末の日に始めて開かれ、与えられる落ち穂について語っていないでしょうか?

”ヨハネの黙示録 5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」 ”

巻き物は聖書に関することであり、麦、落ち穂に通じます。
7つの封印が開かれる迄、この落ち穂、みことばの恵みは
封じられていますが、終末の日に神に従い、みことばに立つ人々にこの落ち穂は与えられます。

他でもないこのサイトもその落ち穂を拾うことを目的としています。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー セミナーのお知らせ
 
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