NO. 609神からの教え


”テキスト:ヨハネ7:16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
17 だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。”

本日は、「神からの教え
」という題でメッセージしたいと思います。

テキストにそってみます。

”16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。”

ここで主は教え、説教、メッセージに関して、2つの種類があると述べているように
思えます。
すなわち、
1. 人からのもの
2. 神からのもの

ですから、全ての礼拝メッセージ、説教は上記のどちらかに分類されることになるはずです。すなわち、
人からのものか、はたまた神からのものか。

明らかにこの箇所は、メッセージにはこれらの2つの種類があることを語っているように思うのですが、
さて、失礼ながら、私はメッセージを語る人に質問をします。
「あなたのメッセージは人からきたものですか?神からきたものですか?」

こんな風な質問をして「はいひとからのものです」なんて答える人はまずいないのです。
皆、自分のメッセージは神からのものと自負しているわけです。

しかし、上記箇所でわざわざ主が、「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。」と2つの区分を語られている以上、やはり、この区分はある、人からのメッセージはある、否その方がずっと多いのです。

「わたしの教えは、...わたしを遣わした方のものです。」

教え、説教、メッセージをする時何を重要視すべきなのでしょうか?

注解書に沿うこと?それから全くずれないこと?
この箇所で明らかなことが語られています。それは、神がメッセンジャーを遣わしたので、その遣わされた方のいわれる
教えを語ることです。

それがたとえば、第三の波の怪しさを指摘することであれば、そう語るべきなのです。
そんなことをいったら、ペンテコステ系の怒りをかって、キリスト教会を追い出されてしまうなどと
いっている場合ではありません。一体誰の方を見、何を目的に語っているのでしょうか?
 
 
 
 
 
 

”17 だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。”
 

さて、かくのごとく、メッセージには2種類の教えがあり、それは人からのもの及び、
神からのものです。それでは、この2つはどのように区別すべきなのでしょうか?
どうしたら、区分することができるのでしょうか?

牧師の学歴で見るべきか、その所属教団により、見わけるべきか?
上記箇所では、その人が「神のみこころを行なおうと願うなら」わかると語ります。
世界のキリスト教会には、現在あらゆる教え、メッセージが許されています。
あるものは、神からのものであり、あるものは、単なる人からの教えです。
それらをどう見分けるのか?

それに関して聖書は、その人が神のみこころを行おうと願っているかどうかが
鍵であると語るのです。

はっきりいいますが、今は人からの教え、トンデモメッセージにあふれた時代です。
勘違い女マザーテレサを礼讃するようなメッセージ、はたまたキリストは2度に渡って再臨する
など、人からの教えは、枚挙にいとまがありません。
 

しかし、そうでない働き人もおり、
たとえ、その牧師が学歴がなくても、はたまた、信者がぜんぜん少なくても、
それでも神からのメッセージを語るそういうことはありえるのです。

世の中の医師や、弁護士を見分けるにはその出身学校を確認したりすれば間違いがないでしょうか。
しかし、あいにく、その牧師が神からの教えを語っているか否かということに関しては、
そのような目安がありません。

しかし、その区分は難しく、見分けずらいのです。主イエス自身がそうでした。彼は、当時の宗教の専門家、正統派とは、全く違うところから出現したのです。ナザレのイエスは、その
バックグランドを考えたらとても神からのものとは認めがたいのです。

しかし、そうでありながら、ある人々はこのイエスの教えを神からの教えと理解し、悟りました。
ペテロ、ヨハネ、12弟子を始めとした人々です。
もちろん、逆にイエスを悟れず、見分けられず、結果として裁きに入っていった人々も多かったのです。
同じようにイエスの教えを聞きながら、ある人は神からのものと理解し、ある人々は
理解できなかったのです。

その理由は?その区分の理由は?

それは、ここに書かれている通り、聞く人の問題です。
ある人は神のみこころを行おうと願っており、結果、このイエスの教えを神からのものであると
理解します。また、他の人々は、神のみこころなど行おうと心の底では思っておらず、結果、
このイエスの教えが神からのものと理解できなかったのです。

ですから、このイエスの時代の教訓から、このことがわかります。
主イエスの語られた教え、メッセージでさえ、神のみこころを行おうとしない人にはわからなかったのです。まして今の時代の我々においてをや。

ですからたとえ、私達が本当に神からの教えを語り、なおかつ、人に認められないとしても
びっくりすることは何もないのです。

まとめますが、主はあきらかに教え、メッセージ、説教には、
2つの種類:神からの教え、人からの教えの区分があることを語りました。

主の奉仕をになう奉仕者の教えは必ずこの2つのうち、どちらかなのです。ですから、もし
メッセージをするなら、
私達を遣わされた方の教え、ことばを語ることに大きなポイントがあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
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