NO.599ひなは取られる

テキスト:申命記22:
6 たまたまあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣を見つけ、それにひなか卵がはいっていて、母鳥がひなまたは卵を抱いているなら、その母鳥を子といっしょに取ってはならない。
7 必ず母鳥を去らせて、子を取らなければならない。それは、あなたがしあわせになり、長く生きるためである。”
 

本日は「ひなは取られる」という題でメッセージをします。

テキストに沿って見ます。


6 たまたまあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣を見つけ、それにひなか卵がはいっていて、母鳥がひなまたは卵を抱いているなら、その母鳥を子といっしょに取ってはならない。”

ここでは、鳥とひなとのことが書かれています。
鳥とは何かというと、以前見たように聖霊のたとえと理解できます。
主イエスの洗礼の時の記述に「御霊が鳩の様に下った」とありますが、
聖霊は鳩や、鳥にたとえられるのです。

鳥は空からすっと降りてきたり、はたまたさっと飛び去ったりします。
聖霊の働きも似たようなところがあります。すっと聖霊が下ったり、また、罪の故にさっと聖霊が消え去ったりします。確かに聖霊と鳥とは似たところがあります。

さて、上記鳥、親鳥が聖霊のたとえとすると、そのひなとは何かというと、
聖霊により養われる我々クリスチャンをさすといえるでしょう。

我々は鳥のひなのように、その翼の陰で養われ成長していくのです。
さて、ここでは、その様な視点、ひなをクリスチャンと理解すると、少々、無気味というか、
縁起でもないことが書かれています。
すなわち、ひながとられる、クリスチャンが、とりこにされ、敵に奪われることについて
書かれているのです。

ここでは、そのクリスチャンが敵にとられ、とりこにされるその時に関連して、
「その母鳥を子といっしょに取ってはならない。」ことが書かれています。

すなわち、上記理解に立つと母鳥がいるかぎり、子のひなは取られない、そのことが書かれいるのです。
これは神の律法が命じていることです。

具体的には、母鳥、聖霊が健在している間はそのひなである、クリスチャンが
取られ、とりこになることがないことが書かれているのです。
しかし、裏返すと、聖霊が追い出される時になると、簡単にひなはとられていく、クリスチャンは
とりことなる、そのことも暗示されています。

”7 必ず母鳥を去らせて、子を取らなければならない。それは、あなたがしあわせになり、長く生きるためである。”

子が取られるその前に母鳥は必ず去っていく、このことが神の律法により、
定められています。すなわち、聖霊が去って始めて、その子であるクリスチャンが取り去られる
時が来る、そう神の律法は定めているのです。

この様な時はあり得るはずのない時なのですが、しかし、
現実には起こり得ます。以下はまさにその時について書いてあります。
 
 
 

”マタイ23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」”
 

この箇所にはまさに鳥とひなについて書かれています。この箇所を見ていきましょう。

”33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。”
 

この時、イエスの時はまさにエルサレムに神の裁きが来らんとする時でした。
しかし、蛇、まむしのすえ、ゲヘナの裁きに直行するぞと警告された
律法学者すなわち、今で言う教師、牧師、聖書学者にあたる人々の
盲目のために会衆は今の時を理解しませんでした。

これらの偽り教師は何と災いだったことでしょうか。
彼らの盲目、偽りのために多くの人が時代を見分けられず、裁きに直行してしまったのです。

今の時代も全く同じことが起きています。
今は獣の霊のリバイバルは勃発し、獣の国アメリカが単身その姿を現しているのに、はたまた、
黙示録で預言された「悪魔礼拝者の偽ユダヤ人」もせっせと教会内、政治、あらゆるところで、
ごきぶりのように這い回っているのに、愚かで盲目で、聖書も知らず、時を見分けることもできない、
ど阿呆牧師ども、おまぬけ聖書学者、等身大の冒涜神学にいそしむあほ学生、あほ教師ども
はこれらの一つをも見分けることができません。同性愛擁護、終末論は環境を破壊する悪い神学なんて、
まじめに愚かなことを
あほ同志で叫ぶあほ学生、あほ教師をかかえています。
まったくあほ同志で学校で神学を学ぶ、あほ学生です。

愚かで聖書を知らない牧師が艱難前だの中だの聖書に書いていない2段階携挙説を吹聴するために、
どれほどの人々が惑わされているでしょう。
悔い改めが必要でしょう。

そんな聖書にも書いてないキリストの「2回」に渡る再臨などという妄想教理を触れ回って
もし、まちがっていたら、どう責任をとるつもりなのでしょう。
かつての神のことばを曲げていた律法学者みたいに、主イエスから、ゲヘナの宣告を受けたらどうするのですか?こんな嘘教理がそれほど大事なことなのか?ゲヘナの火に入り込む危険を犯してでも語るべきほどの絶対的な真理なのですか?
本当に大丈夫なのでしょうか。

恐らくあまり聖書を読んだことがないから、聖書のどこかに
キリストの2度目の再臨が書いてあるはずとそんなヨタ教理をつかんでしまったのでしょうが、
残年ながら、そんな箇所はどこにもありません。
100回程聖書を読んでキリストの「2度目の再臨」記事が見つかればよし、もし
ないなら、
今からでも遅くありません。今迄の罪を悔い改め、ヨタ教理を投げ捨て、
正しく聖書のいうことを伝えるよう努めるべきです。


34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。”

神から遣わされた「預言者、知者、律法学者たちを」追い出し、迫害したため、
その裁きによりエルサレムは滅ぼされてしまいました。
たとえ、耳の痛いことであっても神から遣わされた者のことばは聞くべきです。
 

艱難中携挙に反対するものは、教団、教会から追い出すなどとのわけのわからない終末妄想を語るべきではありません。

”35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。”
 
 

このイエスの時代に流された殉教者の血のゆえに裁きが下されました。
主イエスは殺され、結果としてエルサレムはローマにより徹底的に滅ぼされ、
110万人もの人々が殺されました。

このことは、終末の日に大規模に起きることの型です。
終末の日も神の民の間で殉教が起きるでしょう。
大多数の人々が背教に陥り、正しく聖書に聞き従う人々をカルト扱いして死に渡すのです。

既に獣先進国アメリカではこの殉教、迫害という面でも一歩先を進んでおり、
すでにあちこちの各地でクリスチャンを収容するための収容所が建設されています。
その写真もあります。Concentrate Campということばで検索してみてください。
情報が見つかるはずです。
この収容所に神のことばに従う、アメリカの敬けんなクリスチャンが収容されようとしているのです。
聞く耳のある人は聞いてください。

これから日本でもアメリカでも多くのクリスチャンが背教に進み、堅く信仰に立つ人をカルトとして、
死にわたすでしょう。しかし、それらの背教者が安全と言うわけでもないことは覚えておいてください。
「まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。」とのことばが
彼らの上に成就するでしょう。

”37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。”

さてこのことばです。

ここで書かれている、めんどり、ひなとのことばは、先ほどの鳥とひなの記述と同じであり、ここでは、
聖霊として来られた神がその子である、神の民を集めようとしたことが書かれているのです。

母鳥がいる間はひなが取られることがないことが律法には明記されています。
それでは、何故、エルサレムは敵に渡され、彼らは敵の手で滅んだのか?

その理由は母鳥が追い出されたからです。どのようにして?
それは、敵の手ではなく、他ならない、ひな、子であるエルサレムの住民自身が
母鳥である聖霊、また神から遣わされた方、イエスを追い出したからなのです。

子供がまどわされ、親を追い出す、その結果、滅びに一直線に向かう、
そのことが書かれているのです。

親鳥のいない、子のひなだけが巣に残るとどうなるか?
簡単に敵に巣は荒らされ、子はどれも奪いさられ、食い尽くされていきます。

このことは、実際、エルサレムに起きました。彼らが拒み、拒否し、死に渡し、また
聖霊を追い払ったその結果、彼らはどうなったかというと、
とんでもない惑わしの霊にやられ、自ら、自滅、崩壊していきました。

わけのわからない妄想に取り付かれ、その地を支配していたローマ帝国に反抗し、
結果として、大変な惨事、最後の一人迄、エルサレムの住民は殺されてしまったのです。

これら、エルサレムの住民は大真面目に神はローマ、異邦人からの独立を求めている、
我々がここで、戦うことは神が命じていることだ、いくらローマ軍が強くても、
我々にはギデオンの神がついている、いざとなれば、ローマは総崩れになり、
敗退する、なんて思っていたのでしょうが、
それは、全て妄想、悪霊の惑わしであり、彼らは自ら、滅びを刈り取ったのです。

彼らは神のいうことなど何一つ聞き取れず、反対に悪霊の惑わしの声に聞き入ったのです。
何故か?彼らが母鳥、聖霊を追い払い、追い出したそのため、もう聖霊は消え去ったからなのです。

さて、このことは、悲しいことですが、しかし、現実に歴史に起きた明白な事実であることを
覚えてください。
このことが起きたのは、世の終わりに臨む私達への警告なのです。私達が同じ失敗の轍を踏むことのないようにこのことは起き、我々への警告として記録されているのです。

しかし、そうではあってもこの様に明確な歴史の教訓がありながら、世の終わりには同じ愚かなこと、
母鳥をひなが追い出すという愚考が再現されることをも覚えてください。
そのことは、明らかにいくつの聖書箇所で預言されています。

.たとえば、以下の通りです。

”黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”

聖霊として来られたイエスは7つ目の教会、 ラオデキヤの教会の戸の外に立っています。
すなわち、もう巣から追い出されているのです。
親鳥は追い出され、これから、ひなが取られる日、悪霊の惑わしで自滅する日が来ることが予想されます。

以下の黙示録の記述はまさにその悪霊で自滅する神の民を描いた箇所です。

”黙示録16:11 そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。
12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
15 「「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。「「
16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。”

ここでは、ユーフラテス川が枯れ、すなわち聖霊が追い出され、親鳥が追い出され、
結果、悪霊が教会で大手を振って惑わしをもたらすことが書かれています。
その惑わしの結果、神の民の王たち、すなわち各教団のトップは惑わされ、
ハルマゲドンの戦いに出ていき、神へ反抗することが書かれているのです。

その戦いの結果、王達がどうなるかまではここに書かれていませんが、かつてのローマに囲まれた
エルサレムの様に彼らも撃って出て、自滅、崩壊、絶滅することが
想像できます。
さて、上記視点に沿うと今はどの様な時なのでしょうか?

上に書かれた「彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊」は、もうすでに出現しています。
金粉、金歯を伴う、悪霊リバイバリストは第三の波系を初め、すでに多数登場済みです。

これから起きてくることは、「万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」との記述の様に、これらの悪霊リバイバリスト、使徒、預言者の働きの
中で、変な霊に惑わされた人々が、自滅の戦いに突き進んでいき、結局は惑わしの中で、命を永遠の命を
失うと言うことです。
 

テキストに戻ります。
 

”38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」”

「あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」と主はここでいわれました。
このことばの意味を考えましょう。
文字どおりに考えれば、主はこの後、十字架につけられ、エルサレムの人々の目の前から消え去るので、確かに見ることはないのです。
しかし、もう一つのことがいえると思います。それは、霊として来られる聖霊のことです。
鳥という表現から考えても明らかにこの箇所では、聖霊のことが暗示されているのです。
人として来られたイエスはかつて見たように明らかに聖霊の型です。
ですから、ここでいわれているのは、自ら聖霊を追い出すひな、神の民について、語られている、その
結果もう彼らは聖霊なる方を見ることはなくなる、このことが語られていると理解できます。

聖霊なる方がエルサレムの民から消え去り、誰もみることができなくなる、このことは歴史的に
成就し、彼らエルサレムの住民は結果、悪霊に入り込まれ、惑わされ、戦いに撃って出て、
自滅したのです。自ら滅びに直行したのです。
 

同じこと、イエス、聖霊をもう見なくなること、結果、悪霊やら、反キリストやらを教会内で
よく見るようになることは終末に再現します。

今それは、徐々に実現しつつあります。第三の波を初めとした悪霊リバイバルが世界中の
教会を席巻しつつあり、聖霊として来られた方は見えなくなりつつあるのです。

さてまとめます。かつての日、主はひながとられることと親鳥が追い払われることとが
関連することを律法で述べました。それは、預言でもあり、終末の日、親鳥、聖霊なる方が
教会から追い払われる日を前もって語ることばでもあります。そして、
そのことばは我々のまさにこの時代に実現しつつあります。
このことを見る目は幸いです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
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