NO.592 強いものに打ち勝つ

”テキスト:ルカ11:
17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。
18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。
19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。2
20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。
21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。
22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。
23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。”
 

本日は強いものに打ち勝つという題でメッセージをしたいと思います。
テキストに沿って見ていきたいと思います。

”17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。
18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。”

ここでは、サタンの国について書かれています。後の節では、神の国に関して
書かれています。
さて、神の国とは何のことをさすのでしょう?はたまたサタンの国とは?
このことがわからないとこの箇所の意味合いは本当には理解できません。

神の国とは、その意味するところは、実は教会を意味すると以前理解しました。
そうです、

神の国とは、教会です。それは、今の時代にあって、神によって支配される人々のことです。そして、サタンの国とは、それと反対の国、神に支配されず、
サタンに支配されている人々、国のことです。

世界の国は、国連に加盟している国にしても100以上ありますが、神の目、聖書的な
観点からいうと、たった2つの国しかありません。

すなわち、神の国とサタンの国です。
そして歴史とは簡単にいうと、この2つの国の争いの歴史ということができます。

歴史をどう見るかということを史観といいます。プロレタリア史観だの、
皇国史観だの色々ありますが、唯一正しいのが聖書にたった史観、
聖書史観とでもいうものです。

世界には多くの国があるようではありますが、実は聖書によれば、世界にはたった2つの国しかありません。すなわち、神の国とサタンの国です。世界の全ての人はどちらかの国の住民です。

「サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう」
 

ここでいっていることは、サタンに支配されている国には分裂、仲間割れはなく、
一貫しており、統率されているということです。
 

このことは、確かです。サタンが人を惑わし、神などいない、
死後のさばきなどないと盲信させるのに、大いに貢献したのは、ダーウイン進化論やら、
マルクス無神論共産主義ですが、これらの教えはこの世、サタンについた国においては、
大いに発展し、推賞されました。20世紀において、
ソ連、中国、東欧諸国など、多くの国が相次いで無神論共産主義に走りました。
この教えが発展、広がるのは早かったのです。無神論は、サタン、神を憎む存在に
とっては望ましい教えです。
それで、この教えは世において、すみやかに広がったのです。
逆に私達はこの神を否定する教えがすみやかに広がったことを見て、この世、
サタンの国においては、仲間割れがなく、また国が大いに立ち行き、発展していることを
見るのです。

”19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。2
20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。”

ここでは、悪霊を追い出すことと神の国との関係が書かれています。
悪霊を追い出すこと、それが、神の国を来たらすことに通じる、そう理解できます。
言い方を変えると悪霊が支配できなくなるところ、そこが神の国である、そうも理解できます。
どちらにしても私の理解では、聖書的にはこの世界にはたった二つの国しかありません。
神の国とサタンの国です。
どちらかが増えればどちらかが減ります。
ここでいえば、悪霊が追い出されれば、結果として神の国が到来します。
そう考えれば、「神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」とのことばが理解できます。
 


21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。

私達クリスチャンの望みまた、我々の使命、兵士としての役割は
この世界に神の国をもたらすことですが、しかし、その前に、前提として理解すべきことがあります。
敵がどの様な存在かということです。
相手の国がどこの国なのか、自分が戦うのがどの様な敵なのかを知らずに戦争に行く兵隊はいません。
私達も主の兵として戦いに出ていくものではありますが、まず、敵を知らなければなりません。
そして、この箇所は、私達の敵に関して書いてある箇所です。

ここには、その敵が「強い者であること」「十分な武器をもっていること」そして
彼の持ち物となっている人々は安全である」すなわち、
敵の国はそれなりに安定しており、ちょっとやそっとでは、動揺がない、攻め込むには手強い
存在であることが書かれています。

私達が敵の領土に攻め込み、人々を獲得し、救われる人を増やそうとする時、この
箇所が言っていることを正しく正しく認識すべきと思われます。

今のキリスト教会で神の国を広げること、すなわち伝道やら、救霊を考えるとき、
まずどんなことを考慮するでしょうか。
奉仕者の人数を集めること、大きな伝道会、クルセードを開くこと、
費用をかけて宣伝をすること、一流の福音歌手を招くこと、そんなことでしょうか。
聖書的にいうなら、これらも大事かもしれませんが、しかし、第一優先ではありません。

日本のキリスト教会は、よくも悪くもアメリカ、獣の国の影響を受けています。
結果、伝道も教理もみな、アメリカゆずりなのです。いわばアメリカ礼讃、獣の国崇拝状態です。
しかし、黙示録によれば、アメリカ、獣を拝むものは呪われる行いです。
日本のキリスト教会は愚かにも獣を拝する愚を犯しており、結果、的外れ、ギリシャ語でいう
「罪」状態となり、伝道に関しても的外れなことに力を費やしています。

日本のキリスト教会の伝道における問題とは何か。私も偉そうなことはいえませんが、しかし、
聖書に基づいて、私の身にあまることを論じます。
それは敵を見ていないということです。

戦う場合、なんと言っても大事なことは、敵を見ること、
理解すること、把握することです。

生涯一度も負けたことがないという剣豪、宮本武蔵は敵を見て戦い方を変えました。
相手が物干竿の異名を持つ、長い刀を持つ佐々木小次郎であった時は、相手に
合わせて武器を変えました。船の櫂をけずって、長い木刀を作り勝利したのです。

我々も相手を見、戦いの方法を考えなければなりません。

「強い人」

聖書は敵に関してひとこと、強い人と語っています。
サタンは強いものであり、我々かよわい人間と比べたら圧倒的な体力差があるのです。
まずこれを認識しなければなりません。
聖書によれば、明らかに人は弱い存在です。羊というクリスチャンをたとえる動物もその弱さをあらわします。我々の戦いとは弱い羊がプロレスラーの様に強い人に立ち向かうものであり、そこには
大変な体力差がある、それを認識しなければなりません。

「十分に武装して自分の家を守っている」

サタンは強いものであり、かつ彼らには十分な武器がある、このことをも知らなければなりません。
この武器とは鉄砲や、飛行機ではなく、しかし、霊的なもの、感情、思索、思考に影響するものであることが予想されます。
かつての日、エデンの園でサタンは彼の有効な武器を用いました。その結果、
我々の先祖である、アダム、エバは感情、思考を刺激され、惑わされ、死へ導く実が「見るによく、
食べるによく、賢くなるにふさわしい」ものに見えたのです。

また、同じくサタンはこの感情、思索に働く武器を用い、神の子イエスを攻撃しました。
彼にかかわり合う、パリサイ人、律法学者の心情に働き、イエスへの憎しみ、怒り、
殺害の思いをわきたたせ、遂には神の子を十字架につけることに成功したのです。
また、12弟子の一人であるイスカリオテユダの心に働き掛け、イエスに対する疑念を起こさせ、ついには、裏切りを起こさせ、神の子を死に売りわたすことに成功したのです。

これらの武器は有効に働いたかに思え、サタン王国を揺るがす、敵の将ナザレのイエスは
倒され、サタン国の安泰はこれからも続く様に思えたのです。
サタン国の大勝利です。

しかし、あにはからんや、これは実際は神の国の大勝利であり、このイエスの死、
あがないの死を通して、神の国へ入る人々が続出するようになったのです。
すなわち、新約の神の国、教会が誕生したのです。

しかし、しぶといサタンとその軍勢は、あきらめずに猛然と反抗を企てます。
誕生したばかりの教会をつぶそうと、ユダヤ人パリサイ人、祭司達の心に働き掛け、
12弟子の筆頭であるペテロ、ヨハネを捕縛しました。
さらに国王ヘロデの思いに働き、ヤコブを殺害しました。

敵の武器は大いに有効的に用いられていることがわかります。
また、敵は一枚岩の様に団結し、要所要所、ポイントごとに適格な攻撃をしかけていることが
わかります。主のいわれた「強い人が十分に武装して自分の家を守っている」とは、
絵空事でも空想の世界の話でもなく、逆に今の私達の目の前に起きている現実なのです。

さらにキリスト教会の期待の星、パリサイ派から回心した、後の日に
大活躍をするあの使徒パウロに関しても、いち早く敵の軍団、サタンの国は
その重要性を見抜きました。そして、神の国の拡張を防ぎ、サタンの国の安定をめざすべく、
パウロへの総攻撃を開始したのです。使徒行伝を見ていくとき、このパウロを殺すためにあらゆる、
陰謀と計画が行われたことが理解できます。サタンの有効な武器、頼みとしている
武器である人の感情、思索に働く武器がうまく用いられ、パウロを殺すまでは何も食べないと誓う人々まで、現れます。また、民衆が暴動を起こしてそれにより、興奮した群集にパウロが殺されそうになったことも何度もあります。また、ユダヤ人たちはパウロ殺害の意志を固め、何度も裁判でパウロをしつこく
訴えています。

これらはパウロが人から憎まれる性格だったから、あらゆる悪を重ねた人だから、
というわけではありません。逆に彼は同族愛に燃えた愛の人だったのです。
では何故彼がこの様に憎まれ攻撃されたのか?彼が憎まれた
その理由は、サタン国と神の国との攻防戦、はたまた見えない敵、サタンの有効な武器、人の
感情を動かすという武器を
考えに入れなければ理解できません。

使徒行伝の真の主役は聖霊であるという人がいいます。見えない神の霊がこの書の主役、それは確かでしょう。
しかし、使徒行伝は戦いの記録であることを思い起こすと、戦いのもう一方の主役、見えない敵、
サタン国の将の働きを見ないことには、この書を正確には、解説できないともいえるでしょう。

その持ち物は安全です。」
 

安全ですと言う言葉は、KJVでは平和ということばが使われています。サタンの支配は、揺るぎなく、
戦いはなく、落ち着いており、平和が保たれていると言うのです。
平和とは戦いがない状態のことです。敵はいても取るにたらない、相手にならない、だから
サタンの王国には揺るぎがないということを現すのでしょう。

このことはたとえば、日本の現在の社会を見ると、残念ながら、現実です。
私達が読む新聞は進化論は正しい、神なんかいないことを前提に記事が書かれており、
創造論をとなえる人のことなど、カルト扱いです。神は否定され、サタン国が大いに安定し、
平和を保っているのです。

日本では、家々を回るものみの塔が輸血拒否等の問題を起こすため、聖書だとか、キリストなんて
いう人は危ない人だということになり、伝道はやりにくいことこの上ありません。
ここでもサタンの優勢は揺るぎません。

そのうえ、最近は団地やら、アパートに個別ちらしを入れることが刑法上に問題になる、逮捕されるとの
判決が起き、結果、伝道ちらし、トラクトさえ配りにくくなっています。
ここでもサタン国がさらに一歩歩みを固め、神の国閉め出しに成功しているのです。

世の中のキリストに関する記事はみな悪い記事のみ歓迎され、発表されています。
キリストの復活はなかったとする、ダビンチコード、キリストの墓に関する映画などが
もてはやされるのです。
ここでもサタン国は優勢であり、揺るぎもなく平和を保っているのです。

"
22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。"

さて、それでは我々はどうやって戦うのでしょうか?
サタンが強いものであり、我々人間より、はるかに強いものであることは
わかったとして、しかし、それだけでは解決になりません。
一体我々の勝算は、どこにあるのでしょうか。
ここに答えが書いてあり、勝利は我々の間にさらに強い方が来られることにあります。

これが聖書の方法であり、手段なのです。このことはよくよく理解すべきと思います。
ここでは、神の国が広がること、簡単にいえば、伝道を進め、人が救われていくために、
我々、一般の理解と違うことが書かれています。

我々の理解では、伝道と言うと何枚トラクトを配ったとか、
どう宣伝するかということに強調点を起きますが、しかし、ここでは、
明らかにここで、神の国を広げる、伝道すると言うことは、強いものどおしの
戦いであると書かれているのです。

このことは正しく理解しなければなりません。それとともにはっきり理解しなければならないのは、
敵は強いものであること、そして我々は弱いものであるということです。

我々だけでは戦えない戦いである、このことも明確に理解しなければなりません。
強いものとはたとえていえば、東京中をこわしまくる怪獣みたいなものでしょうか。
ビルをこわし、戦車も相手にせず、もう我々には、対抗手段がないのです。
そんなとき、どうするかというと普通はウルトラマンを呼ぶのです。
ウルトラの星から来たヒーローウルトラマンは、怪獣よりさらに強く、この怪獣を退治してくれるのです。

聖書のことばに戻るなら、神の国が広がる、すなわち伝道とは、強いものとの戦いであり、
さらに強い方に働いていただけるかどうかにポイントがあるのです。
働いてもらうにはどうするのか?
具体的には祈りなのです。

ブレイナードの日記を以前読んだことがあります。
イギリスから アメリカに渡り、 インデイアンへの伝道を進めていた彼には
思うようには道が開けず伝道は進みませんでした。それで彼はどうしたのか?
大規模なクルセードでも開いたのか?4つの法則パンフレットを効果的に
用いたのか?はたまた、テレビ伝道を開始したのか?
彼はそんなことをしませんでしたし、それらが勝因でもありませんでした。
彼は断食と祈りを続けたのです。

敵の反撃も強く、感情思索に働き、彼は何度も精神的にうちのめされそうになりました。しかし、
引かずに祈りを貫いたのです。結果、
ある日、強いものが縛られる日が来ました。酔っ払いの通訳者を通した彼のメッセージで、
多くのインデイアンが神を見い出すようになったのです。
彼の方法は現代の伝道セオリーどおりではないかもしれませんが、
しかし、まさしく聖書の王道を行っており、聖書のセオリー通りだったのです。

祈りの中でさらに強い方に働いてもらい、彼らインデイアンをとりこにする強いもの、サタンを縛る、
この方法を彼は正しく行ったのです。

彼の頼みにしていた武具を奪い」

強いものより、さらに強い方、キリストが働かれると、敵の頼みの武具が奪われます。
敵の武具とは、私の理解では先程述べたように、人の心に働くものと思われます。
人の感情、思索、行動に影響を及ぼし、洗脳する敵の武器が奪われてしまう、結果として
この攻撃は無効になってしまう、そう理解できます。

分捕り品を分けます。」

その武器とははたまた、未信者の心をくらます固定観念、神を否定するあらゆる形の
議論、思想かもしれません。それらがどれ程強固であっても、その武器は、さらに
強い方が来られる時、取り上げられます。

そしてその結果、敵の分捕り品となっていた人々は、
解放され、キリストに勝ち取られるのです。


23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。”
 
 

この箇所は、世界にはたった二つしか国がないことを理解すれば、わかりやすい箇所です。
世界には、聖書によれば、たった二つしか国がありません。
その一つは神の国、もう一つはサタンの国です。私達が一つの国に味方するなら、結果として、
もう一つの国に対しては敵対することになるのです。

私達はどちらかを選ばなければなりません。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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