NO. 589 祭司は角笛を吹く

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テキスト:ヨシュア6:1 エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。
2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。
4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。
5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」
6 そこで、ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼び寄せ、彼らに言った。「契約の箱をかつぎなさい。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行かなければならない。」
7 ついで、彼は民に言った。「進んで行き、あの町のまわりを回りなさい。武装した者たちは、主の箱の前を進みなさい。」
8 ヨシュアが民に言ったとき、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱は、そのうしろを進んだ。
9 武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの先を行き、しんがりは箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら、角笛を吹き鳴らした。"
 

本日は、「祭司は角笛を吹く」という題でメッセージをします。
テキストに沿って見ます。

”1 エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。”

この日、滅ぼされる町、エリコは堅く城門をとざしました。
この町はこれから主の命令により滅ぼされるのです。
 

”2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。”

この町は滅ぼされるのですが、しかし、主はすぐただちにとはいわず、逆に警告、角笛を
吹く祭司たちが回る日をさだめました。
彼らは角笛を吹きながら、7日間の間町のまわりを回ったのです。7は教会の数字であり、
滅びに至る教会に対してもしかし、角笛を吹くものたちがまわりをまわります。
教会のその成立の日から、絶えず、角笛を吹くものが与えられ、彼らは町のまわりを常に
回ったのです。いいかたを変えれば警告はいつの時代にもあったのです。
彼らは合計7日間町のまわり、滅ぼされる町の回りをまわったのですが、その日に
関して区分があります。

始めの6日間は、町の回りを角笛を持った人々がただ一回だけ、まわりました。
具体的にいえば、角笛、警告はあるが、それほど、けたたましいものでも
大規模なものでもない、そう理解できます。

”4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。”

しかし7日目になると話は変わり、祭司たちは7回町のまわりを回り、
角笛を吹き鳴らしたのです。けたたましい角笛の音が、何度も何度も、7回も
町のまわりに繰り返されたのです。それは、ほどなく、
町がほろびるからであり、事実その後、エリコの町は滅ぼされたのです。
 

さて、このことから、私達は少し教訓、教えが得られると思われます。
それは、7日目には、角笛が繰り返し繰り返し音をたてるということです。7日目は、
7つめのミレニアムに通じ、今の時代に通じます。

ですから、ここで書かれていること、すなわち、7つ目のミレニアムの特殊性を
どうぞ、正しく正しく理解してください。

この日、7日目は、以前の6日間とは全く異なり、角笛が何と7回も町の回りを
まわるのです。そして、繰り返し、繰り返し、この町が滅ぼされることを

告げるのです。7日目とはそういう日であり、7つ目のミレニアムとは、そういう日であることを
明らかに聖書は語っているのです。

それで、日本のキリスト教会ではほとんどいわれないことですが、しかし、私はこのことをいいます。
すなわち、このミレニアムにおいて、キリスト教会にあって、必要な働き、ミッション、奉仕は、
明らかに角笛を吹くこと、すなわち警告の働きである、そのことを語るのです。
 

ですから、明らかに今はこの働きにポイントがあるのです。
そして、私がインターネットで見る限り、欧米の無名のしかし、主につく
人々は続々と警告者とし、見張り人、角笛を吹くものとして、名乗りをあげ、
働きを始め、多くの人々に警告の角笛の音を響かせています。
欧米には確かに小数ではあっても確かに今の時を知り、主のみこころを知る人々がいるのです。

しかし、残念ながら、日本には、キリスト教新聞、雑誌にも時を知る人、警告の働きを行う人を
見ることができません。インターネットは唯一の例外と思いたいのですが、これも
あまり見当たりません。

ただ現状はどうであろうとなかろうと、主の命令は明らかに7日目には角笛を持って
町のまわりを7回まわれということですので、このことにみこころがあるのです。

”祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。”
 

さて、ここで角笛を吹く者に関して、主からの制限、指名があることが書かれています。
角笛は楽器だから、音大出の人でなければとか、肺活量の多い人とかは
書かれておらず、逆に祭司が角笛を吹くことが明記されています。
 

このことを今の時代に会わせて考えてみましょう。祭司は、主に仕えること、それを
仕事の第一にしている人々のことです。
職業として牧師をしている、神父であるなしにかかわらず、このことを第一優先に
している人、それが今の時代の祭司といえるかもしれません。

角笛は明らかに警告の働き、民への警告の働きです。
ですから、祭司が角笛を吹くことを明示することにより、聖書は明らかに
終末の時代、7つ目のミレニアムの時代の警告者の資格、制限を「主に仕えるもの」と
限定していることをとらえなければなりません。

警告者は、祭司、主に仕えるものでなければなりません。
何故そうなのかは、明記されていないのでわかりませんが、察することはできます。
一つは、真の警告は聖書がわからないと、行なえない、なかんずく、
主のみこころがわからないとしかるべき、ことを伝えられないからではと思います。
そして、主に仕える祭司でない限り正しい主のみこころを理解できないのです。

正しく主のみこころを知らないなら警告者となることはできません。
誰が犯人なのかを知らない警官は地域の人に「こいつに気をつけろ」と警告を与えることができません。

同じ意味合いで、何が獣の国なのかを理解しない、
人々は、この時代に関して警告を与えることができないのです。

また、今の時代に関して、主がどういわれているかを知らない人は適切な
警告を与えることができないのです。

再臨が一度あるのか、2度あるのかわからない、数字の1と2の区別がつかない、
算数能力に問題がある人々には、終末の警告は難しいのです。
艱難前だとか、中だとかいっている人々のことです。
 

”5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」”
 

その日、滅ぼされる町、エリコの城壁が
くずれ落ちることが書かれています。
これは、後の日の預言であり、終末の日、背信の教会もその壁がくずれ落ちることが
予想されます。

壁は町とその外の世界との区分に用いられます。
壁が在ると、敵は自由に町に入ることができません。
妨害され、とどめられてしまうのです。
しかし、壁が崩れると話は違います。敵は自由に町の内部に入り込み、撹乱、
暴動を起こすことができます。

今の教会を一つの町と考える時、私達にはこの町がどう見えるでしょうか?
壁が今でも堅持されているように見えるのか、はたまた壁は崩れたもしくは、崩れつつあるのか。

私の率直な感想をいわせてもらえるなら、壁はくずれつつあるといえます。
この世との壁、悪霊リバイバルへの壁、あらゆる壁が崩れつつ在るのです。
 
 

”6 そこで、ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼び寄せ、彼らに言った。「契約の箱をかつぎなさい。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行かなければならない。」”

この時、契約の箱が祭司たちとともに町の回りをまわります。その後、町は滅ぼされるのですが、
滅びと契約の箱は関係があると思われます。
このエリコの町が終末の日に滅ぼされる教会の型とするなら、それは、確かに関係があります。
 

”黙示録11:19 それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。”

ここでは、裁きと関係して主の契約の箱が描かれています。このことは、
裁き、怒りは契約と関係してる、ことがわかります。
主の怒りは神との契約を破った神の民に対して燃え上がっているのです。

同じ理解で、エリコの
町は終末の日に裁かれる教会の型と理解でき、この町が滅ぼされる時にも
契約の箱が回りをまわります。


7 ついで、彼は民に言った。「進んで行き、あの町のまわりを回りなさい。武装した者たちは、主の箱の前を進みなさい。」
8 ヨシュアが民に言ったとき、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱は、そのうしろを進んだ。”
 

この時、角笛を持つこと、それに関連して、武装した者たちが主の箱の前に進むことが書かれています。
角笛、それと武装した者との関連は何でしょう?
わかることは、警告の働きをする者、角笛をふくものは、武装と関係があることです。武装は、剣と
関係があり、剣はみことばや教理と関係があります。

みことばや、教理で武装して、角笛、警告の働きにつけということをいっているのです。
私達が今世界のキリスト教会に伝わるヨタ話、ヨタ教理と戦うという時、それらの
間違いをただすという時、それは生はんかな仕事ではなく、激戦になることだということを
よくよく覚えましょう。

レフトビハインドやら、ダビンチコードでいわれていることは、明らかに作り話なのですが、
しかし、これらを推進している人々には、大きな宣伝力があることをよくよく覚えましょう。
私達はこれらの大きな敵、そしてそれ以外のいわばキリスト教会の多数派を相手に
戦いを起こすのです。
武装が必要であることが確かにわかります。
 


8 ヨシュアが民に言ったとき、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱は、そのうしろを進んだ。
9 武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの先を行き、しんがりは箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら、角笛を吹き鳴らした。"
 

この日、角笛は祭司により、吹き鳴らされました。
このことは、繰り返すようですが、よくよく今の時代に関連して銘記されるべきことがらです。
角笛は祭司、主に仕えるものによって、吹き鳴らされるべき、このことをよくよく知りましょう。
この原則を頭において、今のキリスト教会の現状を思うと、
だいぶ、聖書とは違うことを行っていることがわかります。

何をいっているのか?
すなわち、キリスト教会には、新聞や、雑誌などがいくつか存在し、それぞれ
警告の働きを、伝えているように思えますが、
しかし、このこと、祭司こそ、角笛を吹くべきであると聖書が語っていることには、
無頓着、目が開かれていないようです。

しかし、聖書がそう明示しているなら、角笛を吹く奉仕、警告の働きは、
祭司、主に仕えることを仕事にする人々が行うべきなのです。
 

祭司でない、一般の人が警告の働きを行うと何が問題になるのか?
それは、私も明言はできないのですが、察することはできます。
祭司でないと、まず、神のみこころ、この時代に関して何を神が
望んでおられるのかという肝心なことが見えません。

だから的外れになってしまうのです。
カソリック とプロテスタントとの合同をめざす、エキュメニカル運動に
ついてこれらの新聞や雑誌はどんな反応を持つでしょうか?
あるプロテスタントのキリスト教新聞は、まったくエキュメニカル大賛成、
毎回提灯記事みたいなものを載せています。

私の見る限り、明らかにエキュメニカル運動は、
終末において起きる背教の中で大きな位置を閉める、
問題、大問題です。

しかるにこんな大きな問題を問題視しない人々に角笛を
吹く仕事が勤まるでしょうか?
盲人がひのみやぐらに上って火事を警戒しているようなものであり、
はなはだこころもとないのです。

この新聞は、他の記事、たとえば靖国反対だの、イラク派兵反対なども語り、
自分ではいっぱしの警告者みたいに思っているようですが、しかし、
肝心な問題、終末の大きなトレンド、エキュメニカルの罠を見抜けないで、
どうして、警告者、角笛を吹くものといえるでしょうか。

かくのごとく、祭司でないもの、主の心を理解できない者には、警告の
働きをすることには無理があるのです。
私達は主の言葉を尊重すべきです。

どんな人でも、主に仕え、主のしもべとなる人には、学歴、職業にかかわらず
祭司として、角笛を吹く資格があります。このことは平等です。
しかし、偽善に生き、この世と変わらない道徳観念、さらに常識に従った歩みをしている
人には、角笛を吹く資格がない、このことをも覚えましょう。

聖書は繰り返し繰り返し、角笛を吹くものは、祭司に限ることを明言しています。
このことを尊重しましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー -----------------------------011013906415445 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename=""