NO.587 シヌアルの外套(3)


”テキスト:ヨシュア7:20 アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。
21 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
22 そこで、ヨシュアが使いたちを遣わした。彼らは天幕に走って行った。そして、見よ、それらが彼の天幕に隠してあって、銀はその下にあった。
23 彼らは、それらを天幕の中から取り出して、ヨシュアと全イスラエル人のところに持って来た。彼らは、それらを主の前に置いた。
24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。
25 そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。
26 こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。”
 

本日は、シヌアルの外套(3)としてさらにこの件を見ていきたいと思います。
テキストに沿ってみます。
 

”20 アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。
21 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」”

さてここでアカン、トラブルを起こす人が自分の罪を語っています。
この罪はまた、現在の教会が世に負け、キリストの敵に負けつづけ、敗走し続けている、
その理由でもあります。
 

「シヌアルの美しい外套一枚」
 

シヌアルの外套とは、KJVではバビロンの外套と訳されています。
シヌアルとは、バビロンの古来の呼び方であり、すなわちバビロンのことをさすのです。
ここでの問題はバビロンの外套を盗んで隠していたという、その問題なのです。

外套の意味合いは何でしょう?
外套は体をおおうものです。体そのものではありませんが、しかし、
体に付属しており、また他の人が見る時、その人の外側にある外套に目がいきます。

そういう意味合いで、外套は、キリストの体なる教会の外側の部分、教理とか、
体制とか、教団とか、信仰姿勢とかをさすといえるでしょうか。
 

この外套がバビロン由来のものである、それは大きな問題であり、その結果、神の
民イスラエルは敵に敗れた、そう神はいわれるのです。

今の日本のキリスト教会を考えるなら、それは、どこの教団もバビロン、アメリカの影響を受けており、
それは、教理、体制、方法、信仰姿勢、あらゆるところに到ります。
そもそも日本の教会の教団はどこもアメリカの教団の支部みたいなものです。
同盟といい、長老派といい、救世軍といい、バブテストといい、みな
アメリカの
宣教師が日本に来て設立したものであり、アメリカとは切っても切れない
関係なのです。

ですから、このこと、アカンの罪は日本の全教会に及んでいるのです。
そして、それゆえ日本の教会は敗北しつづけており、これからも敗北していくのです。

「銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て」

金の延べ棒の意味合いは何でしょう?聖書的にいうなら、
金は、明らかに信仰と関係したことばです。以下の通りです。

1ペテロ1:7「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」
 

金、信仰じたいに問題があるわけではありません。
しかし、それがバビロン由来のものだと問題だし、また結果として、
敵に勝利を得ることができないのです。
明らかにこの箇所はこの事実をあらわします。

ですから、私達はまじめに日本のキリスト教会の問題を考えなければなりません。
日本の教会の伝道が進まない、勝利が得られないことに関して、あらゆる人があらゆる
ことをいっていますが、しかし、私達はこのことに関して聖書的な答えを求めなければなりません。

聖書は明らかにバビロン由来の金を隠し持った時、イスラエルが敗北したことを
述べています。
同じく、バビロンアメリカ由来の信仰、教理、方式をあきることなく、
吸収している日本の教会が敵に勝つわけはないことを聖書は預言しているのです。
そして、その公式どおり、日本の教会は負けつづけているのです。

バビロン由来の金、信仰方法とは具体的に何でしょう。
それは、具体的には、アメリカの方法であり、やりかたです。
総動員伝道、大衆クルセード、キャンパスクルセード、4つの法則、
カウンセリング、セルフイメージ、セルチャーチ、パーパスドリブンチャーチ、
ヤベツの祈りなどなど、いろいろありますが、
しかし、それらのバビロンアメリカ由来の方法を持ちつづけているなら、
決してこの国が勝利を得る日はきません。
 

「欲しくなり、それらを取りました。」

ここで、アカンがバビロンの外套を欲しくなり、それを手にいれたことが書かれています。
これは、他人ごとではありません。アメリカ、バビロン由来の方法が欲しくなり、際限なく教会に
取り入れる愚かな牧師はみな、このアカンと同じことをしていることを知るべきです。


22 そこで、ヨシュアが使いたちを遣わした。彼らは天幕に走って行った。そして、見よ、それらが彼の天幕に隠してあって、銀はその下にあった。”
 

この時、バビロンゆかりの外套は、天幕の下にかくしてありました。
それゆえ、外から見てもすぐには、それと気付かないようになっていたのです。
これは、現在のバビロン化し、アメリカかぶれしたキリスト教会も同じです。
一見外にはそれと見えなくてもしかし、教会の深いところ、隠れたところは、皆バビロン化されており、
バビロンの外套は、あらゆるところに隠されているのです。
 

”23 彼らは、それらを天幕の中から取り出して、ヨシュアと全イスラエル人のところに持って来た。彼らは、それらを主の前に置いた。
24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。”

この日、アカンの罪のために、彼に連なる多くのものが、ともに滅ぼされました。
このことは後の日への預言です。「彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部」が
その日、滅ぼされたように、もし、我々がバビロン、アメリカの外套をとってきて
それを使うなら、その後の運命は、私達に属する人々をも結果として滅びにおいやる可能性があるのです。
息子、娘は、信仰の子供すなわち信者のたとえでしょうし、牛、羊も同じくクリスチャンの
たとえでしょう。そして、天幕、住まい、すなわち教会もこのバビロン化の罪により、
滅びを迎えるのです。

”25 そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。”

アカンの裁きの最後は火で焼かれることでした。バビロン化した教会の最後も
同じく火でやられること、悪霊の火で焼かれることです。
もう、ピーターワグナーの聖霊の第三の波、ベニーヒンのリバイバル等を通して、
悪霊の火はアメリカ、バビロンに追従する人々の教会を焼き付くしています。
彼らは吟味もなく、思慮もなく、考えることなくアメリカのものを受け入れつづけ、結果、今は悪霊の火でやられているのです。
 


26 こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。”
 

この日、アカンの上に神の怒りは燃え上がり、彼は石くれの山のしたじきになりました。
そしてこのことは現在でも同じなのです。だからこそ、「今日もそのままである。」と
書かれているのです。ですからこのことを知るべきです。
誰でも、バビロン、アメリカのものを吟味もなく受け入れる者は神の怒りの対象になること、そして、
彼は石くれの山の下敷きになること、このことです。
石は弟子のたとえと理解できますから、石くれの山の下敷きになるということは、
私達を押しつぶす、怪しい教理の下で押しつぶされていく、そんな意味あいかと
思えます。

何はともあれ、バビロン、アメリカの影響から抜け出す人にみこころがあります。
終末における主のみこころをおこないましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
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