NO.585シヌアルの外套(1)


”テキスト:ヨシュア7:1 しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフ(
起こる)の子ザブディ(寄付)の子であるカルミ(
私のぶどう畑)の子アカン(トラブルを起こす人)が、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。
2 ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベン(虚栄の家)の近くにあるアイ(破滅の堆積)に遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。
3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」
4 そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
5 アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリム(律法違反)まで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。
6 ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。
7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。
8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。
9 カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」”

本日は、シヌアルの外套(1)として、上記テキストから学んでいきたいと思います。
テキストに沿って見ていきます。

”1 しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。”

この章では、常勝軍であるイスラエル軍がちっぽけな町、アイに負けてしまったということを
語っています。
その原因となるのは、この節に書かれたアカンの罪です。
アカンの名前の意味合いは、トラブルメーカーという意味合いであり、
何ともこの事件には、ぴったりの名前になっています。

彼はユダ族に属する人物であり、このことは、後の日にバビロン捕囚されるユダ族に通じます。
神に愛された民族ユダの敗因、原因はバビロンと関係があるのです。
新約にあって考えるなら、ユダは、神に愛された教会、プロテスタントに通じ、
プロテスタントの終末の日における敗退、背教、背信のその理由は、教会の
バビロン化にあるのです。

「聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。」

神がイスラエルに対して怒りを燃やしたその理由は、
神が聖絶と定めたものをあえて自分のテントの中に隠し持ったそのゆえです。
神が聖絶すると定めたものを隠し持つなら、必ず敵に敗北するという
この原則を正しく正しくとらえましょう。

今の教会は敵の前に敗北につぐ敗北を続けていますが、その大きな理由は、
このこと、神が滅ぼすと語り、禁じていることがらをあえて、自分の教会の
中に隠し持つ、そのことに原因があります。

たとえば、あの愚かな、ダーテイネス教団のことを考えましょう。
ダーテイネス教団とはあまりきかない名前ですが、最近、改名したと噂に
聞いている教団のことです。この教団はもとはホーリネス、聖化が売りであり、
戦争中も妥協せず、信仰を守った立派な教団だったと聞いていますが、
しかし、最近は心変わりをし、怪しい教団と徒党を組み、
背教の道に専心すると決心し、改名したともっぱらの噂です。
 

おかしな神学研究を始めて、エキュメニカル推進だの、パラダイムシフト推進だの、
わけのわからないことを始めたと聞いています。
困ったものです。

エキュメニカルを推進し、カソリックのマリヤ礼拝だの、
聖人礼拝だのを持ち込んで神の怒りを買わないはずがありません。
彼らももう敵には勝てないでしょう。

"
2 ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。
3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」”

常勝軍、イスラエルはちっぽけな町、アイを見た時、彼らの力をもってすれば、
こんな町の攻略などたやすい、全員を送る必要はないと思いました。
ここに書かれたアイには、破滅の堆積という意味があり、ベテ・アベンには、虚栄の家という意味があります。
シヌアルすなわちバビロンの外套をアカンがイスラエルに持ち込んだそのために、教会は、
アイ、すなわち、破滅に負け、また虚栄に負けていくのです。そう理解できます。


4 そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
5 アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。”

しかし、このちっぽけな町、アイに彼らイスラエル人は勝つことができず、敗退しました。
主が取り入れることを禁じたものをあえて取り入れるなら、
教会は敵の前に敗退する、この冷厳な事実があります。

彼らイスラエルが追われて逃げたシエバリムとは、律法違反という意味合いがあり、教会は、
バビロン化される時、敗退し、神の律法に違反するようになる、そう理解できます。

「民の心がしなえ、水のようになった。」とのことばは、民のたましいがしなえ、水の様になったとも
訳せます。水を霊のたとえと理解するなら、バビロン化された教会は、変な霊にやられていく、
そう理解できます。


6 ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。
7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。
8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。”

ここでヨシュアは神の前に伏し、嘆き、疑問をぶつけています。
何故わざわざ、神の民が敵の前に配送する様なことを神は許すのか?
そう疑問を語っているのです。

これは、今の時代においても往々にしてあり得る疑問です。
何故神の民であるクリスチャンが失敗し、敗走し、敵の前に恥を見るのか?
神は何を考えているのか?

”9 カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」”

我々神の民が負けたことを聞けば、「カナン人や、この地の住民」すなわち敵がふるいたち、
我々を地から断つ、すなわち、神の名も汚されてしまうのに、
何故神はあえてこんなことを許されたのか?これが、ヨシュアの疑問であり、
今の時代の我々の疑問です。

しかし、こんな人間的な情にほだされることなく、しかし、
神は神の民が敗走することを許しました。

アカンの罪があるなら、すなわちバビロンの外套を
イスラエルの陣営にかくしているなら、神の民は
敵にあたることはできず、敗走する、このことを徹底的に
民に教えることを神は優先したのです。

それで、我々は正しく正しく神がこの時、明確に語った教えを理解しなければなりません。
今の時代の神の民もバビロンゆかりの外套をその陣営に隠し持ったなら、
決して敵にあたることはできず、逆に敗走していく、この明確な教えをです。

現代のバビロンは明らかにアメリカであり、
そのバビロン、アメリカの外套を隠し持つ、いいえ隠すどころかおおっぴらに
受け入れている教団、教会が多いのです。

しかし、彼らはこの聖書の箇所に基づいて理解するなら、決して敵にあたることはできません。
逆に彼らは敵に敗走するようになるでしょう。
 

日本の教会は勝利する教会か、または、前進し続け、発展し続ける教会か?
色々な答えがあるでしょうが、数だけを見るとどうも発展しているようには思えません。信者も
増えないし、はたまた若い献身者も減っています。

発展していない、勝利していないとしたら、その理由は?
いわく牧師や信徒の質が悪いだの、不信仰だの色々意見があるかもしれませんが、
そんなこと原因とも思えません。

この箇所から見る限り、答えは一つ、日本の
教会がその陣営の中にバビロン、アメリカの外套を隠しもっているからなのです。

バビロン、アメリカの外套は日本のあらゆる教会に行き渡り、覆っており、
むしろ、バビロン、アメリカの影響を受けていない、教会の方が少ないと
思えます。

あらゆる形で、バビロン、アメリカの影響、外套は日本の教会を覆っています。
いわく教会成長、パーパスドリブンチャーチ、カテドラルチャーチの手法、
トロント、ペンサコ−ラリバイバルとあらゆるおかしな
波が日本の教会を覆い、結果日本の教会は、
もう敵に勝つことのできないものとなってしまったのです。

ここに書かれた、イスラエルの敗走、小さな町アイに負けて、
どこまでも後退、敗走していく軍の姿は、この小さな島国で勝利を得ることのできない、
日本キリスト教会の姿でもあります。

そして、その理由はひとつ、バビロンの外套が陣営に隠されているからに
相違ありません。

このことを対処することが肝要です。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
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