NO. 583 永遠の命を勝ち取る

テキスト:ルカ21:
16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、
17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。”
 

本日は、「永遠の命を勝ち取る」という題でメッセージしたいと思います。
終末の時代は、永遠の命の争奪戦であることを見ていきたいと思うのです。

終末の日は、聖書を読む限り、明らかに永遠の命の争奪戦、サバイバル戦の様相を呈しています。
もっと、はっきりいえば、多くのクリスチャンが自分の手中に収めていた、永遠の命を
奪われ、惑わされ、かすめられてしまう、その時が、終末の時と思われるのです。

終末の時がノアの時、ロトの時であるとの表現は明らかにこのこと、
終末の日に多くの人が永遠の命を失うことを現します。

ノアの時は、洪水により多くの人が命を失う時です。また、ロトの時は、
火が降ることにより、ソドム、ゴモラに住む全ての人が滅ぼされ、命を失う時の
話です。これらのことがらが終末の日とくらべられていると言うことは、
明らかに終末の日に多くの人が命を失う日といえると思われます。そして、
クリスチャンにとっての命とは永遠の命のことなのです。

かつての日、エデンの園のまんなかに現れ、ことばたくみにエバを惑わし、
命の木から追放した、すなわち、永遠の命から、引き離した時以来この方、
サタンの目的、方法は明らかに人を永遠の命から引き離し、
取り去ることにあります。

ですから、我々がサタンに勝つという時、永遠の命を勝ち取るということが
最大の目的、目標なのです。

このことを惑わされ、的外れな戦いにならないことが必要です。

かつての日、悪霊追い出しが成功し、有頂天になっている弟子に主はこう
いわれました。「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい。」

ですから、悪霊追い出しがいくらできても、また、しるしや不思議のゆえに、人々から、
拍手かっさいされても、しかし、永遠の命を失ったら、おしまいであり、
敗北であり、失敗なのです。

へぼ将棋は、王より、飛車や角を逃がすものですが、
我々が肝心の永遠の命を得られなかったら、これは、失敗であり、ただの損失なのです。

このことを念頭に上記みことばを見ていきましょう。
 

”16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、”

終末の日は永遠の命の争奪戦の日であり、サタンは永遠の命を奪うためにあらゆる
手段を使います。それが許される日なのです。
具体的には、主につく人々は、異端扱いされ、「両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られ」、
告発され、訴えられる日なのです。

それでも、主につき続け、永遠の命を最後に獲得するかどうかが、問われる日なのです。
しかし、ここで、あきらめて、妥協し、主を裏切り、反キリストを拝するようになるなら、
後の日に神の怒りを買い、火の裁きを受けるようになるでしょう。
 

「両親、兄弟」ということばにはたとえの意味合いがあるかもしれません。たとえを理解するなら、
信仰の父である牧師また、教会の
兄弟姉妹からさえ裏切られる日と理解できます。

共産圏のソ連や、中国においては、政府公認教会の牧師が信者を裏切り、告発し、
スパイ行為をするなどは、ひんぱんに聞くことです。

教会の牧師が信者を裏切ったり、告発したりなどとはあり得ないと思う人もいるかもしれませんが、
聖書に書かれていることは必ず実現することを知りましょう。

教会はすでにこの世の価値観を大いに取り入れつつあります。
いずれ、この世の常識に従い、主につく人を迫害するようになるでしょう。

原理主義者を告発、忌避するためのすりこみ、マインドコントロールがひんぱんに
なされています。そして、しらずしらず、この様なこの世の価値観を身につけた人々が
わけもしらず、原理主義者を非難するようになるでしょう。
原理主義者、英語でいうファンダメンタリストとは、少し前迄はほめことばであり、
堅く信仰の原則に立つ、妥協しない人々のことをさします。

教会において以前はキリストに忠実、みことばに忠実ということは、ほめられこそすれ、
決して非難などされなかったのですが、しかし、終末の堕落の教会においては、
みことばに忠実であるために、非難されたり、カルト扱いされる人々があらわれるでしょう。

中には殺される者もあり、」
 

その日、終末の日、主につく人々への迫害は激しく、その中には殉教も含まれます。

これを通して、終末の日の実態、永遠の命を奪うためなら、なりふりかまわず、
どの様な方法、手段、脅し、強迫をもってしても、妨害するという敵の強固な
意志を知りましょう。

永遠の命とはその様なものであり、また、我々を永遠の命から引き離そうとの、
敵の方法は熾烈なのです。

この日、殺される人もあるというのなら、我々は殉教を視野に入れた歩みを終末の日に
はしなければならないことがわかります。

敵が肉体の命を取るぞと脅してきたら、どう対応するのかどうなのかということは
終末の日を迎える私達が前もって決めておくべき、ことがらと思えます。

教会へ通ってクリスチャンになったのは、趣味や、時間つぶしなので、肉体の命を取られてまでは、
続けるつもりはない、ということで、その時点でクリスチャン信仰を投げ捨てるとかそうしないとか、
前もって考えておくべきなのです。

私個人のことをいわせてもらうなら、殉教は、想定内であり、たかだか、肉体の命を失うことと引き換えに永遠の命を失う、そして、金持ちみたいにハデスで火で苦しむなんて、全く望んでいませんので、
当然殉教を選ぼうと思っています。

17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。”

    
繰り返していいますが、終末の日はサバイバルゲーム、永遠の命の争奪戦の様相を呈しており、
敵は我々から、永遠の命を奪うためにあらゆる手段を用います。その
中には、キリストを真に信じ、真実とする者は何と「みなの者に憎まれる」という迫害もあるのです。
世の中の人から、キリストの名のゆえに憎まれるのは、今さら驚くことではありませんが、
明らかにこの「みなの者」には、クリスチャンが含まれます。
ですから、「キリスト教会において、キリストのゆえに迫害を受けるその時でも、
主についていくのかどうか」その選択があるのです。

「キリスト教会において、キリストのゆえに憎まれる」なんて前代未聞、ありえない話に思えますが、
今の様な背教の時代、逆転の時代には、それこそ何でも起こり得ると思えます。
 

かつての日、私達の最初の先祖が惑わされ、結果、命の木、永遠の命の象徴と思われる木から、
追放されてしまった日にエデンの園の真ん中に巧妙なペテン師、偽りの天才みたいな
存在、魔術師みたいな存在が現れました。それは、サタンであり、彼はなんと、神のことば、
「この木の実をとって食べると死ぬ」とのことばをいいかえて、全く正反対のことば、
「この実を食べても決して死ぬことはない」なんて語り、その上、驚くべきことには、人間
エバにそれを信じ込ませたのです。彼女は自らの手でその実を食べ、結果死にました。

何ともすさまじいペテン、嘘つき、天才の嘘つきであると思えます。
しかし、この天才詐欺師が再び登場し、多くの人から永遠の命を奪い去る、それが、終末の日であることを知りましょう。
 

神のことばのいっていることと全く正反対のことを信じ込ませたこの詐欺師が、
再び、活躍し、何とキリスト教会のド真ん中で、「キリストの名のゆえに迫害する」というあり得ない嘘を実現するようになるのでしょう。

どの様にして、ということはまだ私には正確には、わからないのですが、
今見えることは、教会内でしきりにイエスの存在、語った言葉、聖書の記述に疑問を持たせる様な動きが起きていることです。

ダビンチコード、またマグダラのマリヤと家庭を持ったイエスの墓の話など、
しきりにイエスを嘘つき者呼ばわりするためのヨタ話が大々的に宣伝されています。
これらは、真にキリストを知る人にとっては取るに足らない嘘、論じるのも馬鹿らしい、あほ話なのですが、
悲しいかな世は民主主義の時代、わかっていない人の方が数は多いのです。いずれ、
嘘話、偽り話の方が、正しい話として、席巻するようになりそうです。
その中で、堅く主につく人々は原理主義者、カルトとして、非難されるのでしょう。

しかし、これは、一面艱難の時の様に見えますが、しかし、それは、また
多くの人の真の心があらわれるべく許された試練、試験、試みの日であることをも知りましょう。
多くの人はこの試験の日に耐ええず、偽りに荷担し、主を冒涜することに荷担し、
結果永遠の命を失い、刑罰の火、ゲヘナの火へ直行します。

主につく人々は、ちょっと人から、非難されたり、悪口をいわれたからといって、
へなへな意志を変える様な愚かな人々になってはいけません。
この日は、私達の永遠の命を失うかどうかの瀬戸際の日なのです。

18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。”

ここでは、「髪の毛一筋も」失われることがないことが書かれています。
主は私達を守られるのですが、わざわざ髪の毛と書くことにより、何か隠された意味合いがあるようにも思えます。
髪の毛に関しては以下でも書かれています。
 
 

”マタイ5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
37 だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。”
 

ここでは、誓うなということと髪の毛とが関連ずけて書かれています。ですから、終末の日、
誓うことが永遠の命の分かれ目となる可能性がうかがえます。

誓うという行為が私達の運命をわけるのです。簡単にいえば、「反キリストや、冒涜的な
いざないに」対して、「誓う人」は永遠の命を失い、誓わずに留まる人は永遠の命を獲得します。
その誓いがどの様なものなのか、それは一回だけなのか、複数回あるのか、それは、今はわかりません。
その時まで、私が生き残って解説するということもまず考えられませんので、
何はともあれ、聖書のいうように「誓う」ことは、要注意であることを知りましょう。

研究者によれば、怪しい文書であるローザンヌ会議文書を始め、キリスト教会の
動き、会合、会議、ムーブメントはますます参加者、賛同者に、「誓いの署名」を
要求するようになっています。これらの誘いに吟味もなく参加して、
後で永遠の悔いを残す愚か者となってはいけないのです。
悪霊の第三の波の賛同者かつ2000年日本大リバイバル預言大外れの偽預言者など、
多くのヤバイ肩書きを持つヤバイお方、ピーターワグナーなどの嘘つき野郎が持ち上げる
ローザンヌ会議などをわけもしらず推賞すべきではありません。
研究者によれば、ローザンヌ会議は、エキュメニカル推進、悪霊リバイバル推進のとんでもない
会議の様です。
わけもしらずにローザンヌ賛成などと語るあほたれ福音派に追従すべきではありません。
 

”19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。”
 

さて、このことばです。終末の日は明らかに永遠の命の争奪戦、サバイバルゲームの
様な日です。永遠の命を奪うためのあらゆる脅し、強迫、揺るがし、
圧迫、困難が許されるのです。

その日、私達がすべきこと、正しくしらなければならないことは何でしょう。
それは、勘違いしないこと、失うべきものを失っても、しかし、もっとも大事なものは確保すること、
そのためには、全ての犠牲をも、肉体の命を失うことをも辞さないこと、そう私には思えます。

かつて主は命を失う、永遠の命を失うことに関してこういわれました。

”マタイ16:
26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。”

永遠の命を失ってしまったら、たとい全世界を得てもしかたがないのです。

「忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。」

忍耐と関係のあることばは何でしょう?
艱難やら、困難ということばでしょうか。

ですから、明らかに終わりの日には、困難やら、艱難が許され、その
中で、人々はよりわけられ、分別され、選別され、永遠の命にふさわしい人なのかどうかが試されます。

今のキリスト教会では、永遠の命の安売りみたいなあんばいで、
このことばは語られますが、その日、このこと、永遠の命を得ることが困難な日が来るでしょう。
それは、教会の冒涜、背徳のゆえです。
 

永遠の命を失うとどうなるのでしょうか?何も得られず、私達は無になるのでしょうか?
聖書を読む限り、そうでもないようです。
死後のことについて明らかに語る「金持ちとラザロ」の話では、
2種類の人、2種類の運命についてしか記されていません。
すなわち、アブラハムのふところで慰められるかはたまた、金持ちの様に火で苦しむか。
ラザロが永遠の命を得る人の型、代表としたら、
金持ちは永遠の命を得られなかった人の型、代表的な姿となるのでしょうか。
ということは、永遠の命を得られなかったら、私達は、金持ちの様に火で苦しむ可能性があるのです。
まことにこのことは、必須です。

今は教会は永遠の命の大安売りの様な状況ですが、いずれ、このことに
関してもききんが来るでしょう。
永遠の命を得ることが非常に困難な時代がやってくるのです。

このことは、全てに関していえます。
みことばや聖霊の働きに関しても言えます。以下の黙示録の
ことばは明らかに終末の日にみことばのききん、聖霊の働きの
ききんが来ることを述べます。

”黙示録6:5 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
6 すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。”
 
 

小麦一枡が一デナリ。大麦三枡も一デナリという大変な金額で、麦、すなわち、みことばを
得なければならない時が来、またオリーブ油とぶどう酒に害が加えられる日が来るのです。
それは、神の民の冒涜のゆえです。彼らが、みことばを軽んじ、みことばに逆らい、反抗するゆえ、
みことばのききんの時が来るのです。また、聖霊を悪霊よばわりするため、
聖霊の働きが消えるのです。

同じく、人々が神の御子の血のゆえに与えられたあがないやら、永遠の命を軽んじ、どうでも
いいもののように扱う時が来ます。そして、その冒涜のゆえに、
今迄誰でもクリスチャンになれば、当然与えられるはずだった、永遠の命を得ることが難しい時代が来るのです。

これから、「忍耐によって、自分の(永遠の)いのちを勝ち取」らなければならない
日がやってくるのです。

私達はそんな時代をこれから迎えようとしているのです。

終末の日がノア、ロトの時の様だとのことばは、この事実と符合します。
ノア、ロトの時は、命と言うことを考えるなら、多くの人が命を失った時です。
終末の日も多くのクリスチャンが今迄当然のものと思っていた
永遠の命を無念にも失う日となるでしょう。
その日は定められ、聖書に明確に記されています。この警告を受け、
備えをなし、忍耐により、永遠の命を勝ち取る人は幸いです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
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