NO.581イエスを罪人の一人と数える


”テキスト:ルカ22:35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」”
 

本日は「イエスを罪人の一人と数える」という題でメッセージをします。
上記テキストの中で、主は、「わたしにかかわることは実現します。」といわれました。
言わんとしていることは、キリストに関して聖書に書かれたことは、全て成就するということです。
さて、このこと、イエスの時代に起きたことは再度終末の日に繰り返されます。

ですから、「イエスを罪人の一人と数える」ということも再度繰り替えされると思われるのです。
このことを見ていきましょう。

テキストに沿って見ます。

”35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。”

終末の日に「イエスを罪人の一人と数える」ということは再度繰り替えされます。
その日の特徴は、もう普通の教会時代と異なる時代であること、また、弟子は、
財布、袋、剣を用意しなければならない日だということです。

何故弟子は財布、袋、剣を用意しなければならないのか?
私はこう思います。

かつての日、教会時代においては、常識が通用し、主の弟子を経済的に支えること、
援助することは、教会内で勧められ、その結果、主の弟子は、財布も袋も用意しないでも
食べていけたといえます。

しかし、終末の日、教会の情勢は一変し、獣の印を受けた者しか奉仕できなくなります。
それゆえ、主の弟子は、財布、袋を用意しなければならないのです。

さらにまた、「剣を買いなさい」といわれるように、剣、みことば、教理に関する戦いにも備えなければなりません。終末の日は、弟子にとり、戦いの日なのです。
 
 
 


37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」”

さて、このことばですが、この様な終末の特殊な日の中で、イエスが「罪人の一人として数えられる」
ことが成就するのです。

さて、イエスが罪人の一人として数えられるということを考えてみましょう。
たとえば、以下の例を考えればわかりやすいでしょうか。

アメリカ人として数えられる。
 

ジョン君がアメリカ人の一人として数えられるには、彼が
白人だったり、英語を話したり、また、アメリカ生まれだったり、いくつかの理由がありますが、
それらの理由に基づき、彼はアメリカ人として数えられるのです。

同じ意味合いで、イエスが罪人の一人として数えられるという時、イエスには
確かに罪が在るとみなが認めることをさします。
事実、彼は罪人として訴えられ、罪人が通常受ける刑罰、十字架刑で死にました。
彼が死ぬとき、その右左には、犯罪人がつけられ、彼らとともに死んだのです。

彼は罪人として数えられ、そうみなされ、その様に扱われ、死を迎えたのです。
このことは、かつて起きたことですが、終末の日に再度再現すると、理解できます。
再度、キリストを犯罪人扱いすることが再現するのです。

このことは、具体的に現在起きつつあると思えます。
今起きつつある世界の動きは明らかにイエスを侮辱し、非難し、そして
彼には罪があったと偽りの非難を向ける方向に動いています。

ダビンチコードやら、イススの墓に関する映画はイエスを罪人、すなわち、大嘘つきであると
宣伝するのに大いに用いられています。

彼らはイエスは実際には、十字架にはついていない、逆にマグダラのマリヤと結婚して
子供までもうけていた、と証拠迄ねつ造して語ります。
唯一罪のない方として聖書が語るイエスを偽善者、嘘つき、犯罪者であると語るのです。

すでにいくつか、この様なことは起きていますが、終末に向けてさらに
このトレンドは増してくると思われます。
すなわち、この世のトレンドさらに堕落した教会のトレンドは、さらに
イエスを罪人とみなす方向に進み、
最後には、彼が罪人であることは、確定的な事実とみなされるのかもしれません。

そんな日が来ることは、我々クリスチャンは望んでもいないし、期待してもいませんが、
しかし、かつての日、イエスの時代に起きたことを思い返すなら、その日は想像できます。
かつての日、当時の神の国、唯一神が選んだ、ユダの国の中で、神の子イエスは、
何と「罪人、犯罪人」の一人として死刑まで受けたのです。
比喩的に罪人といわれたというのではなく、まさしくその身に犯罪人の受ける刑、
十字架刑まで受けたのです。そして、それは、当時の神の民の不信、
冒涜が絶頂まで到ったことを如実に表します。

このことは再現すると思われ、終末を預言する黙示録にも再度
十字架が登場し、黙示録11章には、「彼らの主もこの都で十字架につけられ」れることが
語られています。
 

ですからこれからのトレンド、教会の方向の一つは「イエスを犯罪人扱いする」という
方向であることを知りましょう。

主に対してまた、主のことばに関する攻撃も次々と起きつつあります。
聖書のことばを差別用語だとして書きかえる働きはその前しょう戦、前触れと理解できます。
らい病とのことばは、差別用語だけしからん、ツアラトに置き換えろ、
なんていう風にもっともらしく聖書書きかえをはじめていますが、
いずれ、もっと大胆な書きかえが進むでしょう。
性同一障害の人々を攻撃する聖書用語はけしからん、全面的に書きかえろなんて言い出すのでしょう。
要は同性愛を認めろということです。
 

「わたしにかかわることは実現します」

イエスの時代、主に関わることは良いことも悪いこともことごとくすべて成就しました。
処女降誕も、ベツレヘムでうまれることも、はたまた、福音を伝えることも、
そして、罪をあがなうために死なれることも成就したのです。

ですから、私達はキリストに関して書かれたことばは全て成就すると言う、はっきりとした、
聖書のポリシー、立場、表明、実現性を正しく正しく理解しなければなりません。

何故か?それは、主キリストに関する預言の後半部分、再臨やら、黙示録時代の
裁きの時代に入るからです。この時代に入ったとしても聖書のポリシー、方法には何らの変化もなく、イエスに関わることは全てはじからはじまで、全く成就することを知りましょう。
というより、すでにいくつかの黙示録のことばは成就しつつあるのです。
しかし、盲目であるためにそれが見えないクリスチャンが多いのです。

イエスに関わることは全て成就する、このことを正しく知るとき、
これからの時代に起きることがわかってくるでしょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
  -----------------------------7d71b334301aa Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream