NO.574 律法学者とゲヘナ(3)


”テキスト:マタイ23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。”

本日は、「律法学者とゲヘナ(3)」という題でさらにこの件に関して、見ていきたいと思います。
 

テキストに沿って見ます。
 

”27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、

 
 

ここで、主は、偽善の律法学者、パリサイ人たちを非難しています。
彼らを忌まわしいものであると語っているのです。

それは、彼らが白く、塗られた墓の様なものであり、外側のみきれいでも、
内側は汚いものに満ちているからということです。

この律法学者への非難は、そのまま現在の愚かな偽善の聖書学者、神学者への非難でもあります。
もったいぶったことばで語っていても、その内側は汚れた思いに満ちていると主はいわれるのです。

そんなわけで、今、聖書学者、神学者などと呼ばれ、かつ偽善の人々には、明らかな未来が
約束されていることを知るべきです。それは、ゲヘナの火であり、彼らへの裁きとして、その火が待ち受けています。その日、愚かな阿呆たれ神学者どもは、天には確かに裁き主がおられ、
その方は確かにこのことばに沿って裁かれることを知るのでしょう。

その様な未来が確定済みの等身大の姿勢で学問に励む学者がおり、また、その様な同志の社の学者がおり、
はたまた、西南の方にもその火をめざす学院があるとか、アホ山学院もあるぞとか、色々人からうわさを聞いていますが、
私はそういうことにはうといので、残念ながら、そうきいても何のことやら聞いてもさっぱりです。はい。
 
 
 

”28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。”

彼らの見ているのは、この世のこと、見えることのみです。人前だけです。
しかし、主は隠れたことをも御存知です。
 


29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。”

さて、ここでは、「偽善の律法学者、パリサイ人たち」が、
預言者の墓を立てることが書かれています。彼ら、偽善の律法学者、パリサイ人たちは、
預言者の墓を立てる以上、預言者を尊敬し、それを殺した先祖たちを非難しているのですが、
しかし、主は、その様に語る彼らこそ、預言者達を殺した仲間の子孫であると非難しているのです。

彼ら、偽善の律法学者、パリサイ人にとっては、その様な主イエスのことばは、いいがかりとしか
思えないのでしょうが、しかし、主はその様に、お前達こそ、預言者を殺した者たちの子孫だと、断言しているのです。

ここで教えられることは何でしょうか?
一つは、実際にその場にいない限り、誰も自分だったらこうする、ああするなどとは、いえないということです。
偽善の偽善の律法学者、パリサイ人たちは、
『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』などといいますが、そうではない、お前達みたいなものこそ、預言者迫害、殺害の張本人になるのだと主はいわれるのです。
 


33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。”

これらの偽善律法学者、パリサイ人は、自分の罪、偽善のため、何が善か悪か、理解できず、
結局罪を犯し、その報いとして、ゲヘナの刑罰を受けるのです。
だからこそ、主は「おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」と、
彼らにとってゲヘナが指定席、最優先席であることを述べられたのです。

事実この時代の彼らは盲目となり、バプテスマのヨハネを非難し、また主イエスを十字架で殺し、
その後、ゲヘナで急行便で送られました。
彼らが死ぬや否や、ゲヘナの火が待っており、火の裁きへ最速のスピードで直行したのです。
そして、それがまた、現在の神学校で、同性愛推進、フエミニズム神学等、もろもろの
冒涜に励む、尊い先生方、等身大の神学やら、学問にいそしむ
ドあほ教授ども、あほ学生どもを待つ未来の輝かしい運命でもあります。

さて、この手の勘違いは昔も今もよくあるものです。自分達が、主イエス殺しの大罪に加わりながら、
『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』
なんてことを述べる、偽善の律法学者、パリサイ人は全く自分をわかっていませんでした。
同じく、今、マザーテレサやエキュメニカルに賛成しながら、靖国反対など、
聞いた様なことを叫んでいる人々も自分をあまりよくわかっていない気がします。

彼らはエキュメニカル運動に潜んでいる偽善やら、また聖霊の第三の波に含まれる悪霊の
動きなどには全く気付きません。それは、彼らが真の善や、真理の人でなく、
善らしきことを粧っている、演じているただの役者に過ぎないからです。

西郷隆盛を演じている役者は、ふりをしているに過ぎず、本人ではないので、
本人の心まではわかりません。
同じく、偽善者は善のふりをしているに過ぎないので、
今の時代における正しいことがわからないのです。
彼らが真に善を行っていれば、当然わかること、理解できるはずのことがわからないのです。


34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。”
 

偽善であるがゆえに、善と悪との区別がつかず、自信満々で義人を迫害する愚かな偽善者、
律法学者について書いてあります。彼らは、主から遣わされた預言者、知者、律法学者を迫害します。このことは、終末においても同じです。

あほたれ同志系の神学者などは、すでに同性愛は問題ない、終末論は、環境破壊を容認するなどとの
舶来あほ論議をまともに受け入れ、何の吟味もありません。少しは聖霊の声を聞けばわかるはずなのですが、偽善者、正しいふりをしているだけのあほどもなので、わからないのです。
この手のあほ神学者、あほ学生どもが義人迫害の急先鋒となり、いずれ、優先的にゲヘナへ
送られるようになるのでしょう。

”35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。”

この主イエスの時代は、大変特殊な時代であり、それは、旧約の最後の背教、冒涜のきわみに達した世代でした。結果、全ての過去の罪、血の報いがこの世代に来ました。
そのため、この世代は、主イエスを十字架で殺した後、西暦70年、ローマの攻撃により、
エルサレムの住民は最後の一人まで殺されたのです。
その時、ユダヤ全土で110万人が殺されたといわれています。

確かに、主のいわれた「地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来る」との
預言、警告は文字どおりに、正確に冷厳に成就したのです。

さて、このことは、また終末の日の預言であることを知りましょう。
新約の教会時代においても多くの義人の血が流されました。その血の報いを受ける特別な
世代が教会時代の最後に登場することを理解しましょう。

これから起きることはかつての日、主イエスの時代の再現です。
かつての日、主イエスの時の問題は、聖書の専門家であるはずの律法学者達が偽善であり、その結果、盲目となり、自分の常識に従って、ものごとを判断し、結果ナザレから起きた新興宗教の教祖と
思われたイエスを理解できず、悟れませんでした。結果、彼を死に追いやり、そのため、律法学者達は、
激しい神の裁きの中で、ローマにより滅ぼされました。その上、死後、ゲヘナが待っていたのです。

同じことは終末に起き、終末の偽善神学者、偽善牧師などは、正しい義人を理解できず、
カルト扱いするようになり、死に追いやるでしょう。
結果は、同じくゲヘナの裁きとなるでしょう。

この箇所を客観的に理解するとどうしてもこの様な結論になります。
無理のない結論と思われるのですがどうでしょう?

その様なわけで、終末の日、神学者やら、みことばの専門家になることには、多くのリスクがあることを知っておきましょう。正しく主のみこころを行うなら、大きな祝福があるでしょう。しかし、
偽善であり、神のこころをとらえられないなら、その報いは明らかにゲヘナの火です。

等身大の神学をめざす人やら、同志とともに神学をめざす人はよくよく気をつけましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
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