No.572律法学者とゲヘナ

〜御言葉、聖書の専門家であっても裁かれ、ゲヘナ、燃える火の裁きに会うことを見ていく〜

 

【テキスト】マタイの福音書23:1317

13.しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。

14.〔忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。〕

15.忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。

16.忌わしいものだ。目の見えぬ手引きども。あなたがたはこう言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』

17.愚かで、目の見えぬ人たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。

 

 

本日は、「律法学者とゲヘナ」という題でメッセージしたいと思います。

 

 

私たちは、すでにクリスチャンであっても死後裁かれ、その結果次第で、火の裁きに会う可能性があることを見ました。

 

本日は、さらに御言葉、聖書の専門家であっても裁かれ、ゲヘナ、燃える火の裁きに会うことを見ていきたいと思います。

 

上記テキストの、「自分より倍も悪いゲヘナの子にする」とは、明らかに偽善の律法学者、パリサイ人たちは、燃える火のゲヘナの裁きに会うことを述べます。そして、それは、また、新約の律法学者、すなわち聖書学者も偽善であり、誤った教理を述べているなら、ゲヘナの裁きに会うことを述べているのです。この箇所を見ていきたいと思います。

 

 

13.しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。

 

この箇所では、律法学者、パリサイ人たちが御国に入らないこと、人々を入らせないことが書かれています。

 

しかし、律法学者、パリサイ人は誰でも悪いと言っているのではなく、しかし、「偽善の」律法学者、パリサイ人たちには問題があることが書かれています。

 

 

それで私たちはこのことを理解すべきと思います。律法学者、パリサイ人の仕事、今で言えば、教会の牧師やら、聖書学者の仕事は、偽善、すなわち隠れて罪を犯すつもりなら、すべきではない仕事だということをです。

 

もし、私たちが、偽善者であり、正しいという仮面をかぶっているだけなら、この奉仕には不適格です。逆に「人々から天の御国をさえぎって」しまいます。

 

 

御言葉の奉仕につき、その結果、人々から天の御国をさえぎってしまうということを考えてみましょう。

 

これは、患者が来れば必ず殺す医者、客が来れば、毒入りの食事で殺す食堂の店主みたいに、とんでもない話なのですが、しかし、明確に主が語っている以上、これは事実であり、そのような奉仕者が存在するのです。

 

それで、よくよく私たちは現代の律法学者である聖書学者の言うことを吟味しなければならないのです。

 

やぶ医者に気を付けなければ肉体の命が危ないように、偽善な律法学者、すなわち偽善な聖書学者のことばを真に受けると永遠の命が危ないからです。

 

度々指摘していることではありますが、現在、キリスト教会で語られている教理の多くは、無茶苦茶であり、混沌であり、盲人のたわごとばかりです。

 

 

たとえば、聖書は明らかに終末の日における新約の神の民の背教、冒涜、また、結果としての裁きについて警告しているのですが、現在のキリスト教会では、全く逆のことが語られています。

 

いわく教会は益々祝福されていく、終末の日に艱難が起きるが、それは、皆、ユダヤ人に関することで教会は関係ない、艱難の前に挙げられると語っているのです。

 

また、聖書は明らかにクリスチャンであっても罪を犯すなら裁かれることを語っているのですが、現在のキリスト教会の教師たちはこぞって、クリスチャンと名が付けば、決して裁かれることはないと語っています。

結果、誰も悔い改めず、そのために、彼らにとって、天の御国がさえぎられてしまうのです。

 

 

マタイ13章では、毒麦は集められ、火で焼かれることが書かれています。また、悪い魚も集められ火で焼かれることが書かれているのです。

 

麦も魚もクリスチャンと関係のあることばであり、明らかにクリスチャンの裁きを語っているのに、しかし、このこと、クリスチャンの裁きを語る人がありません。皆良いこと耳障りの良いことのみ語っているのです。

 

結果として、天国へ自分も入らず入ろうとする人をも妨げてしまいます。

 

「自分も入らず」とは非常にショックなことばです。

言わんとしていることは、一生懸命、毎週毎週説教をしてきたが、しかし、そのメッセージをしてきたその結果、報いとして御国に入ると言うのではなく、逆に神の怒りを買い、結果、火の裁きに入ると言うことなのです。

 

人が死んだ後行くところは、金持ちとラザロの箇所から見るかぎり、たった2つしかありません。すなわち、慰めの場所と火の裁きの場所、ゲヘナです。

 

そして、何とここで書かれている、偽善律法学者は、そのゲヘナへ入ると言うのです。

 

 

今日本でキリスト教の教職に着いている人で、儲かっている人、金持ちの人などほとんどいないでしょう。皆、この世の繁栄や、富や名声を捨てて、その職に着いたのです。

 

その志や良し、しかし、その結果がゲヘナでは、たまったものではありません。そうではあっても、明らかに偽善の律法学者、パリサイ人は、ゲヘナの燃える火に入ることがここでは、記されているので、万一にもそんなことのないように、神のことばの務めについている人々は、再度自分自身を顧みるべきなのです。

 

 

この職は神御自身の裁きと直結しており、まかり間違えるととんでもない裁きをこの身に受けることをよくよく理解すべきです。

 

間違ったことを言うと、天国の報いが少し減るというレベルの問題ではなく、「自分も入らない」、すなわち、御国には入らない、そしてゲヘナへ入ると言うのです。

 

「これは旧約の律法学者、パリサイ人のことだ、新約の我々とは関係ない」、などと呑気なことを言っている場合ではありません。

 

なぜ、この箇所が新約聖書に書かれているのか、よくよく考えるべきです。旧約時代に生きた、ユダヤ人たちは、新約聖書を読みませんでした。新約は、今の私たちクリスチャンが読む書として、与えられたものです。

 

 

そして、我々クリスチャンはこのマタイ伝の箇所を繰り返して読みます。これは、我々への警告として与えられたものであり、キリスト教会の律法学者に当たる聖書学者や牧師、教師も全然間違ったことを教えていくのなら、天国に「自分も入らず」、逆にゲヘナの裁きに会うことを知るべきです。

 

 

どんな人がゲヘナに直結する聖書学者、牧師なのでしょう?復活はなかった、進化論は正しい、同性愛を聖書は認めているなんて言っている人は、私の感覚では、まず間違いなくゲヘナに直行、もしくは、ゲヘナに優先席が用意されている人々でしょう。

 

 

「はいろうとしている人々をもはいらせないのです。」

 

律法学者は、天の御国に入ろうとしている人を、入らせないことが書かれています。一体このことは、どのようにして実現するのでしょうか?考えてみましょう。

 

 

同じ聖書のことばでも律法学者、すなわち聖書学者や牧師の説明、メッセージ次第で、まったく異なる受け取り方になります。

 

結果、聖書を一生懸命読み、学びながら、結果として、天の御国に入れないという非常に皮肉な結果になるのです。

 

聖書には、明らかに十戒の中で、「何の偶像をも拝するな」と書いてあるのですが、巧妙なカトリックの律法学者、聖書学者は、「マリヤの像を礼拝するのではなく、崇敬しているのだから問題ない」などとマリヤ像への礼拝を正しいものと語ります。

 

そんな嘘を見抜けないカトリック信者は、偶像崇拝、悪霊崇拝の罪で、死後誰も彼も天の御国に入らずゲヘナへ直行しているのです。「聖人になる」どころか、ゲヘナで、偶像崇拝の罪の罰を受けるはめになるのです。

 

 

このようにして、カトリックの嘘つき聖書学者どもは、信者から、天の御国を妨げているのですが、悲しいかな、この嘘に気付くカトリック信者は皆無です。皆、誰も彼も天の御国に入れず、泣叫び、歯がみしながら、その日、このことに気付くのでしょうか。

 

このことに対して誰が悪いのか?彼ら聖書の教えを守らない愚かなカトリック教徒には、あの「ラザロと金持ち」の金持ちへのことば、「彼らにはモーセと預言者がある、彼らに聞くべきである」とのことばが与えられるでしょう。

 

モーセと預言者、すなわち聖書のことばに聞かなければ、金持ちと同じように、カトリック教徒も火の裁きに会うのです。

 

聖書のことばを投げ捨て、嘘つき法皇の創世記否定(進化論擁護)、マリヤに関する異端教理を彼らが受け入れているために、ゲヘナの火は彼らに対して燃え上がり、うじも尽きることがないのです。

 

教会に長年通いながら、その結果は火の裁きと言うほとんど絵に書いたようなクリスチャン人生を歩む愚かな人々、それが神の御言葉を投げ捨てたカトリック信者の現状であることを知るべきです。

 

このような混沌と混乱と不信の時代には、自分の身は自分で守らなければなりません。政府が信頼できたのは、大分以前の話であり、今は眉唾です。狂牛病になること請け合いのあのアメリカ牛肉を日本の政府は許可し、日本に流通させることを決定しました。彼ら政治家の目は、日本の国民のことなど、何も見ていないことがこのことを通してよく分かります。

 

医者も先生も信用できなくなりました。そして、それは、教会も牧師も神父も法皇もそうなのです。教会は不変なのではなく、教会こそ、言うことが変わるのです。

カトリックの教理など、過去何度も変わり、お互いに矛盾し合う教理が過去何度も法皇、間違いがないはずの人から、発せられています。

 

しかし、唯一変わることのないのは、天地が滅んでも過ぎ去ることのない神のことばなのです。我々は死後、神の前で、御言葉に従って裁かれることを知らなければなりません。

法皇のことばによってでも、教会の教えによって裁かれるのではないのです。

 

 

14.〔忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。〕

 

ここでは、偽善の律法学者、パリサイ人たちの別の問題、すなわち、やもめの家を食いつぶすという問題について書かれています。

 

やもめの家を食いつぶすとは、具体的には、たいして、お金のないやもめの家に行ってたらふく飯を食って、経済的に破たんさせる、そんな風に理解できます。

 

それは第一義的な意味合いであり、たとえの意味合いは、やもめ、すなわち地上の夫を持たず、天にいる真の夫、キリストのみを頼りにしている人々の食べ物、パン、すなわちメッセージ、教理をも食い尽くし、何も食べ物がない状態、何一つ受けるべきメッセージがない状態にするということを語っています。

 

 

今もまさに偽善のメッセージが花盛りの時代であり、耳にはやさしい、しかし、ゲヘナにも直行という、痛し痒しのメッセージが氾濫しています。

 

いわく

*みことばを文字どおり受け取る必要はない、良きサマリヤ人のたとえで「あなたも行って同じように行いなさい」と言われているが、「行う必要はない」と語る福音の総合理解

 

*すべて、クリスチャンと名が付けば、決して、裁かれたり、ゲヘナへ行くことはないと語る、おかしな教理

 

*世の終わりにはたしかに艱難時代は来るが、その前に教会は挙げられると語る、嘘つき2段階携挙説

 

 

これらは、真摯に神のことばに従いたいとするやもめの米びつを空にし、ろくでもないパンで満たしています。しかし、このような偽善メッセンジャーに対して、「ゲヘナは近いぞ」という警告が語られていることを読み取るべきです。

 

 

以下のことばはそれを語っていないでしょうか?

 

「ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」

 

ですから、この奉仕、神の御言葉の奉仕とは、何とも恐るべき奉仕であり、間違える時、結果は重大なものであることをよくよく理解すべきです。

 

かつての日の偽善の律法学者、パリサイ人たちすなわち、自らの偽善のために目が曇らされ、神の言葉の恐るべきことを理解できず、トンデモメッセージを次から次へと口からでまかせに語っていたメッセンジャーたちに対して、主は明らかに「あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」とゲヘナ確定のお墨付きを与えました。

 

同じく今の時代の偽善の律法学者、パリサイ人たち、すなわち「地獄は在りません、神は愛なので、神の子である、クリスチャンに厳しい裁きを与えません」などとヨタ教理をとくとくと語る、偽善のカトリック神父たちにこのお墨付きが与えられています。

 

また、同じく神は愛なので、「教会を艱難に会わせないため、その前に挙げます」などと起こりもしない、嘘をとくくと語る偽善、牧師などについて、この恐るべき警告が与えられているのです。

 

新約のことば、偽善の律法学者、パリサイ人たちへの警告はまさに今の時代の偽善メッセンジャーのために、特別に書かれたものであることを理解すべきです。

 

 

繰り返して言います。この様な偽善者対して、「ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」と語られているのです。

彼らは自分の偽善のため、今の時代を見分けられません。また、神の怒りが天から啓示されているのですが、それを理解できません。

 

偽善であるために、口では分かっているようなことを言っていますが、何も理解していません。根本的な理解、感覚、認識がないのです。

 

 

15.忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。

 

ここでは、偽善の律法学者、パリサイ人たちが一生懸命、改宗者をつくっている、そのために、あちこち巡り歩いて活動している、それらの努力の結果、やっと一人、神を信じた人ができた、それは良いようだが、

しかし、その改宗者の実態は、彼らの嘘をすっかり信じ込んだ、ゲヘナ直行のろくでもない信者である、そのことを語っているのです。

まことに偽善であり、神の意図をとらえきれず、聖書の意図をとらえきれない働き人は災いであると語っているのです。

 

さて、このように書かれている話を全く他人事と理解し、自分と関係あることと理解できない、それが今の時代の偽善のメッセンジャーの問題です。このことばは、まさに彼らに対して書かれているのですが全く理解しないのです。

 

 

「海と陸とを飛び回り」とは、今のことばで言うと「メッセージ、御奉仕のために、飛行機で世界中を飛び回る」ことを言っているのです。

 

あらゆるところで、クルセード、伝道集会、聖会、リバイバル集会、聖書講開、セミナーを開くということを言っているのです。

そして、その結果、それを聞いて救われる、信じる、教会に加わる人が出てくる、そこまではいいのですが、その後、教会で聞く話が偽りの教えばかりなので、新しい信者は、皆、ゲヘナへ直行する、その問題を語っているのです。

 

伝道は大事、人を教会へ招き入れることは大事なのですが、しかし、偽善のメッセージを語り続けるなら、結果は、ただ、ゲヘナ直行の信者を増やすだけであり、空しいと語っているのです。

 

ゲヘナ直行のメッセージをし、信者を自分に倍もまさるゲヘナの子にする牧師、教師、そんなことを今の日本の教会で言うなら、大変な問題発言なのでしょうが、しかし、他でもない主イエスの言われたことばなので、真面目に考えるべきなのです。

 

 

おおげさでなく、日本のキリスト教会には、多くのゲヘナ直行の信者がいます、そしてそれは、偽善牧師のヨタ話、妄想メッセージを真に受けたからなのです。

 

復活はない、再臨はない、地獄はないとこれらの偽善者どもは語ります。

すっかりその嘘を真に受け、自堕落な生活を送る信者はめでたくも悲しくも、倍まさるゲヘナの子となり、直行したゲヘナの火の中で後悔することになるのです。

 

そんなわけで、私たちは教会ならどこでも良い、礼拝のメッセージがあれば、どこでも良いとは、もう言えない時代にいることを知るべきです。偽善の牧師、教師の説教を毎週聞くなら、何と倍まさるゲヘナの子となり、ゲヘナへ直行することになるからです。

 

 

誰もそんなことを言わず、この危険について言わないので、私は声を大にし、大声で警告を発します。

 

偽善のメッセージ、偽善の牧師には気を付けなければなりません、なぜなら、私たちが失うのは、金や物ではなく、もっと大事なもの、永遠の命だからです。

 

いくら通ってもちっともやせないダイエット教室は、嘘つきですが、しかし、その教室も偽善牧師の教会にまさる嘘つきとは言えません。

偽善牧師、教師の教会は、天国を信者に約束しながら、着いたところが何と、ゲヘナの火の中なのです。とんでもない詐欺です。

 

笑い話みたいですが、このことは、現実に主イエスの時代、律法学者、パリサイ人により行われたことであり、今は再度偽善牧師により繰り返されています。

 

 

16.忌わしいものだ。目の見えぬ手引きども。あなたがたはこう言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』愚かで、目の見えぬ人たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。

 

ここでの問題は彼ら、律法学者、パリサイ人は、手引きでありながら、偽善のために目が見えないということです。

 

そして、それゆえに何が大切なのか分からない、そういう問題なのです。ここでは、黄金と神殿とどちらが大切なのか、理解できなかったのです。

 

 

同じようなことは、今も偽善の牧師、教師達のゆえに行われています。

 

たとえば、私たちは、すでにリバイバル聖会の中で、おかしな外国人の器が、「獣の印をつけろ」と叫んでいることを指摘しました。このことは大変なこと、非常に深刻なことと我々は理解します。このビデオは、いくつかのことを我々に語ります。

 

1.すでにキリスト教会の中心部にまで、悪魔的な人々が支配している。

2.黙示録で言う、獣のしるしをつけるとは実は霊的なものである。

3.多くのクリスチャンが獣の印、悪霊を受けつつある。すなわち、聖書の言う大洪水、悪霊の洪水は全地を覆いつつある。

4.悪魔礼拝者がクリスチャンを打ち負かしつつある。

 

しかし、残念ながら、このビデオの重要性を理解する人々はあまりおられないようです。それは、盲目になっているからではないかと思います。

逆にエキュメニカル、パーパス・ドリブン・チャーチなどは、人気があります。

 

さらに今の偽善牧師にはもう一つ問題があります。今の時代を見る目がなく、今が終末の時であり、神の怒りが神の教会、神の民に対して下ろうとしていることを見ることができないのです。

 

また、彼らは偽善であるため盲目となり、偽ユダヤ人をも見抜くことができず、偽ユダヤ人が回心して、イスラエルの国がクリスチャンの国となり、それから、再臨が来るなんていうインチキな教理を鵜呑みにしているのです。

 

これは、偽善クリスチャンを対象にかけられた壮大な嘘、網なのですが、全く見ることも気付くこともなく、うかうかと網にからめとられているのです。

 

 

まことにまことに盲人、偽善の盲人牧師、教師は災いであり、このような牧師に着いて行くと決まったなら、そのクリスチャンは不幸です。

 

この後はめでたくも、終末のシナリオ通り、反キリストを拝み、神の怒りを買い、これらのクリスチャンも偽善牧師とともにゲヘナへ投げ込まれることになるでしょう。

 

 

盲人を手引きする盲人とはよく言ったものです。

 

 

しかし、これを見る目、聞く耳を持つ人々はこれらの災いを避けて堅く主の前に立ち続けましょう。

 

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

 

−以上−