No. 567金の像を拝む(3)

キスト:ダニエル3:
21 そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
22 王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。
23 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。
24 そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」
25 すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
26 それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た。
27 太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。
28 ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。
29 それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
30 それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。”
 

本日は、「金の像を拝む(3)」として、この件をさらに見ていきましょう。

テキストに沿って見ます。


21 そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。”

彼らは「衣服を着たまま縛られて」炉に投げ込まれたことが書かれています。
衣服を着たまま投げ込まれたことに何かたとえの意味合いがあるでしょうか?

衣服は裸の恥をあらわさない、義の衣に通じるでしょうか。
だから、彼らはそのまま、義人、正しいものとして、
燃える炉の中へ入れられたのです。
 
 

”22 王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。”
 
 

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちはかえって、その火で焼き殺されてしまいました。バビロン王の命令は厳しく、またその危害を加える炉は熱かったからです。
同じ様にその終末の日、獣の国の王、すなわち、アメリカのリーダーによる「反キリストという一人物」を礼拝しないことに対する怒りや罰は大きなものであることを知りましょう。

このダニエル書の記述はかつてバビロンの日に王の建てた像を拝さないため、死罪に
処せられた人々がいたことを明らかに語っています。
そして、それは、終末の日の型であり、終末の日にも現代のバビロン、アメリカの建てた宗教的人物、
反キリスト、すなわち、地上においてキリストの権威を帯びている、キリストそのものだという人物を
拝さないために、死罪に処せられる人がいることを明らかに預言しています。

「そんな馬鹿な」「何を信じるか、礼拝するかは憲法で保証されている自由だから、
そんなことが起きるはずない」はたまた、「その前に教会は挙げられるから大丈夫」なんて
いう人もいるかもしれませんが、しかし、聖書のいうこのみが正しいのです。

聖書は明らかに終末の日に像、すなわち、反キリストを拝さない時、死罪をもって罰せられる日が
来ることを預言しており、我々はその日を念頭において、備えをなすべきなのです。


23 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。
24 そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」
25 すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」”

彼ら3人は、火の中に投げ込まれたのですが、その時、奇跡的な介入があり、彼らは焼かれませんでした。
それどころか、もう一人の人、神の子の様な人の助けさえあったのです。
 
 

”26 それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た。
27 太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。”

火は彼らを害することはできませんでした。
神はそのしもべを助けました。

”28 ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。
29 それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
30 それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。”

彼らは奇跡的に助けられ、それにより神は栄光を表しました。

終末の日のメッセージも同じものであると思えます。
あくまで、反キリストを拝さない人々は、集められあわやという時を迎えるのでしょうが、しかし、
キリストの奇跡的な介入がある、これがこの箇所のメッセージと理解できます。

もちろん、中には殉教する人もいるのでしょうが、しかし、この箇所では明らかに
あわやと言うとき、そのしもべを助けられる神:そのことが中心メッセージと理解できます。

終末の日のその日に関して全てはさすがに今はわからないのですが、しかし、私達はこの3人の
様に、「神は助けられる、しかし、たといそうでなくても反キリストの像は拝まない」という
態度を固守していきましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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