No. 566 金の像を拝む(2)


”テキスト:ダニエル3:8 こういうことがあったその時、あるカルデヤ人(土のかたまりを壊すもの)たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。
9 彼らはネブカデネザル王に告げて言った。「王よ。永遠に生きられますように。
10 王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。11 ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。』と命令されました。
12 ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」
13 そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク(
王族)、メシャク(
王の客〕、アベデ・ネゴ(ネボのしもべ)を連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。
14 ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。
15 もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」
16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
19 すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。
20 また彼の軍隊の中の力強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込めと命じた。”

本日は、「金の像を拝む(2)」として、更にこのテーマを見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。
 

”8 こういうことがあったその時、あるカルデヤ人(土のかたまりを壊すもの)たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。”
 

この日、バビロンの国でカルデヤ人がダニエルの友を訴えました。
カルデヤ人とは、「土のかたまりをこわす」という意味があります。土とは、石や岩に対して、
対照的な存在であり、弟子と対照的な人々と想像できます。
石や岩は、建物、すなわち、教会の土台たりえます。しかし、土しかも
壊され、崩された土は土台たりえません。
彼らは、この世に迎合し、聖書の基本的な教えもあやふやな、背教予備軍です。
終末の日には、この手の人々が大量に出現し、そして、真の神を拝する人々を訴えるわけです。
 
 


9 彼らはネブカデネザル王に告げて言った。「王よ。永遠に生きられますように。
10 王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。11 ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。』と命令されました。”

「角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音」と書てあります。
楽器は、礼拝の賛美、奏楽に通じ、これは、実はバビロン化した終末の教会における礼拝に
関することなのです。教会の礼拝において、金の像、すなわち、反キリストという一人の人物を
礼拝するかどうかという問題を取り扱っているのです。

どの様な策略を用いて、こんな日を彼らが出現させることができるのか、詳細はわかりませんが、
何はともあれ、聖書が繰り返し語るこの「教会において反キリスト礼拝をする日」は
必ずやってくると思われますので、私達は今から備え、その日、自分はどうするのか、
今から心を定めておいた方がよいと思われます。
この日をさして、聖書は「地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時」
黙示録3:10と語っているのです。
全世界を襲うので、誰一人この試練を逃れることはできないのです。今から、その日に、
自分はどうするのか、決めておいた方がよいと思われるのです。

残念なことに混乱と盲目が支配する、今の日本のキリスト教会においては、この日のための
備えを語る人々は、ほとんど存在しないように見えます。
逆にあの愚かなよた話、艱難の前に教会は挙げられる、だから備えは不要とでもいいたいかの
愚かな教理が大手を振っています。

彼らは聖書にないこと、書かれていない教えを吹聴し、人々を混乱させているのです。
 

” ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。』と命令されました。”

かつての日、バビロン王の絶対的権力の下で、金の像を拝むことは強制され、それを
拒否することは、死をもって罰せられました。これは、良い、悪いというより、現実に
歴史上に起きたことなのです。そして、その日が終末の日に再現することを聖書の多くの箇所が
語っているのです。それで、私達はその日のために備えるよう語るのです。
 

”12 ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」”
 

この日、バビロン王を無視し、その神々や、金の像を拝まないことは、大問題でした。
同じことが終末に起きるでしょう。アメリカが認定した、預言者、使徒など、
金の像、すなわち、信仰の器を拝さないことは、大問題になる日が来るでしょう。
 
 
 

”13 そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク(
王族)、メシャク(
王の客〕、アベデ・ネゴ(ネボのしもべ)を連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。”

かつての日、金の像を拝まない人々は、金の像により、殺されたのではなく、逆に
バビロン王により、怒られ、その前に連れていかれ、罰を受けました。
同じパターンが終末にも起きるでしょう。その日、反キリストが強権を発して、誰でも彼でも捕まえると考えるのは間違いでしょう。それより、終末の日のバビロン王、すなわち、アメリカの権力の
下で、信仰者は苦難を受けるのです。

この日捕えられた人々の名前も象徴的です。シャデラク(
王族)は、王すなわち、キリストに属する人のたとえと理解できます。メシャク(
王の客〕も同じ様な意味合いでしょうか。アベデ・ネゴ(ネボのしもべ)はよくわかりません。

”14 ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。
15 もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

 

この日、バビロン王は、「どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」と、語りました。
当時権勢の絶頂にあった、バビロン王がこの様にいうことは大袈裟ではありません。
その様な力が彼にはあったのです。同じことは終末に繰り返され、その日、世界ナンバーワンの
権力を持つ、獣の国の王は、自分達が立てた、金の像すなわち、キリスト教会の器を
拝するよう、多くの人に強制するでしょう。
そして、それを拒むなら、死をもって罰するというでしょう。
アメリカは軍事といい、政治といい、経済と言い、圧倒的な世界ナンバーワンの国ですが、
しかし、その支配はさらに強まり、その日、全世界のクリスチャンに対して、
自分の国でたてた器を礼拝するよう、強制します。

その建てられた器とは要するに反キリストのことなのですが、その人物は
、たとえばカソリックのヨハネパウロ2世、プロテスタントの ビリーグラハムの様に
いかにも信仰然とした人物と思われます。

はっきりいいます、政治的な人物ではないはずです。反キリストのねらいは永遠の命を持っている者達からそれを奪うことであり、ターゲット、目標は明らかにクリスチャンなのです。
レフトビハインドのいう、「ヨーロッパに起きる政治権力を持つ反キリスト」などというガセネタに惑わされてはいけません。繰り返していいます。反キリストは明らかに信仰の人として現れます。
決して決して政治的な指導者としては立たないはずです。私のいっていることをよくよく覚えておいてください。

黙示録の一つのテーマはわかりやすくいうなら、明らかに「永遠の命の争奪戦」であり、
クリスチャンを対象に書かれた書であることを正しく理解すべきです。

”16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。”
 

この時、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、3人の忠実なユダヤ人は、もしその様な苦難に
王が彼らを会わせたとしても、しかし、神はそこから、これらの人々を救い出すことができると宣言しました。このことばをハッキリと覚えて下さい。

私達はこのダニエル書を通して、終末の時に聖徒を迎える運命を知らなければなりません。
妄想や、空想ではなく、実際に起きることを正しく知らなければなりません。

この時、苦難に会った、3人はもうだめだ、たとえ神でも我らを救い出すことはできないとはいわず、
権力の絶頂にあったバビロン王に対して、神はバビロン王の手から、そのしもべ達を救い出すことができるとはっきりと宣言したのです。そして、この話の結末を見るなら、我々はそのことばが単なる強がりでなく、実際に実現することをも見ます。

ですから、この箇所の終末に対するメッセージは、「正しい人々は、終末の日、バビロン化した
アメリカの下で、反キリストを拝さないために聖徒は大きな困難に会う、しかし、主は奇跡的に
彼らを助ける」そのようなものであることを知りましょう。
 

”18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」”

さらに「もしそうでなくても」この像を拝まないと3人は言明しました。
このことばは、殉教を暗示することばと理解できます。ですから、終末の日には、やはり
殉教する人々もいるのです。このことをも理解しておきましょう。

”19 すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。
20 また彼の軍隊の中の力強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込めと命じた。”

この時、怒り、像を拝さない人々への罰、殺害がバビロン王の口から語られました。
王が怒り、王が罰したのです。像ではありません。
この順番は覚えておきましょう。
終末の日も怒り、罰するのは、バビロンの政治的な王、すなわち、アメリカの
リーダー、大統領なのです。
像すなわち、反キリストなる宗教的人物ではないのです。
彼はあくまで、善人ぶっった、宗教的人物として留まるでしょう。

このことをよくよく理解しておかなければなりません。
そうでないと、ガセ情報に惑わされ、その反キリストが実際に登場した時、
身誤ってしまうからです。

レフトビハインドを始めとする、終末のヨタシリーズは面白いもので、あらゆる終末の
教理に関して、反対のことを語っています。

獣の国に関してガセを語り(ヨーロッパという)、携挙の時期について、ガセを語り(艱難前という)、
反キリストの人物像(政治的な面を強調する)についてガセを語るのです。

聖書をろくに読まず、わけのわからない小説にうつつを抜かす愚か者クリスチャンはこんな嘘を
本気にしていきます。こんな
嘘本を売って、それを生活のかてにしている情けない、キリスト教出版社もアメリカにはあるとのことですが、彼らはこじきにまさる、まことに恥ずべき輩です。
彼らがゲヘナの裁きを免れるとは思えません。

しかし、私達にあっては、この方のことばを真実としていきましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
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