NO.559 反キリスト(2)

”テキスト:2テサロニケ2:
8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
14 ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。
15 そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。
16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
17 あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。”
 

本日は、「反キリスト(2)」としてさらにこのテーマを見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。


8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。”
 

その時とは、この箇所の前を見るとわかりますが、それは、「引き止めている者:聖霊」が取り除かれる時のことです。
取り除かれるとは、何か上品な表現ですが、要するに追い出されることなのです。
そして、この日は、あの7つ目の教会、ラオデキヤの教会に関する記述に象徴的に
記されており、その教会においては、主イエスは何と、家から追い出され、戸の外からたたいています。

イエスは追い出され、誰が家、教会の中心に座るかと言うと、それは反キリストなのです。
これは具体的には終末の日に行われる聖霊バスターズ、すなわち、聖霊を悪霊呼ばわりし、
聖霊に対して悪霊追い出しを行う情けない日のことをさします。

我々は反キリストの登場する日のことを知らなければなりません。そしてこの反キリストの圧倒的な
支配の日をも前もって知っておくべきです。
しかし、それのみ強調するのは片手落ちです。
ここに書かれているように、反キリストの支配は短いものであり、いずれ、
主の来臨があることをも知らなければならないのです。過度に反キリストを恐れ、
不信仰になったり、絶望的になることにはみこころがありません。
彼、反キリストは、いずれ、キリストの来臨の口の息で殺される運命のものに過ぎません。
ぶんぶん、飛び回っていてもいずれ
はえ取りでぴしゃっと叩かれてつぶされる運命の蠅みたいなもんです。いいとこ、蠅かゴキブリみたいなものなので、
こんなものを恐れて永遠の命を失うのはまことに愚の骨頂です。

”9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、”

不法の人、罪の人の到来とともにあらゆる「偽りの力、しるし、不思議がそれに伴」うことが
描かれています。
反キリストは、多くのクリスチャンをだまし、彼こそ、キリストの霊を受けたものだと
確信させます。しかし、多少は聖書を知っているクリスチャンをだますのは、
あまり簡単なものではありません。

詐欺師は詐欺師の武器があります。それらしい肩書きやら、大企業名のバックやら、
弁護士などを登場させて相手を信頼させるのです。
反キリストがクリスチャンをだまし、陥れるその武器は、しるしと不思議であることが
この箇所からわかります。
ですから、しるしと不思議に注目する人々は、それに惑わされていくのです。
 

それで、その日、反キリスト登場の日に
備えて今、あらゆる形で、クリスチャンへのマインドコントロール、意識改革が
行われていることを知るべきです。
 

意識改革とは?
すなわち、しるしや不思議が何かすばらしいものであるかの様に宣伝するムーブメントをキリスト教会に起こすのです。それは、具体的には聖霊の第三の波系のムーブメントです。ですから、
このムーブメントにはしかけ、たくらみがあり、そのたくらみは遠く反キリスト登場の日をみすえた
ものであることをしるべきなのです。
 
 

”10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。”

あらゆる悪の欺きがこれから行われることが書かれています。
あらゆる詐欺師の手段、方法、だましのテクニックが許される時代に入っていくのです。

ですから、これからの終末の時代は、今迄の常識が通用せず、偽りが横行する、
たとえ、キリスト教会の中心であっても大いに偽りが横行する時代になっていきます。

我々の意識を変え、常識に従って行動しないようにしないといけないのです。

たとえば、海外へ行く時は、日本での常識を変えなければなりません。
私は以前、エルサレムへ聖地旅行することができました。これは、非常に感謝な
経験でした。しかし、向こうへ行って、びっくりしたことは、エルサレムには、怪しい売人やら、
どろうぼうやらがたくさんいたことです。

物売りが平気で、人の財布を盗もうとします。私は財布を盗まれてはいけないとして、
ウエストポーチをつけていたのですが、それを開けて盗もうとします。
「海外では泥棒が多い」「日本とは違う」とは私も旅行前に聞いていたことばだったのですが、
それでも財布をあやうく盗まれそうになりました。

認識が甘かった、気をつけなければいけないと実感したしだいです。

さて、かくのごとく、私達は自分ではわかっているつもりでも、うまく環境の変化に対応できず、
失敗するものです。
これから起きてくる、「滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺き」に関しても同じであり、
よくよく気をつけ、意識を変えないと対応できないことを知りましょう。

偽キリストを信じる日のために我々の心は、日々備えられつつあり、
その日に向けてマインドコントロールされつつあるのです。
19世紀に始まった、あの偽りの教え、2段階携挙説は、その日のための一歩であり、
それをすっかり信じ込んだ人々は、次の嘘、2段階の再臨のうち、最初の再臨の
時には、キリストは霊として来臨するとの嘘にもやすやすと取り込まれていきます。
そして、最後の仕上げとして、「キリストの霊を受けた」と称する反キリスト様という
人間を拝む嘘に取り込まれていくのです。

そして、この嘘を信じ、人間を拝む愚に陥った人々は、神の怒りと裁きに入るでしょう。

その日を来たらすべく、あらゆる売り出しテクニック、人心掌握の術を心得ている人々により、その惑わしの日は、
着々と備えられているのです。

「彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。」

この日惑わされる人には、特徴があり、それは、「救われるために真理への愛を受け入れなかった」ことが書かれています。これはどんな意味合いなのでしょうか?

このことは、かつてのノアの時を思い起こせば理解できるでしょうか。
かつての日、洪水の前にノアは、「神が怒り、この地が洪水で滅ぼされる」との真理を語りました。
しかし、人々は、真理を受け入れることを拒み、結果洪水の裁きで滅ぼされたのです。
救いは真理に従ったノア達8人のみにありました。
同じことは、かつての日、主イエスの時にもありました。
その日、主は、エルサレムの上に来らんとする裁きについて述べ、悔い改めることを語りました。しかし、
妄想教理やら、根拠のない平安メッセージを語る律法学者、パリサイ人の偽りを喜んでいた
民衆はイエスを十字架で殺し、結果エルサレムはローマにより滅ぼされてしまったのです。
エルサレムの住民は最後の一人まで殺され、救われることはなかったのです。

さて、これらの災いは我々の警告として聖書に書かれていることであり、終末の日にさらに
大きな規模で際限することが予想されます。
 
 
 

終末の日、再度、真理を語る人々があらわれるでしょう。
艱難前携挙説は、ただのお伽話である、今リバイバルと称されているものは、悪霊集会に
過ぎない、教会は背教に向かっており、神の怒りは燃え上がろうとしている、そう語る人々が
あらわれるでしょう。しかし、偽りに目がくらみ、また偽りに安楽することに慣れた人々は、
それらの真理を愛することをせず、逆に拒み、排斥するでしょう。
そして、その結果、かつてのノア、ロトの時、また主イエスの時の様に、
裁かれる人々の群れに入っていくようになるでしょう。

自然は真空を嫌うとどこかで聞いたことがあります。
真空ということ、何にもない状態はない、別のことばでいえば、まったくまっしろ、
片寄らない、中立などということはあり得ないということなのかもしれません。

主イエスも似た様なことをいわれています。
「私とともに集めないものは散らすものである」

何をいっているのかというと、終末の日、真理が一気に溢れ出す日が来ます。
その時、中立と言うこと、まったくどっちにもつかないということはあり得ないだろうと
いいたいのです。

このみことばに立つ限り、その日全てのクリスチャンは、2分されます。
そして、中立だのどっちにもつかないということはあり得ないのです。
その2つとは、
1. 語られ、開かれた真理に聞き従う人々
2. 真理を受け入れず、結果惑わしの霊にやられ、反キリスト礼拝の道を進む人々、

全ての人は真理を真ん中にして2分され、誰一人、中立の立場になど立てないのです。
そのことを私はよく知っているので、今、真理のために、わずかな同士達とともに、
全力で戦っているのです。

”11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。”

真理を受け入れない人々に対して、惑わす力が与えられます。そして、それに
抗することは、誰もできません。
惑わし、霊的な惑わしの力を軽く考えてはいけません。また、自分の力を過信しては
いけません。主が私達を惑わしに渡したのなら、もうそれから逃れることなどできないのです。

惑わしの霊の前で、私達の力や常識、理性など、何の役にも立ちません。
赤子の手をひねるようなもので、あっという間に惑わされていきます。

真理を受け入れないもののために惑わす力が送られるとはあの日、ノアの日の様です。
この時の真実はノアにあり、彼のいうことが正しかったのです。

しかし、彼のことばを受け入れる人はほとんどありませんでした。こんな山の上まで、
洪水など来ないと思っていたのです。

結果、真理を受け入れない人々を飲み込むために洪水が送られました。
皆、飲み込まれて行ったのです。
 
 
 


12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”
 

その日は、周到に用意されたわなの様に今から着々と用意されています。
皆、分かっているつもりでもだまされるのです。
もうすでにキリスト教会は、多くの偽りにだまされています。
2段階携挙説、福音の総合理解(人々に滅びのための広い道を教えるもの)、
リニューワル、パラダイムシフトなど、さんざん嘘にだまされてきたのです。

よく詐欺師にだまされるお人よしの様なものです。今迄さんざん惑わされてきたのに、
どうしてその日のみ、惑わされないと言えるのでしょうか?
 

その日は偽りものども、みことばを盗むものどものために着々と用意されています。
今真理を信じず、悪を喜ぶ人々は、皆惑わされていくでしょう。

真理を信じず、悪を喜ぶとは?要するに健全な福音に耐えられないので、
それを変えて偽りとし、偽りを喜ぶ人でしょうか。

今、偽りは教会を覆っています。
たとえば、「主よ主よというものが皆、神の国を見るわけではない、ただ天の父のみこころを行うもののみ」とは有名な箇所です。我々の行いをたださざるをえない、箇所です。
「その日悪霊追い出しや、しるし、不思議を行った多くの者」がキリストのみ前から追い出されてしまうとは、衝撃的ですが、しかし、そのままとるべきです。
しかし、偽りの福音を語り、広い門、広い道を語る、偽預言者、偽教師どもは、「これは未信者をさす、
クリスチャンのことではない」とみことばをかいざんします。また愚かな信者もその様な偽りを喜んでいます。福音の総合理解という教理、すなわち、何が何でも広い門、広い道を信者に伝えろと言う、
アメリカじこみのヨタ教理であり、日本でも牧師や信者に人気の教理です。

この様な愚か者、偽り者が裁かれる日をさして、聖書は、「真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるため」と語っていることを知りましょう。
 

いうまでもないことですが、2段階携挙説などを信じている偽りものもめでたく、いえ悲しくも
惑わされ、結果、反キリストが本物みたいに見えるようになるでしょう。
その日は彼らの裁きのために用意されているのです。

”13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
14 ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。”

しかし、一方終末の日、反キリストを拝することなく、神の恵みに会う人々がいます。
彼らは「真理による信仰」によって神に選ばれた人々です。

ですから、このことばから終末の日のポイントを理解すべきです。
それは教会が大きいことでも信者が多いことでもなく、しかし、真理による信仰があるかどうかなのです。もっとわかりやすくいえば、偽りに追随しないことなのです。

その日は試しの日、本物と偽物を見分ける日であり、多くの偽りに従う人々が裁かれる日なのです。


15 そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。”

ここでは、終末のことと関係して、「パウロ達のことばや、手紙によって教えられた言い伝えを守る」ことが勧められています。逆に考えれば、終末の日は、聖書のことばや、言い伝えがひっくり返され、
捨てられる日とも理解できます。

教会を変質させ、昔からの言い伝えを捨てさせようとの試みは今しきりに行われており、
刷新論だのパーパスドリブンチャーチなどかまびすしいです。
 


16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
17 あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。”
 

ここでは良いわざとことばに進むことが勧められています。
世の終わりであろうと始めであろうと私達クリスチャンの歩むべき道に何か変化があるわけではありせん。
 
 

良いわざとことばに進むことが大事なのです。罪の人、不法の人、すなわち、反キリストが
これから台頭し、色々罪へと誘うでしょうが、しかし、私達にあっては、
パウロの勧めに従い、なすべき道を歩んでいきたいと思います。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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