NO.557獣の像

”テキスト:黙示録13:
11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。
12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。
14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

本日は獣の像という題でメッセージをしたいと思います。

黙示録13章に書かれている獣の像について考えてみたいと思うのです。
テキストに沿って見ます。

”11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。”

ここでは、もう一匹の獣が書かれています。
これは、「小羊のような」すなわち、キリストの羊の様な外見をもっているが、
しかし、「獣」と化したキリスト教会、背教に陥ったキリスト教会のことです。
その証拠には、この獣は、2本の角、すなわち、2つの勢力、
カソリック、プロテスタントから成り立っています。

教会が、獣化するなど、けしからんことをいうなんていう人も
いるかも知れませんが、この背教は以下の様に預言されています。

”2テサ2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。”

ですから、教会が黙示録の日に獣化し、背教するとは、悲しいが、
しかし、聖書的な教理なのです。
 

さて、黙示録13章に出てくる獣に関わる登場人物をまとめると以下の様になります。

1. 七つの頭と10本の角を持つ獣:アメリカのこと
2. 小羊の様な二本の角を持つ獣:プロテスタント、カソリックの2つの勢力を合わせた
キリスト教会全体のこと
3. 獣の像:反キリストのこと

これらは、どれも獣といえます。しかし、それぞれ明確な区分がありますので、
わけて考えないと何がなんだかわからなくなりますので、
注意が必要です。
さて、本日の主旨は、獣の像について考えたいということです。
 


12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。”

ここでは、「宗教的な獣」、2本の角を持つ小羊の様な獣、すなわち、堕落、背教した
キリスト教会が、最初の獣、すなわち、アメリカを崇拝するように人々を
惑わしていることが書かれています。

このアメリカ崇拝ということを考えてください。何となく、軽い感じで、
深刻な害などないようですが、この中にあらゆる巧妙な
キリスト教会堕落の罠がしかけられていることを理解してください。

的外れなアメリカキリスト教会のトレンドを模倣、追随することで、
自然と日本のキリスト教会は、背教の道を歩むようになっているのです。

2段階携挙説、かいざん聖書訳、レフトビハインドのよた話、近代神学、死海文書をもとにした
嘘など、あらゆるアメリカ発のウソ話は、アメリカ崇拝、アメリカ留学帰りの
愚かな日本人牧師により、日本の教会にもたらされます。また、
キリスト教ならぬ、ユダヤ化したキリスト教を吟味もなく伝えるアメリカ宣教師により日本の
教会にもたらされるのです。

日本の政治は、アメリカより、アメリカ追随であり、そもそも日本の自民党は、戦後アメリカに
よって作られた政党であり、アメリカ利益団体の日本支部みたいなものです。
だから、日本の社会がアメリカよりなのは、誰もが知っていることです。
さて、さらにアメリカよりな団体が日本にあり、それが日本のキリスト教会です。この
国のキリスト教会は、どれもアメリカ教団の支部ですから、どうしても
アメリカよりになります。その上、キリスト教書店は、次から次へとアメリカで
出版された本を日本のクリスチャンに紹介していきます。
また、日本の牧師候補生で、気のきいた人は、はくをつけるためだかどうだか、
みんなアメリカに留学して、神学校からフラふらして帰ってきたりします。
そんなわけで、もっとも獣に近いキリスト教会は、日本のキリスト教会である....かもしれないのです。
 

”13 また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。”

天から下る火は霊のたとえと思われます。
怪しい霊のリバイバルが背教の教会で起きます。「大きなしるし」と書いてありますが、
しるしと不思議は、偽預言者、背教教会の専売特許みたいなもののようです。

そして、日本のキリスト教会においても近年さかんに「しるしと不思議」が強調されてきています。このことは、
よくいえば、時代の先端をいっている、聖書的にいえば、いよいよ背教の用意が整いつつあるわけです。
 

”14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。”

ここで地上に住む人がしるしで惑わされることが書かれています。
地上に住む人とは何か?
住むということばの原語の訳語として、英語で、dawelとかinhabitantということばが使われています。
要するに地上に定住する、住民となるということをいっているようです。
そしてこのことばは明らかに地上においては、旅人、寄留者であった、アブラハムを始めとする信仰の先祖達の生き方とは
対象的、反対です。
ですから、ここでいわれることは、この世を住まいとし、「世をも世にあるものをも」大好きな
人々が獣の惑わしや、そのしるしと不思議に惑わされていくことをいっているのです。
 

「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣」

剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣とは、アメリカのことです。ですから、
はっきりと我々が認識しなければならないのは、終末の主役の国は、なんといってもアメリカであり、
この国をもとにあらゆる終末の偽り教理や、惑わしの霊が世界中のキリスト教会に
注がれるということ、そして、そのアメリカは、終末の日に何と、壊滅的な打撃、
恐らく核戦争で、壊滅するということです。そして、それにとどまらず、
その後、驚くべきスピードでこの国は、復活するということです。

「獣の像」

獣の像ということばを考えてみましょう。
文字どおり考えれば、これは、終わりの日に人々が獣をかたどった像を造ると言うことです。
仏像みたいに、木を彫ったり、石を削ったりしてです。
しかし、繰り返していうように、この書黙示録は、たとえの書なので、そのままの
理解のみならず、たとえの理解をもすべきなのです。

獣の像のたとえの意味合いは?

この「像」とのことばは、KJVでは、「かたち」(image)と訳されています。
さて、おなじく「かたち」(image)と訳されることばが旧約聖書にあります。
下記の箇所です。

”創世記1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたち(image)に、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。”
 
 
 

ここでは、「人」に関して、それは神の「かたち」(image)として、造られたことが書かれています。
ここには、「アダム」をつくろうとは書かれず、「人」を造ろうと書かれていることを
覚えてください。真の人は、イエスキリストであり、キリストこそ、見に見えない神の
見える形であることを知ってください。

かたちということを考えましょう。
私達人間には、その見ることのできるもの、聴くことのできる範囲は限られています。
形のないものは見ることはできず、理解できないのです。
目に見えない神を我々人間が正しく理解することは不可能です。
それで、神は、目に見える形、神の姿を反映するある特定の「人」を
造ろうと願っていたのです。アダムの創造の話は型であり、この創世記の記述の真の目的は、
見えない神の形を見えるかたちで表現したある特定の一人の人、イエスキリストを説明することです。

私達は見えない、大きい、こわいと思われる神をその「かたち」、目に見える表現である、
キリストという一人の人の言動を通して理解することができるのです。
 

これらの理解から、「獣の像(image=かたち)」ということばを考えると、このことばに関連して
仏像やら、木像ではない、別の理解を得ることができます。
すなわち、ここで、「獣の像」ということばで聖書が表現しているのは、
獣の国アメリカという大きな存在を凝縮したような、一人の人、獣のあらゆる憎悪、
罪、偽り、偽善を体現した、一人の人についていっているのです。
この箇所で、像に関して、英語では、an imageと単数形の冠詞がついていて明らかにある
一つの像、一人の人について語っているのです。
2テサロニケ2章では、この人物を、反キリストと呼んでいます。

「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像」

剣の傷を受け、なおかつ生き返るのは基本的には、獣の国、アメリカです。
しかし、このことはもしかすると、獣の像にも関係するかもしれません。
すなわち、反キリストは、死んで、「復活」するのです。

もちろん、実際に死んで蘇るわけはありませんが、やらせの「復活劇」を用意するのです。

何故、そんなことをいうのかというと最近の第三の波系の教理を見ると、復活ということがしきりに
いわれているからです。
反キリストまた反キリストに連なる人々は、何でもかんでもキリストの真似をし、お株を奪おうとしています。あのおかしな霊のデーモンおじさん、ベニーヒンが群集を息で倒したり、
自分の服を振って倒したり、真似をしています。また、ラインハルトボンケは何とも怪し気な
やらせとしか思えない、「復活話」を吹聴しています。(角笛に記事あり)
これらはみな、キリストのまねなのです。
そして、これらの人まねの行き着くところが、反キリストの復活劇なのでしょう。
 
 

「獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。」

獣の像、反キリストをクリスチャン達があがめ、もちあげ、喝采するのですが、
しかし、それは、地に住む人々なのだということが書かれています。

全てのクリスチャンが反キリストを拝み、それを「像」として偶像視するわけではありませんが、
しかし、地に住む人々、世につくクリスチャンは彼を偶像視します。

この区分にはよくよく気をつけてください。
終末の日に反キリストを拝するクリスチャンに対して、聖書は、教会へ出席している、しない、
十一献金をしている、しないとは区分せず、しかし、地上に住む人々は反キリストを拝すると述べているのです。いかに私達がこの世から分離することが大事かわかるのです。

テレビ、映画、インターネット、雑誌、新聞あらゆるものが私達をこの世へと誘いますが、しかし、
それは、また反キリスト礼拝へとつながっていくことをも覚えてください。このことを聴く、
耳のある人は聴いてください。

”15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。”

息を吹き込むとはどういう意味か?
恐らく以下のことばと関係があると思われます。

創世記2:7「 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」

神がアダムに息を吹き込むとそれは、生きた人間になりました。
息は聖霊のたとえです。
それと似た意味合いで、終末の日、獣の像すなわち、獣を体言した様な人物、反キリストに息、
霊が吹き込まれます。それは、もちろん、聖霊ではなく、悪霊です。
反キリストには悪霊の力としるし、不思議があるのです。

「獣の像がもの言うこと」

ものをいうとは教会用語でいえば、要するにメッセージ、説教をするということと思われます。
反キリストのメッセージに聞き従うことが奨励されるわけです。
 

「その獣の像を拝まない者をみな殺させた」

ここで書いてあるのは、非常に簡単な、明白なことがらです。
すなわち、反キリストをキリストの位置に置き、それに従わず、礼拝しないものは、
皆殺させたということなのです。

殺すとは、文字どおり命を奪うことです。
そんな馬鹿なと思うかも知れませんが、これは、文字どおりキリスト教会に
起きることと思われます。

ダニエル書には、それを暗示するような記事がいくつかあります。
たとえば、バビロン王ネブカデネザルが、金の像を拝まない、シャデラク、メシャク、アベデネゴを
殺すべく火の炉に投げ込みました。それは、終末のバビロン、アメリカ主導の強権の下で、
金の像、すなわち、獣のかたちである、反キリストを礼拝しない、
クリスチャンを殺そうとのたくらみの日の予表と考えられます。

また、同じダニエル書には、王に対して祈らない者は獅子の穴に投げ込まれたことも書かれています。
これも同じく終末の日に対する予言であり、その日、反キリストに対して祈らない人も災いに会うようになるのでしょう。今私達は主イエスキリストの御名により祈っているのですが、その日には、
反キリストの名によって祈るのでしょうか。
 

”16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。”

「右の手かその額かに」反キリストが刻印を受けさせたことが書かれています。

この「右の手かその額か」とのことばは以下のことばと似ています。

「申命記11:18 あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」

ここでは、主なる神がその神のことばを人の手と額に置くことを命じています。
それで、反キリストがクリスチャンに対して、「右の手かその額かに刻印を受」けさせるという時、
それは、クリスチャンが反キリストを神の位置に置くことを意味していることがわかります。

「小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷」とは、
全てクリスチャンをさすたとえです。奴隷、自由人とは、罪の奴隷、罪から解放された人という
意味合いで、クリスチャンのたとえなのです。

ですから、全てのクリスチャンに対して、主なる神を拝することを捨てさせ、
代わりに反キリストを拝ませる、その印を受けさせるということが行われるわけです。
これは、実際的な印なのか、それとも霊的なものなのかはわかりません。例の
ビデオの中で、獣の働き人が、「Take the mark of the beast: 獣の印をつけろ」と
いっていますが、この場合は、霊的なしるしです。

この時は、クリスチャンにとって、それこそ、代々の昔から預言されている、
大変な決断と困難の時なのだということを知りましょう。
その日の前に教会が挙げられるという艱難前、中携挙説の愚かな空想話など、
真に受けず、我々はその用意をしていなければなりません。

何故なら、その試みは地上に住む全ての人に臨むからです。
この反キリスト君臨の日は、かつては、遠い将来のことでしたが、今は
もうまじかに見える近未来と思えます。
何故なら、獣の国、アメリカは強権を発揮する一方ですし、また、
911テロとかいう怪しい、自作自演もみごとに成功させています。
 

”17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。”

獣の数字を持っているもの以外は、誰も売り買いできないことが書かれています。
これは、世の中的に考えれば、実際に商品を売り買いできないということかもしれません。
この面も大いにあり得ます。霊的に考えるなら、獣の数字、獣の霊を受けている人以外は、
誰も救いに関することを語れないということです。売り買いは、あがない、買い取ることと
関係しており、救いをさすたとえと思われます。

教会において獣の働き人以外誰も奉仕ができないのです。
 

”18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。”
 

ここは有名な箇所です。反キリストの数は、666だというので、その数を
もとに反キリストを割りだすということがよく行われます。
私もこの666とは何をさすのかよくわかりません。
わかることは終末の日のキリスト教会の中ではある特定の一人の人物が大きな鍵を
握ること、彼を礼拝することが、実はキリストへの冒涜となることだけです。

恐らく彼を礼拝させるためにうまいトリックが使われるのでしょう。それは、今、第三の波系の
リバイバルでいわれているたわごと、もしくは類した嘘となると思われます。
彼らは今、こういっています。
1. キリストの再臨は2回にわけて行われる。
2. 一度目は、キリストは霊として再臨する。
3. その霊として来たキリストは、使徒、預言者の上に
下る。結果、しるしがともない、特に反キリストの上にすばらしいしるしが起きる。

4.. 彼らは地上におけるキリストの代理者としての特権を帯びる。
5. 彼らを通して地は清められ、彼ら使徒、預言者に聞き従わない人々は、
粛正される(この粛正が大艱難時代)
6. これらの粛正が行われた後、晴れて肉体を持ったキリストが二度目の再臨を行う。

これらの嘘を真に受けた愚かな人々がみことばに忠実な人々を迫害するのです、そして
その日が終末の艱難の日なのです。

まとめますが、黙示録13章で語られた獣の像とは、仏像や、お地蔵さんみたいに、
石や木、鉄の像ではなく、明らかに獣の国を体現したような人物、すなわち一人の人、
反キリストについて語っています。

クリスチャンが見えない方、キリストを捨て、目に見える人物を
あたかもキリストであるかの様に崇める日、その日について語っていることを読み取りましょう。
そして、その日こそ、テサロニケの手紙でいわれている、背教の日なのです。

その日の備えは企みのある人々により、着々と備えられており、主につく人々は、主の日の戦いのために
備えをなすべきです。
終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
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