NO.548 堅く立って主の救いを見る(3)

”テキスト:出エジプト14:21 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。
23 エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。-
26 このとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」
27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。
28 水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。
29 イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
31 イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。”

本日は、「堅く立って主の救いを見る(3)」としてこの主題をさらに見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。

”21 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。”

この出エジプトの日、東風が吹き、それにより海が分かれたことが書かれています。
東風に何か意味合いがあるのでしょうか?

このことに関連するのか、黙示録には以下の様に書かれています。

”ヨハネの黙示録 7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。
2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」

ここには風が吹くことが押さえられていること、海に吹かせないようにしていることが
書かれています。
出エジプトの記述でいえば、紅海に東風が吹かないようにしていたのです。
そして、にも関わらず、日の上がる方からの御使いが神のしもべの額に印を押したことのゆえに事態が
変わってきたことも書かれています。
 

風が吹いたこと、東風が吹いたこと、そしてそれにより神の働き、具体的には、
聖霊の働きが起きたことが理解できます。

ですから、東風の意味合いは、終末に起きる、日の上がる方、アジアにおける、
神の働き、聖霊の働きと理解できます。
そして出エジプトに戻り、東風で海の水が分かれるとは、終末の悪霊の海の様になった、
悪霊の洪水の押し寄せたエジプト化したキリスト教会の真ん中に、聖霊の風、東風が
アジアの方から起きてくる、そのことを語っていると思われます。

その東の働きは黙示録7章によれば、アジアに散らばる、イスラエル12部族の子孫により
起こされます。それは、もっと具体的にいえば、日本、朝鮮、台湾、中国などの
アジアの国々のことです。

ですからここにおいても終末のキリスト教会の救いは、アジアから来ることが語られていることを知りましょう。かつてアブラハムにいわれた「全地の祝福のもといとなる」とのことばは、これらのアジアに住む
真の(偽ではなく)イスラエル人、ユダヤ人を通して成就することを知りましょう。

”22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。”

東風のために水が壁となり、結果イスラエル人が皆、かわいた地を進めたことが書いてあります。
ですから、終末の日も主につく人々は、この東風、アジアからの聖霊の風により、
悪霊の水から守られます。

”23 エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。”

エジプト人は、イスラエル人を追いかけ、結果として、海の水により滅ぼされます。
海の水はノアの洪水、ロトの時に降ってきた火に通じます。
もしエジプト人がイスラエル人を滅ぼそうとしなかったのなら、決して、エジプト人
彼ら自身が滅ぼされることは、なかったでしょう。

しかし、惑わされた彼らはイスラエルを滅ぼすべく、決起します。
このことは黙示録において、以下の様にも表現されています。

”黙示録16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
15 「「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。「「
16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。”

このいわゆるハルマゲドンの戦いの記述においても、悪霊に惑わされた王達が戦いに出ていきます。
誰と戦うのか、その結末はどうなるのか、それはここには明示されていませんが、
結果はエジプトの軍と同じになることが予想されます。
すなわち、この王達も悪霊の惑わしの中で滅ぶのです。
 
 
 


24 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。
25 その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それでエジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」”
 

エジプト軍のイスラエル征伐は成功せず、逆に彼らの前進はとどめられました。
また分裂を始めました。
同じ様に終末の日のエジプト人、この世についたクリスチャンもそれを知るようになるでしょう。
彼らは自分達は
、カルト、異端を非難していると思うのですが、しかし、その裏には生ける神がおられるのです。
 

”27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。
28 水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。”

エジプト人は皆、海の水に飲み込まれ、残された者は一人もなかったことが書かれています。
具体的には、この世についた人々は、悪霊の惑わしの霊にやられ、それを逃れる人は一人もいないことが書かれているのです。

そんなことは、あり得ないと思うかもしれませんが、しかし神のことばが預言することなので、
真剣に考えてみたいと思うのです。
神のことばがエジプト人、この世につくクリスチャンが皆、惑わしの霊に入ることを述べるなら、
それはやはり実現するのです。

私が見る限り、もう多くのこの世的なクリスチャンは惑わしに入りつつあります。
トロント、ペンサコーラのリバイバルなる現象は明らかにビデオで見る限り、悪霊の現象なのですが、
悲しいかな、この国の多くのクリスチャンはそれを吟味もなく受け入れています。
何故そうなのか?それは彼らがエジプト人、この世についた者なので、吟味がないのです。
結果、水に飲まれているのです。

中東のパレスチナ人殺りく民族は、明らかに偽ユダヤ人であり、その
出生の根拠は怪しく(彼らは黒海近辺のハザール人、白人)、その皮膚の色は怪しく(本当のユダヤ人は、
セム人:黄色人)、その行いも怪しい(彼らは全地の祝福のもといではなく、災いのもとい)のですが、
悪い霊にすっかり飲み込まれているあほたれなクリスチャンには、すばらしい神の民に見えています。
何故か?それはこれらの人がエジプト人、この世につく人々である、そのために水、悪霊の水に飲み込まれているのです。
 

めでたくも悲しくもこれらのエジプト化したクリスチャンは、もうすでに水に飲みこまれつつあり、
いずれ、すっかり、紅海の水に飲み込まれ、正しい民を追い詰めるようになるのでしょう。それまで、
もう一歩の位置にいます。
 
 

”29 イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。”

イスラエル人は、かわいた地を歩み、救われたことが書かれています。
一方、エジプト人は水により滅びました。
ですから何度も何度も繰り返すようですが、終末の日、全ての神の民は
区分され、2つのうち、どちらかの道を歩むようになります。
一つは、乾いた道を歩み、水に滅ぼされない、霊に惑わされない、
主の救いを見る民です。
もう一つは、水により、滅び、霊の惑わしに入る民です、こちらの方が圧倒的に
多いのです。
 

”30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
31 イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。”

こうして、主が「その日イスラエルをエジプトの手から救われた」ことが書かれています。
イスラエルがエジプトにより滅ぼされたのではないのです。
終末の日もそして同じです。その日、エジプト化、この世化した神の民は忠実な人々を攻め、
非難するでしょうが、しかし、滅ぼされるのは彼らです。終末の日、主につく人々は、困難に会うがしかし、主の救いを見る、主の再臨を見る、その様に聖書は語っていることを知りましょう。
決して惑わしに入ることのない様、騙されることのないようにしましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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