No.546 堅く立って主の救いを見る


”テキスト:出エジプト14:1 主はモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドル(
塔)と海の間にあるピ・ハヒロテ(あしの生えるところ)に面したバアル・ツェフォン(
北の君主)の手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。
3 パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。
4 わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。
5 民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」
6 そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、
7 えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。
8 主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。
9 それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。
10 パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。

本日は、「堅く立って主の救いを見る」という題でメッセージしたいと思います。
かつての日、出エジプトし、荒野で、危機一髪であった時、
主が奇跡的な介入をし、イスラエル人の命を救ったことは出エジプト記に書かれている通りです。
そして、これは、終末の日、本番の出エジプトを敢行しようと志す、真のイスラエル人の危機を救う再臨の主の型と理解できます。このことを見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ます。

”1 主はモーセに告げて仰せられた。”

この場面はどういうところかというと、主エジプトした民が紅海の前まで達したところです。
かつての日、イスラエルの民、神に仕える民は、エジプトで呻吟していました。
神はその民を顧み、そのしもべモーセを遣わし、民を出エジプトさせました。
モーセはその名の通り、民を引き出しました。
このモーセは型であり、終末の日、エジプト化し、黙示録でいわれる通り、「ソドムやエジプトと呼ばれる都」になってしまった背教の教会から、真の神の民を救い出し、連れ出す方、キリストの型です。
終末の日にも出エジプトが行われ、否終末の終末の出エジプトこそ、本番であり、その
日、多くの主につく民は、この世についた教会から出てきます。これらの出エジプトの記述はその日の預言でもあります。

終末の様相の濃くなったこの日において、私達は聖書の終末の記述をどう読むかということによくよく
気をつけなければいけません。

私の確信では、聖書はまた聖書を書かれた神はその民のために終末の日に必要なことは、全て
聖書に記しました。
しかし、問題は、その民が肝心の聖書を正しく読めないということにあります。
それは書かれているのですが、しかし、読めないのです。

しかし、聖書が書かれたその大きな目的の一つは明らかに終末の日の救い、終末の助けなのです。
このことばは、今こそ、終末の日こそ、開かれねばならないのです。そのことを知りましょう。

”2 「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドル(
塔)と海の間にあるピ・ハヒロテ(あしの生えるところ)に面したバアル・ツェフォン(
北の君主)の手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。”
 
 
 

この箇所で書かれていることは、かつての日、出エジプトした民がパロ王に追いかけられ、
絶滅されようとしたこと、しかし、主の奇跡的な介入により、逆転し、
イスラエルの民は助けられ、逆にエジプトの王と民は滅んでしまったことです。

このことがこの箇所の結論です。そしてこのことは、終末の日、本番の出エジプトの日、大きな形で再現することを知りましょう。

その日、多くの神の民は、キリスト教会をおおう惑わしの中で、エジプト化し、この世につく
民となり、その実質はエジプトの民となるでしょう。もちろん、名称としては、
福音派だの聖霊派だのと名乗るのですが、実質はエジプトの民となるのです。
そしてその惑わしの中で真に主につく人々を迫害するようになるでしょう。
この箇所はその日に関する預言です。
 

この箇所には、バアル・ツェフォン(
北の君主)だのミグドル(
塔)だの、北の国、カソリックを予表するような記述があります。
恐らく終末の日の全キリスト教会のエジプト化もカソリック主導で進むのでしょう。

”3 パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。

 

ここで書かれていることは、イスラエルの民が出エジプトをする、エジプトを出るということです。
これはかつて起こり、長い間、エジプトに住んでいたイスラエルの民、神に仕える民は、
その日、エジプトの国を出ていきました。彼らはエジプトに下る、
10の災いの中で、エジプトの国を出ていき、もう彼らと同じ国には住まないようになったのです。
かつて起きたこれらのことは、終末の日の本番の出エジプトの預言、予型であり、
同じパターンで終末の出エジプトも行われます。

かつての日には、ナイルの水が血に変わる、かえるが発生するなどの災いが起きましたが、
今同じしるし、災いがエジプト化した教会に起こりつつあります。
水が血に変わるとは聖霊が悪霊に変わること、またかえるとは、黙示録にかえるの様な霊と書かれているように、悪霊のたとえです。

ここ10年程、全世界の教会にトロント、ペンサコーラを始めとしたリバイバルの中で水が血に変わる不思議、またかえるの霊のリバイバルが起きており、エジプトに対する10のしるし、災いは起きつつあります。これは何を表し、何の時が近付いた時を表すのか?それは、
すなわち、真の神の民がこのエジプトと呼ばれる都、堕落したキリスト教会を離れ、出エジプトするべき
時が近付いていることをさすのです。

”4 わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。”

ここでエジプト王パロがイスラエルの民を
追いかけることが書かれています。
強い軍勢を持つパロ王に追いかけられれればイスラエルの民はこわいでしょうが、
しかし、神はこのことに関して別のことを言っています。
「パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」といわれるのです。

これは何を意味するのでしょうか?
いわんとすることはこのことです。それは、最強の軍隊であるエジプトの全軍から、その民を救い出すことにより神は実に生ける神であることを全地に示す、そういっているのです。
人間的には、ピンチと思われた時が実は神にとり栄光を表すチャンスとなるそういっているのです。

これが神の方法であることを覚えましょう。これはこの日、出エジプトの時の神の方法でありまた
終末の本番の出エジプトの日の神の方法なのです。
何をいっているのかというと、その日、終末の出エジプトをした神につく民に対して、パロ、エジプト化した教会の長、リーダー達は災いをもたらそうと画策するでしょう。
そして神の民はあわや災いに会うかという危機に会うでしょう。しかし、それはかねてから
預言されていたことがらであり、その日、神はこのエジプト化した民、王からその民を救うことにより、栄光を表す、そう語っているのです。
 


5 民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」”

エジプトのパロ王は一時的には神に忠実に仕える民がエジプトから出ることを許可するのですが、
すぐ態度を改め、彼らを害そうと軍を率いて向かいます。
同じことが終末に起きるでしょう。終末の日、主につく人々は、エジプト化した教会を出ることを
一時的には許されるのですが、しかし、いずれ、彼らを害そうとの運動が起きるでしょう。
カルト、セクトである、有害であるとの迫害が起きるでしょう。
 
 
 


6 そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、
7 えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。”

パロ王は全軍を率いてイスラエルの民に向かいました。
軍は兵器を持ち、槍、刀を持つものです。これらの武器は人を殺します。
ですから終末の日のパロ、エジプト化した教会のリーダーは出エジプトした真のクリスチャンの命を殺害するために、画策することを知りましょう。

”8 主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。”

その日、エジプト王パロの心はかたくなになり、イスラエルを害することを願うようになりました。
それは、しかし、神から出たものであり、「主がかたくなにした」ことが書かれています。
終わりの日にもエジプト化した教会またそのリーダーは真のイスラエル人、主につく
人々に敵意を燃やします。そのことは、人の目には理不尽なのですが、しかし、これは神から
来たものであることを知りましょう。エジプト化した人々への裁きのため、
彼らは「ゆえなくして」主につく人々を憎むようになります。
 
 

”9 それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。”

この日、エジプトの軍はイスラエルの人々をおいつめました。
彼らは非力なイスラエルを相手に勝利を確信したのでしょうが、しかし、
この日は逆にエジプトの彼らが滅ぼされる日となってしまいました。
同じ運命が今の時代のエジプト化した教会、クリスチャンに待っていることを知りましょう。
私達が今、エジプトから離れることはいかに大事なことでしょうか。

”10 パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。

エジプトの軍隊に追われたイスラエル人は、主に叫びました。そして、その叫びは聴かれ、
奇跡的な神の介入がありました。
終末の日も同じです。艱難時代の中で、神の民は叫ぶでしょうが、その叫びに応じて主の
奇跡的な介入、再臨があることを知りましょう。

この件は続きます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
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