NO.545地に住むもの

テキスト:”黙示録11:
7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。
9 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。
10 また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。
11 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。
12 そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
13 そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。
14 第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。
15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。
18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
19 それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。”

本日は「地に住むもの」という題でメッセージしたいと思います。
黙示録に記された「地に住むもの」の意味合いを見ていきたいと思うのです。

テキストに沿って見ていきます。

”7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。”

彼らとは終末に現れる2人の預言者であり、彼らは地上における寄留者、また旅人です。
それゆえ、この世においては受け入れられず、殉教をします。
それは、彼らの主であるイエスキリストにとっても同じであり、主のことばは、この世についており、金の好きなパリサイ人やら、ユダヤ人には受け入れられず、結果主は十字架の死を迎えました。
私達がこの世に対してどういう態度をとるかどうかで、この世における歩みが変わり、また後の世における報いも異なります。そもそもこの世にまったくついている人々は後の世で永遠の住まいに入れるかどうかはわかりません。

”霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都”

ここで書かれている「霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都」とは非常に暗示的なことばです。いわんとしていることは、建て前、名目と霊的な実質は異なるということであるように思えます。

ここでいう大きな都とは、私の理解では、世界大の教会のことです。
その日、教会は、変質に変質を重ね、結果:

<名目上>:キリストの霊的な花嫁、うるわしわのきわみ、純潔により携挙に至る
ということですが、しかし、

<霊的な実際>:堕落、この世についた俗化のきわみ、とめどなくこの世の方法、影響、を受け入れ、
淫婦バビロンと化す

こんな風なことになります。名目と霊的な実際が違うのです。そして神の前に重要なことは、
勿論、霊的な実際です。それゆえ、この世界大の教会は、「ソドムやエジプトと呼ばれる大きな都」
と呼ばれます。

エジプトはソドムはこの世の堕落、退廃のきわみの都であり、その日、背教の教会は、
あらゆる惑わしとこの世の影響下でめでたくも情けなくも神に「ソドムやエジプトと呼ばれる大きな都」となりはてました。

これは後の日のこととして、それでは今はどうなのか?
私の理解では、今教会は恐ろしい勢いで、ソドム化、エジプト化しており、
多くのクリスチャンはその道をまい進しています。私の目には、ほんのわずかな残りの者が見えるのみです。
 


9 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。”

「もろもろの民族、部族、国語、国民」が預言者の敵となることが書かれています。今、キリスト教は世界宗教であり、多くの国にわたっていますが、しかし、終わりの日、
どこの国のキリスト教も背信と惑わしに入ります。
それは、あのバビロン、アメリカ由来の変質キリスト教をどこの国のクリスチャンも吟味なく
受け入れるからです。

それゆえ「もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々(クリスチャン)」が道に背き、この2人の預言者の
敵となります。


10 また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。”

さてここで「地に住む人々」が出てきます。このことばの意味合いは何でしょう?
このことば、「地に住む人々」とは、地に定住する、すっかりこの地につくという意味合いがあります。そして、それは明らかに「この世の寄留者、旅人」とのことばと対照的なことばなのです。

私達が「この世、地の寄留者、旅人」ということばを正しく理解するなら、その反対語である
「地に住む、定住する人々」とのことばをも正しく理解できます。
これらは明らかに対になることばなのです。

ここでは、地に住む人々が、2人の預言者の死を喜んでいることが書かれています。
これは何か?
ここに書かれているのは、地上の寄留者として来た預言者とそれと反対の歩みをする
地につく、地に住む人々、クリスチャンの姿です。
これらの2者の間は、大きくなり、終末の日には、全く逆の立場になり、一方は
他方を死に追いやり、その死を喜ぶその様なことになってしまうのです。もちろんそんなことには
みこころがなく、いずれ地に住む人々も裁きに会うのですが。

”彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。”

このことばは明らかに以下のエステル記のことばと関係があります。

”エステル記 9:21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、
22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。”

エステルの時、ユダヤ人がその敵を除いた日を祝ってその日に贈り物を交わしました。
同じ様に終末の日に世界を操り、キリスト教会を操る「ユダヤ人であると嘘をついている人々」は、
エステルの日を定め、自分達の敵である、「堅くキリストのことばに留まる」人々を除こうと
試みます。そして、彼らの扇動に乗り、愚かにも自分達の兄弟である人々を死に渡す地に住む
この世的なクリスチャンとともに、敵を除いた日を喜び、贈り物を交わすのです。
 

”このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。”
 

この2人の預言者が死に渡されるその理由は、地に住むこの世的なクリスチャンに受けがよくないからです。悪霊のリバイバルを指摘したり、レフトビヒハインドやら2段階携挙説の人々を
愚か者扱いするからでしょうか。確かにそんな本当のことをいえば受けが良くならないでしょう。


11 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。
12 そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。”

この日、2人の預言者は死にはするもののしかし蘇ります。
これは、たとえや、教訓というより、実際に起きることと思われます。その理由は、
主イエスキリストの復活を聖書は初穂と述べているからです。

”コリント人への手紙第一 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。”

キリストの復活を初穂と呼ぶなら、復活は明らかにこれで終わりではないのです。逆に初穂の復活、最初のものという時、聖書は、第二、第三の復活があるということを
明らかに語っているのです。
この2人の預言者の復活は、最初ではありませんが、しかし、初穂に続く、第二、第三の復活なのです。
 


13 そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。
14 第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。”

第二、第三のわざわいについて書いてあります。
何故、終末の日にわざわいがクリスチャンを教会を襲うのか?その理由は彼らが背信をきわめ、
冒涜を極めているからであることを知りましょう。

”15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」”
 

この世の国がその日、「主およびそのキリストのものとな」ることが書かれています。
ということは、今はまだこの世とその国は神である主及びそのキリストのものでないことがわかります。
それで私達は今の世では自重し、
旅人、寄留者として歩むべきことがわかるのです。

終末の日の偽りは、この様に「旅人、寄留者」として歩むことを勧められているクリスチャンを世につくもの、この世の定住者、この世を愛する者、すなわち、地に住む者となすという偽りであることを知りましょう。
 

”16 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、
17 言った。「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。”

この日、主が王となり、それゆえ今迄との逆転が起こります。
簡単にいえば、いままで笑っていたものが泣くようになり、泣いていたものが
笑うようになる日が来るのです。

人間の世界でも社長が交代したため、今迄の冷や飯食いが
脚光を浴びたり、また今迄、ふんぞりかえっていた人が左遷させられたりということが
あります。
何しろ逆転が起きるのです。

この日まで、キリスト教会は変質に変質を重ね、みことばを疑ったり、聖霊を悪霊よばわりする
ものが我がもの顔でえばっていますが、しかし、その日、逆転します。

それゆえ、それゆえ、「あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。」と
24人の長老は語るのです。
いままでと逆転するのです。

ですから、私達はこれから始まろうとするキリスト教会のトレンドにどう対応するのかということをよくよく考えるべきです。何故なら、明らかにその日、これらのトレンドに追随したため、
裏切りもの、主を裏切るものとして、裁きに入る多くの人々がいるからです。
 
 

"
18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」”

「 諸国の民は怒りました。」とはどういう意味なのでしょう。
私の想像では、恐らく彼らは2人の預言者に怒りをもやし、彼らを迫害したのでしょう。
それは、かつての日、主に対して怒りを燃やし、「十字架につけろ」と叫んだ群集の姿をほうふつさせます。かつての日、群集は、ユダヤ人パリサイ人達の扇動により、怒りをたきつけられました。
終末の日において、2人の預言者に怒りを燃やす人々も今尚、ユダヤ教に残るパリサイ人ゆかりの
洗脳工作の中で扇動されるのでしょう。
 
 
 
 

「地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時」とのことばは、
地に住むものと関係があると思われます。
そして繰り返すようですが、地に住む者は、この地への寄留者、旅人である人々と対照的です。

ですから、ここで書かれていることは、聖書に記されている2種類の人々、寄留者と
地に住む者との究極の対照的な姿です。
片方は、この世に属すものでないため、迫害され命を失う、そして地に住む人々は、
この世につき、堅くみことばにつく者を迫害するそれゆえにその日、「滅ぼされる」のです。

黙示録は聖書のあらゆるトピック、要素、歩みに関しての結論が記されている箇所です。
そして、「地上の寄留者、旅人の歩み」として歩むかもしくは、「この世、この地に住む、住みつく者」として歩むかとのことに関する結論が出ていることを知りましょう。

”19 それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。”

何故、ここで契約の箱が記されているのか?
それは、神はその契約に基づき地を裁き、教会を裁くからです。

交通事故を裁くのは、道交法であり、「赤信号では渡るな」などの記述に基づき、
この事故は誰が責任があるのかどうか、裁かれます。

契約の箱には、神のみことばが在り、私達はこのことばに基づき裁かれることを覚えましょう。
 
 
 
 

繰り返しますが、終末の日の一つの大きな試みは、旅人、寄留者であるはずのクリスチャンを
この世の住人とすること、世につけるものとすることであり、多くの者が
惑わされつつあります。しかし、私達にあっては、旅人の歩みを続けていきましょう。
この世のことがらは過ぎ去り、ほどなくして、裁きの主が来られます。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
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