NO.538 エキュメニカルとハルマゲドン


”テキスト:黙示録16:12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界(oikoumene=エキュメニカル)の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
15 「「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。「「
16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。”

本日は、「エキュメニカルとハルマゲドン」という題でメッセージをしたいと思います。
世界のキリスト教会でさかんに進められているエキュメニカルのムーブメントとは、
実は聖書、黙示録の中にそのことばがまさに記されている、恐ろしい終末の背教を暗示する
ムーブメントである、そのことを見ていきたいと思うのです。

エキュメニカルということばが意味するところは、クリスチャンなら誰でも知っていること、
要するにカソリック、プロテスタントとの統合をもくろむムーブメントだとは、
皆知っていることではあります。

さて、しかし、それではこのエキュメニカルということばの由来は何かというと、
あまり知られていない、誰もわからないものなのです。
その由来は、欧米の研究者によれば、上記黙示録16:14の「全世界」ということば、oikoumeneという
ギリシャ語が語源なのです。

このことばの暗示しているもの、それを本日は見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。

”12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
 

第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけました。
これは、災いであり、裁きです。裁き、災いは不信の教会に向けたものであり、その日、ユーフラテス川に災いが起きます。ユーフラテスということばには、「実に満ちる」という意味があり、
御霊の実を結ばせる川、御霊の水の川のたとえと理解できます。
かつての日、旧約のイスラエル、神の国の境界線は、このユーフラテス川でした。
今の神の国、教会の境界線も同じく、ユーフラテス川すなわち、御霊の水、川の存在です。
私達クリスチャンの全ての良きものは、この川があってこそなのですが、その背信の日、
この川は枯れてしまいます。

”すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。”

何故、川は枯れるのか?神は非情であり、肝心なところで、クリスチャンを裏切るのか?
いいえ、そうではありません。それは、神の民が不信となり、悪霊の水を恋い慕い、逆に
この神の霊を追い出すからです。

以下の箇所は、そのことを暗示します。

”2テサ2:7「不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。」”

引き止めるもの、聖霊は取り除かれ、追い出されるのです。

”黙示録3:20「20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

聖霊として来られたイエスは家の外、教会の外に追い出されています。

ユーフラテス川が枯れるとは、教会から真の水、聖霊の働きが追い出されることを明らかに
示しています。ですから、これからの教会は水ききん、渇きの時代を迎えることを知りましょう。
悪霊の水、悪霊聖会等はふんだんに行われますが、聖霊は全世界的に追い出されるようになるのでしょう。

フラー神学校のピーターワグナーにより、提唱され、日本の盲人牧師達により推賞されている「
霊の戦い」なるヨタモンムーブメントはいずれ、本性を表し、正しいクリスチャンを追い出し、
聖霊を悪霊よばわりするようになるでしょう。

アメリカにおいてはこの種の働きはすでに ヨエルの軍隊等を通して始まっていますが、
いずれ、日本の「流行に敏感な方たち」、別のいいかたでいえば、「聖霊と悪霊の区別もつかない愚か者ども」を通して遅かれ早かれ日本に入ってくるでしょう。

そう、正しい水、聖霊が公然と日本の教会から追い出される日が近付いているのです。
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、7つ目のミレニアムは逆転の日であり、どんなことでも
起こり得るのです。

すでに「狂牛病必須の牛肉」は日本の市場にあふれており、危険な「遺伝子組み換え食品」も
日本の消費者に大いに行き渡っています。
病気をなおそうと輸血すれば、C型肝炎になったり、エイズになったり、本当に
何でもかんでも災いばかりです。災いはこの国を襲いつつあり、さらに
その脅威を増そうとしています。
今は裁きの日、災いの日なのです。それなのに、
どうしてひとりキリスト教会のみ安泰であり、決して災いが起きないなどとの
「寝言」を言えるのでしょうか?

そんなたわごとをいっても恥じないのは、盲人キリスト教新聞、雑誌などにすっかり洗脳されて、
「白昼夢」を見ているからなのでしょうが、しかし、そろそろ目をさますべきです。

聖書は明らかにユーフラテス川が枯れ、水がからになる日を預言しており、それは、
教会からすっかり、聖霊が追い出される日のことです。

その日、水がからになる日を実は聖書は前もって度々預言しています。
以下の箇所はその一つです。

”ルカ4:25 わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、
26 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。

3年半の天が閉じる日とは、水、聖霊が消える日のことであり、
それは、艱難時代の3年半の間に本格的に成就します。

日の出るほうから来る王たちに道を備えるために”

水が枯れることと関連して「日の出るほうから来る王たち」について書いてあります。
これは、どの様な人々なのでしょうか?

「日の出るほう」との表現は他にも黙示録で使われています。以下の箇所です。
 

”黙示録7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、

ですから、日の出るほうから来る王たちとはそのまま「日の出るほう」すなわち世界の東、アジアから
救われる真のイスラエル民族の末裔のことであることがわかるのです。
アジアには白人の国はなく、みな黄色人種ばかりです。ですから、この箇所は、また
真の(ユダを含む)イスラエル12部族とは黄色人種であり、終末の日、彼らは日の上がる方、
すなわち、アジアに居留していることをも語るのです。
 

彼らこそが水枯れ、聖霊の働きが消えた世界のキリスト教会の最後の雨、聖霊の大雨を降らす
大きな働きをします。

この終末の勇士、神の働き人の筆頭にユダ族が書かれていることを決して忘れてはいけません。
日本こそ、アジアに移動したユダ族の真の末裔であり、その証拠は、ダビデ以来とぎれることのない、
王族、天皇家を始め、数々あります。

ですから、この小さな国で主に仕えている人々には大いなる希望、大変な
約束が聖書に記されていることを知りましょう。
全くのマイノリテイだなどと卑屈になることはないのです。

あのアテネ5輪女子マラソンの日、他国の大柄な女性ランナー達をしり目に
勇躍ゴールに飛び込んで来たのは、日本のやまとなでしこ、野口みずき選手でした。
小柄な日本女性が他国選手を圧したのです。
 

これは世界的に感動的なことであり、日本は大いに面目を施したのですが、
同じことが世界のキリスト教会に起きるでしょう。世界のキリスト教会において、川の水が枯れ、
まともな聖霊の働きがなくなったその時、突然、世界の東の国々において聖霊の大傾注が起こるでしょう。
イスラエル12部族の子孫の国々に大きな神の働きが起きます。そしてその中において、
ユダ、日本のクリスチャンの働きが大きなものとなるでしょう。

かつて日本は第二次世界大戦の時、西洋列国の圧迫の下にあった、アジアの同胞を助けるために、
大変な活躍をしました。何百年もの間、イギリスの植民地として呻吟していたインドを始めとした
アジアの国々は、連戦連勝を重ねる日本軍の勝利の下で、独立を勝ち取りました。
大東亜の復興すなわち、アジアの国々の独立のために奮然と立ち上がった、日本の
戦いは報われ、多くの植民地の国々は独立しました。

その後、日本を占領した獣の国は日本の教科書に墨を塗り、うそ八百の歴史を日本人に
洗脳したため、日本の歴史を全く逆に洗脳された人々がキリスト教会には多いのですが、真実は上記のとおりなのです。

さて、かつて日本が戦いでなしたこと、輝かしい、アジア独立の旗手となったことは、
未来の日の型ではないかと私は理解しています。

かつて欧米、白人の国々の圧迫の下で、アジアの国々は呻吟していました。
今、その様な物理的な植民地ではないとしても、宗教、すなわち、キリスト教の教理、
解釈、教派ということでは、アジアのキリスト教会は、やはり欧米、白人の教会の下、
すなわち、いわば植民地か、属国か、生徒みたいなものとなっています。

もちろん、自分の命を犠牲にしてアジアに福音を伝えた白人宣教士を始めとした
人々の働きはすばらしいのですが、しかし、100%良いとはいえないものもあります。
何をいっているのかというと、彼らは福音とともに白人国の誤った教理、2段階携挙説を
始めとする間違いをもアジアに持ち込んだのです。
そして、アジアの国々は彼らの誤りに追随してしまっているのです。
結果、あの悪霊リバイバリスト、ベニーヒンを始めとした人々はアジアの教会においても
大人気なのです。

これらの現状の中で、再び日本が12部族筆頭の存在として立ち上がる日が来ています。

かつての日、ペリーの開国よりほんの数十年にして世界有数の強国として立ち上がり、
白人支配の下で苦しむアジアの同胞の現状を打開すべく立ち上がった、アジアの獅子日本の血が再び奮い立つ日が
やってきたのです。

獅子がひとたび、立ち上がるなら、他の動物も慄然とします。
かつての日、獅子として立ち上がったアジアの国、日本の前にイギリスやら、オランダやらの
アジア宗主国は、皆戦いに破れすごすごと退散していったのです。
開国数十年しか経っていない小国に破れてしまったのです。

同じことがキリスト教会にも起きるでしょう。多くの偽り教理が
この国のクリスチャンにより倒され、あばかれ、
くつがえされるでしょう。また、偽りのリバイバリストに対する戦いが
この国を起点に起きるでしょう。

キリスト教後進国、まともなクリスチャンなどいないと思われている、
この日本は実は獅子の国であり、その終末の活躍はかねてから
預言されていることを知りましょう。

どこを見てもマイノリテイなこの国のクリスチャンがそんなことに用いられるようには絶対見えないのですが、しかし、主がそう語られたのならそれはなるでしょう。

黙示録にはこの獅子、日本のクリスチャンについてこう書かれています。

黙示録5:5”すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」”
 

「ユダ族から出たしし、ダビデの根」とはかつて2000年前にはもちろん主イエスのことですが、
黙示録の時代、終末においてはユダ族、すなわち、日本の主につくクリスチャンのことです。
この様にこの国のクリスチャンについてわざわざ黙示録に特記されていることを忘れてはいけません。
 

こんなことを書いて後で外れれば大恥ですが、しかし、旧約の預言者の名前を用いる者が、前もって語らないわけにはいきません。

”13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。”

ここでは、悪霊が出現します。結果、世界中の教会、聖会に悪霊が
充満するわけです。このことは、確かに成就し、日本においてもベニーヒンを始めとした
悪霊の器の聖会は満員御礼です。このこと、悪霊が教会に出現することは、前のユーフラテス川が
枯れたことと関係します。
すなわち、
*ユーフラテスの川の水が枯れ、
*代わりに悪霊の水が世界中の教会に満ちるわけです。

もっとわかりやすくいえば、
世界の教会は背教のきわみに達し、
*聖霊を教会から追い出し、
*その結果、悪霊を迎え入れるのです。
 

”14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界(oikoumene=エキュメニカル)の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。”
 

さて、ここで大戦争を起こすべく悪霊が働くことが書かれています。

一般的な解釈としては、この箇所は、終末の大戦争と理解されているようです。
いわゆる「ハルマゲドンの大戦争」です。

その様な意味合いもあるかもしれず、終末に世界規模の大戦争がもしかするとあるかもしれないのですが、
しかし、度々いうように、律法すなわち、聖書のことばは基本的に聖書を読む人々、すなわち
クリスチャン向けに書かれていることを思い出しましょう。
ここには、たとえを通してクリスチャンに関すること、教会に関することが書かれているのです。

「全世界の王たち」

全世界の王ということばを理解するには以下のことばを見るべきです。

”創世記17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。”

神はアブラハムに対して、彼から王たちが出てくるといいました。
アブラハムはイスラエルの先祖、今でいうクリスチャンの先祖です。
ですから、王たちとは実はクリスチャン、キリスト教会、教派の王たち、具体的には、
教団のトップのことと理解できるのです。

背信のきわみ、終末の日、教会のトップが神とキリストに逆らうため、
集まる日、その日についての預言と理解できます。
 

「彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。」

悪霊が預言者に惑わしの霊を送り、結果王たちが惑わされて戦いに出ていくとは旧約にその例があります。
以下の通りです。
 

”1列22:19 すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座にすわり、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。
20 そのとき、主は仰せられました。『だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか。』すると、あれこれと答えがありました。
21 それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします。』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか。』と尋ねられました。
22 彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。
23 今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」”
 

この日、イスラエル、ユダ両国の王は悪霊の預言に惑わされて戦いに行き、そして
破れました。
 
 

同じことが終末に起きるでしょう。終末の王、キリスト教会の指導者達も悪霊に惑わされ、
正しい人々をカルト扱いし、戦いをしかけます。しかし、その結果はろくなものではないでしょう。
 

「全世界」

さてここで書かれている世界とのことばは、oikoumeneというギリシャ語です。このことばこそ、エキュメニカルということばの元になりました。そしてこのことばがろくでもないところで用いられていることもわかります。
 

ここで書かれている「全世界の王たち」とは、かつてのミカヤの日、悪霊の預言に惑わされた王達と同じ位置にいます。かつての日、北イスラエルの王もユダ国の王もともに惑わされ、戦いに出ていき、その
結果、破れ敗残したのです。

同じことが「全世界の王達」すなわち、エキュメニカル運動に惑わされたキリスト教会の王達、
すなわち、リーダー達に起きるでしょう。

彼らは悪霊に惑わされ、主につく人々を一掃し、攻撃しようと出ていくのですが、しかし、
その結果は敗残であり、永遠の命を失うことなのです。

”万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。”

万物の支配者である神は誰と戦うのか?
明らかに神はこれらの背教、エキュメニカルのキリスト教界の王達に対して戦いを挑み、
彼らを滅ぼすために召集したのです。

彼ら、悪霊に惑わされたエキュメニカル推進派のキリスト教リーダー達は、
「不寛容な原理主義的クリスチャン達」聖書的な呼び方をするなら、「善かつ忠なる主のしもべ達」を
滅ぼそうと戦いに出ていくのですが、残念ながら、結果は自分自身の滅び、裁きなのです。

その様なわけで、私は警告します。エキュメニカルというまさに聖書にその名前の由来のある
背教的なムーブメントに加わることには、注意が必要です。

エキュメニカルに参加すべきか、それに同調すべきかとの問いに対する聖書的な答えは、
たとえていうなら、「青酸カリ」とラベルの貼ってある薬品は飲んでも大丈夫かどうかという質問への
答えと同じです。

あえて私の答えを書くなら、「お好きにどうぞ、ただし自己責任で。」ということでしょうか。
青酸カリと書かれているのに、あえて飲んで結果、死んでしまったとしたら、可哀相ですが、
しかし、自己責任なので、誰をもうらむことはできません。
同じ意味合いで、エキュメニカルの末路は聖書に明記されてありますが、あえて
それを選ぶ人は、やはり自己責任なので、結果は自分で刈り取り、誰をもうらむことはできないでしょう。

私達はこのこと、エキュメニカルということばの隠れた意味合いをこの様に今、明確に
語りました。今後、この血に関して、神の前にも人の前にも私達には何らの責任もありません。

”15 「「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。「「”

さて、この時、エキュメニカル大賛成のキリスト教リーダー達が自分達に同調しない人々を
罪に定めたり、罰したりしようとする時と関連して主の再臨の記述が書かれています。

ですから、主につく人々にとって、この時は暗黒であり、何らの救いもないように思えるのでしょうが、
しかし、まさにその時に関連して、主の再臨の約束が特記されていることを思い起こすべきです。

私達を「救うために」主が来臨されるからです。

「身に着物をつけ、裸で歩く恥」とは、罪に関係したことばであり、
エキュメニカル一派に同調し、惑わされ、もう聖書の戒めなど守らなくなった「俗悪なエドム」
の様な人々が裁かれる日は近いぞとの意味合いです。

”16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。”

さて、この時、悪霊に惑わされたエキュメニカル賛成派のキリスト教会リーダー達が
堅く主につく人々を迫害しようと起こした戦いが、すなわち、ハルマゲドンの戦いなのです。

ハルマゲドンの勝敗の結末は?
それは、聖書を読むなら、既に記載済みです。
ハルマゲドンということばが一人歩きしているようですが、そのことばの意味合いは、
「メギドの丘」という意味です。そしてメギドとは「民衆の場所」という意味合いであり、
要するに民衆と関係したことばです。
教会が民主主義になり、民衆が惑わされるため、誤りに入ることが暗示されます。

メギドにおける王の戦いに関しては旧約聖書に記載があります。

”列王記第二 9:27 ユダの王アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハガンの道へ逃げた。エフーはそのあとを追いかけて、「あいつも打ち取れ。」と叫んだので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせた。それでも彼はメギドに逃げたが、そこで死んだ。”

”歴代誌第二 35:22 しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った。”

これらの記述を見ると、メギドでは、ユダの王達が戦いに破れ殺されていることがわかります。
旧約のユダは新約のプロテスタントのたとえではないかと私には思えます。
もしそうなら、このハルマゲドンの戦いとは、プロテスタントの教会リーダー達が
エキュメニカルの偽りに惑わされ、結果命を、永遠の命を失う戦いと理解できます。

繰り返しますが、ハルマゲドンの戦いの決着、勝敗は、始めから決まっており、
それは、プロテスタントの惑わされたクリスチャンの裁きの日なのです。
そして、その惑わしの一環としてエキュメニカルというムーブメントが大きな意味合いを持つことをも
この箇所は暗示しています。

再度繰りかえしますが、エキュメニカルというムーブメントを軽視すべきではありません。

それに参加すること、同調を「誓う」ことは、思いもかけず、命と関係する、永遠の命と関係したことがらであることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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