NO.533偽預言者バラム


”テキスト:民数記22:1 イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。
2 さてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行なったすべてのことを見た。
3 モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。
4 そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。
5 そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。
6 どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」
7 占いに通じているモアブの長老たちとミデヤンの長老たちとは、バラムのところに行き、彼にバラクのことづけを告げた。
8 するとバラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」そこでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。
9 神はバラムのところに来て言われた。「あなたといっしょにいるこの者たちは何者か。」
10 バラムは神に申し上げた。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこしました。

本日は、「偽預言者バラム」としてメッセージしたいと思います。
聖書箇所は、民数記22章です。

この箇所のトピックは、モアブの王バラクが預言者バラムを買収して、
イスラエルの民を呪わせようとしたということです。
このことの意味合いを考えてみたいと思います。

こんなこと、他の民族を呪うこと、まして神の民を呪うことは良いことではないのですが、
しかし、この箇所には、それ以上のことがらが隠されている、隠れた意味合いがあるように
思われます。
何故そういうのかというと、新約聖書の中で何度かこの偽預言者バラムのことが何度か、
言及されているからです。以下のとおりです。

”2ペテロ2:14 その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らはのろいの子です。
15 彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。
16 しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の気違いざたをはばんだのです。”

”ユダ1:9 御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、「主があなたを戒めてくださるように。」と言いました。
10 しかし、この人たちは、自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びるのです。
11 忌まわしいことです。彼らは、カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。”
 

”黙示録2:14 しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。
15 それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。”
 

これらの新約の聖書箇所を通して理解できることは、バラムの誤り、偽預言者の罪は、単に旧約で終わったわけでなく、逆に
新約において、今の教会において大いに起こり得ること、警戒が必要だと言うことです。
その警告について学びたいと思うのです。
 

テキストを順に見ます。

”1 イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。”
 

この日、出エジプトしたイスラエルの民は、モアブの地にさしかかりました。
ここで問題が起こるわけです。

この記述は、かつての日、起きたことですが、しかし、未来の日、終末の出エジプトの日の
預言とも理解できます。何故なら、聖書黙示録にはエジプトに関する記述がいくつかあり、終末の日に出エジプトの本番が起きることが暗示されているからです。
 

モアブの王バラクに彼らは呪われようとするわけですが、モアブということばには、
隠された意味合いがあります。
このことばの原語の意味合いは、「父の」という意味合いです。
父は天の父なる神に通じ、よいことの様にも思えますが。そうとも限りません。
何故なら、旧約聖書を読む限り、モアブの民は、いつもイスラエル、神につく民の邪魔をしている
からです。ですから、彼らの父は神というより、「あなたがたの父は悪魔である」とイエスの
いわれた別の父である可能性があります。

主はかつての日、私達の父は神であるといいながら、その実態は、
悪魔を父とする信者(クリスチャン)について語りました。
以下の通りです。

”ヨハネ8:41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」
42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。
43 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。
44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。”

この箇所は明らかに主を信じる、自分達の父は神であるといいながら、その実態は、
悪魔を父としている人々について語っています。

モアブの先祖は誰かというと、ロトであり、彼はアブラハムのおいです。
ですから、イスラエル、モアブは血縁関係、近い間柄なのです。そして、皮肉にも一方は神を
父とし、他方は悪魔を父としているのです。
これは、いわゆるクリスチャンの間柄を示すものです。
クリスチャンと名がつく人の中にも一方、神を真の父とする者、他方、「天のお父様」は名目だけ、
実際は父なる悪魔の欲望を行う人もいるのです。


2 さてツィポル(ふくろう、つばめ)の子バラク(荒廃させる者)は、イスラエルがエモリ人に行なったすべてのことを見た。
3 モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。”

このモアブの王の名前は、バラクであり意味は「荒廃させる者」という意味合いです。
このことばは、有名な「荒らす憎むべき者」を想像させます。
このバラクの予言的な意味合いは、終末の日に教会を荒廃させる、悪魔である
父の心、欲望を行う堕落したクリスチャン、そんな意味あいでしょうか。
彼の父、ツイボルの意味合いも意味深いものがあり、それは「ふくろう」です。
ふくろうは聖書的には、汚れた鳥であり、悪い霊を表すと理解できます。
すなわち、「ツィポルの子バラク」の意味あいは、終わりの日にあらわれる悪魔を父とする
クリスチャン、彼らは悪い霊の支配下にあり、教会を荒廃させる、そんな風に理解できるのです。
 

「モアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。」

この日、モアブは出エジプトしたイスラエルの民に対して恐怖心を起こしました。
数が多いので、自分の領土が侵されると恐れたのです。
同じことは、終末の日に再現するでしょう。

すなわち、終末のモアブ、神が父だといいつつ実際は悪魔を父とする人々も、イスラエルすなわち、堅く主のことばを行う人々を恐れ、敵視するのです。
 


4 そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。”

かつて先の雨、ペンテコステの日、真のイスラエルすなわち、初代教会の人々は、人数が増え、
ますます盛んであったため、当時のユダヤ教の指導者に敵視されました。

同じ様なことが、終末の日、大収穫の日に再現するでしょう。
その日、後の雨、聖霊の大雨の中で、救われた真のイスラエル、クリスチャンもまた敵視されるのです。
 


5 そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。
6 どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」”

さて、その様に彼らを敵視したバラクはこのイスラエルの民に対して害を加えようと
志しました。しかし、その方法が少しユニークです。
イスラエルを軍隊でやっつけるという方法ではなく、預言者を連れてきて、彼らを呪うという方法をとったのです。

この方法にバラクは大いにこだわり、何とか実現しようとあらゆる方法で画策しています。
しかし後世の我々から見ると一体そんなことがどれ程効果があるのかと、疑問に思えないでもありません。
しかし、この方法にバラクは大いにこだわり、何度も何度もめげずに実行しようとしています。
このことは何か今の我々に語ることがあるでしょうか?

私の理解では、このことは未来、終わりの時代に関する預言であり、終末の日に真のイスラエル、
堅くみことばに立つ人々を害する方法を預言しているように思えます。すなわち、終末の日にもまた、偽預言者を通して真の神の民が迫害され、非難され、呪われるということが起きると思えるのです。

旧約の預言者は新約の教師の位置にあります。ですから、これは、終末の日に、買収され、
惑わされ、盲目になった教会の教師、牧師が真の神の民を迫害し、呪い、非難する日の予表と
理解できるのです。
 

"
7 占いに通じているモアブの長老たちとミデヤンの長老たちとは、バラムのところに行き、彼にバラクのことづけを告げた。”

占いということばが出ていますが、これは、英語の訳を見ると、witchcraftすなわち、
魔術と関係のあることばです。
そして占いは以下の様に聖書の神により明白に禁止されたことがらです。
 

”申命18:10 あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
11 呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。
12 これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。”
 

占いは明らかに神以外の霊、悪霊と関係があり、それゆえ聖書の神が禁じていることがらです。
しかし、このバラム、利益のために真理を曲げる偽預言者として名高いバラムはこの占いと
関係があります。

そもそもキリスト教と占いとは相容れないものであり、当然禁止されていたものです。
しかし、終末の日、変質したキリスト教会、また欲に目がくらんだ牧師、偽預言者の間で、魔術、占いは
公認されるようになってきます。アメリカでは、例の魔術の指南書、ハリーポッターの本が
何とキリスト教会で受け入れられつつあるということです。
驚くべきことですが、しかし、まさに聖書の預言したことが実現しているだけだともいえます。
このことは逆に今は、現代とはまさに占いにたけたバラムで予表される偽預言者が起きる時なのだということを語る指標でもあります。
 


8 するとバラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」そこでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。
9 神はバラムのところに来て言われた。「あなたといっしょにいるこの者たちは何者か。」

この時、神、主はバラムに語りました。すなわち、バラムと聖書の神とは、交流があり、交わりがあり、
関係があったのです。このことが現代の我々に対して語ることは、何でしょう?
それは、偽預言者、バラムを通して聖書の語る終わりの日の偽預言者とは、決して、
聖書の神と無関係な人々ではないこと。仏教徒やら、イスラム教徒ではないのです。
逆にそれらの人々は、神、聖書の神と交わりがある、日々、祈り、神に仕える、もしくは仕えていることになっている人々なのです。具体的には今でいう教会の牧師、神父のことと思われます。

まとめますが、バラムすなわち偽預言者の問題は何か?
その問題は、終わりの日、教会の預言者、教師、牧師が変質し、利のために
道を曲げること、そして結果あろうことか神が真に宝とする
人々を非難し、呪い、排斥することに加担することです。明らかに聖書はこのことを
暗示しています。

そしてもうすでに私達はその様な時代に一歩も二歩も入りつつあるのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
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