NO.530 移される


”テキスト:黙示録6:14天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
KJV:14* And the heaven departed as a scroll when it is rolled together; and every mountain and island were moved out of their places.”

本日は「移される」という題でメッセージをしたいと思います。
テキストは上記箇所です。

黙示録は、終末の日に山や島が移されることを語っています。このことの意味あいを
考えてみたいと思うのです。

テキストに沿って見ていきましょう。

「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり」
 

終末の日に「天が消える」というそのことは何をたとえているのでしょう?
天は以前も見た様に「空の星の様になる」といわれたアブラハムの
子孫、イスラエルと関係のあることばです。そして新約のイスラエルは、ロマ書にも
書かれているように、我々クリスチャンのことです。

それで、天とは、星であるイスラエルの子孫、クリスチャンの住むところとして、教会の
たとえであることがわかります。
 

天が「消えてなくなる」ということばは、KJVでは、depart(出ていく、出発する)
ということばが使われています。要するに天はもう不動のものでなく、その
場所を動き、変わり、変化するということを語っているのです。
 

天が消えてなくなるとは、それで教会が動かされてしまう、変化するということのたとえであることが
わかるのです。

「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり」

さて、天が動かされてしまうことをこの箇所は書いているのですが、そこに一つ、
特別な表現が加わっていることに注目しましょう。
すなわち、「巻き物が巻かれるように」と書かれているのです。
巻き物の意味あいは何でしょう?

巻き物ということばは以下でも使われています。

ルカ4:17「すると、預言者イザヤの<書>が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。」

この箇所から、「巻き物」とは実は聖書をさすことばであることがわかるのです。
 
 

「巻き物が巻かれるように」

この箇所は、KJVでは、「一つの巻き物が他の巻き物とともに巻かれる」(
as a scroll when it is rolled together;
)とのニュアンスで書かれています。

昔の聖書は羊皮紙でできており、巻き物でした。
今の様に66巻の聖書が一册の印刷された本の様になっているわけでなく、
それぞれの書は、別の巻き物だったのです。その時、2、3の巻き物の聖書を重ねて巻けば、
それぞれ一緒に巻き物は動き、巻かれて行きます。この箇所は、
その様な情景について書かれていると読めます。

要するに教会は、自分の意志と関係なしに他とあわせられてしまう、動かされる、妥協させられるというニュアンスがあるのです。
何をいっているのか?
要するに他とあわせよう、一致、愛の一致が一番というかけごえのもとに起こされるエキュメニカル的な
教理、教団の一致について預言されていると思えます。
その一致の時、教会の聖書、巻き物、教理は動かされ、教会には教理的な妥協が起きることを預言しているのでしょう。具体的には、
非聖書的なカソリックの教皇制やら、マリヤ崇拝、偶像崇拝には、目をつぶり、
一致のために聖書もキリストのことばも投げ捨て、ぶん投げ、妥協していくわけです。
アメリカが政治的な圧力で日本人に強制的に狂牛病肉を食わせているみたいに、
悪霊のリバイバリスト、ベニーヒンなどを強制的に教会に受け入れさせるわけです。
そして教会はそれに妥協する、それを教会が動く、天が動く(消える)と表現しているわけです。
 

「すべての山や島がその場所から移された。」
 

ここでは、山や島が動かされることが書かれています。
山は「木が生えるところ」として教会のたとえです。クリスチャンは、ぶどう、オリーブなど
「木」にたとえられます。山は、その木が生えるところ、すなわち、多くのクリスチャンがいる
ところとして教会のたとえです。島も同じく、「海にある場所」、
聖霊の海に囲まれた場所として、教会のたとえなのです。

要するにこの箇所は、教会が動かされるということに語っています。
このことは、旧約の時代における神の民が動かされたこと、
アッシリヤ、バビロンへと動かされ移転させられ、捕囚されたことと
通じます。旧約の神の民が移され、動かされたように、新約の教会も
動かされ、移されることを語っています。
しかし、動くといっても物理的に動くわけではありません。
世界中の教会の教会堂が移転するということをいっているのではありません。

そうでは、なくて霊的な移動、捕囚のことをいっています。
霊的、信仰的にバビロン化、エジプト化されてしまうのです。

もっと具体的にいえば、これから、クリスチャンはクリスチャンという名前は
あっても実質他のもの、クリスチャンとはいえないものになっていくと語っているのです。
キリスト教会も教会の名前はあってもその実質は別のもの、教会とはいえないものと
なっていくというのです。
 

そしてその結果は重大なものとなります。
かつての日、捕囚されたイスラエルの民は、先祖の約束の地を離され、
別の国に引かれていきました。「約束の地」から引き離されたのです。
このことは信仰的に重大なことがらを暗示し、今でいえば、クリスチャンが「約束の御国」を受け継がないことを意味します。

そう天国へ入らない、クリスチャン、教会が大量に出現する日について語っているのです。

この教会が動かされること、移動することは、もし私達の目が開かれるなら、もうすでに始まっています。
聖書に明確に禁じられた同性愛を認めたり、入れ墨を認めたりする動きはすでに始まっているのです。
そしてこれらは、さらに加速され、終わりの日に、全ての山や島すなわち、全ての教団、教会が
動かされる日が来るのでしょう。その日をさして、テサロニケの手紙では背教と呼んでいます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
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