NO.523 金持ちになりたがる

”テキスト:1テモテ6:7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
8 衣食があれば、それで満足すべきです。
9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。
13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。
14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。”

本日は、「金持ちになりたがる」という題でメッセージします。
終末の日の金持ちに関してさらに見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。

”7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。”

このテモテの手紙の箇所には、金持ちになるたがる人について書いてあります。
金持ちとは何かといえば、たくさんのお金を持っている人です。
昔でいえば百万長者今でいえば一億円位持っていないと長者とはいえないのかもしれませんが、
何しろお金を持っている人、銀行にたくさん預金を持っている人が金持ちなのでしょう。

しかし、今まで見てきたように、聖書は金持ちということばに関連して、
隠されたたとえを語っており、それは明らかに(聖霊の)たまものに満ちている
人々について語っているようなのです。

たまものを追うこと自体は悪いことではないのでしょうが、しかし、
そのたまものをえさに偽りの教理に惑わされてしまうことは問題です。
 

世の中においても貧乏人よりは、金持ちの方になりたいと皆思っています。
お金さえあればと皆思うのでしょうし、人によっては、そのことのみを追い求め、
金を稼ごうとばかり、違法行為を行ったり、道を踏み外すこともあります。
お金に目がくらみ、善悪の基準がマヒしてしまうのです。
しかし、そんなに稼いだお金も後の世で使用するわけではない、お金とは
結局この世にいる間のみ、関係するものに過ぎない、そういう意味合いで、
「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」
と語られているのです。

さてこれはこの世の実際のお金についての話ですが、しかし、
それは霊的なたまものについても同じです。多くのたまものに満ち、多くのたまものがあると
いってもそれは、あくまで今の世に関係あるに過ぎず、
それらのたまものを後の世にもっていくことはできません。

このことをさして、「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」と語られているようにも思えます。
ですから、たまものを与えられないより、与えられた方が勿論よいのですが、
しかし、それにも限度があり、たまものに引かれるあまり、みことばと離れた
教理を受け入れたり、悪霊の器に従ったりすべきではないのです。


8 衣食があれば、それで満足すべきです。”

衣食はもちろん、着るもの、食べるもののことです。
世の中的にいえば、食べるもの、着るものがあればよしとせよ、
でっかい外車やら、軽井沢の別荘やら、とほうもない金持ちになることに
のみ汲々として、目をくらませられるなとの意味合いです。
霊的なことをいえば、衣すなわち、着るものとは、白い衣=義との
意味合いから考えて罪をおおう衣、すなわち、罪をあがなわれたことをさすと
思えます。食べ物の方は以前からいっているようにパン、すなわち、
霊的な糧、みことばの教えということになります。
ですから、罪をあがなわれ、また命のパン、みことばに養われているなら、それで
よしとせよ。

霊的な巨人になるだの、奇跡としるしのすばらしい器になるだのの
「金持ち」になる夢を描いて、トロント、ペンサコーラ、カンザスシテイにまで、
飛び歩いて、逆に悪霊を受けたり偽り教理を受けたりして、永遠の命を失わないようにせよ、そう語っているのです。

”9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。”

金持ちになろうと欲すると多くの欲に入ります。
これはこの世において本当です。
そしてそれは霊的な面でも同じなのです。
貧乏クリスチャン、すなわち、何らのたまものも奇跡も不思議も起こせない、
普通のクリスチャン生活に別れを告げ、リッチな金持ち、すなわち、
ベニーヒン、ラインハルトボンケ級の奇跡の器になろうと志す人々こそ、ここでいう「金持ちになりたがる人たち」のことなのです。

それらのことを追い求めるとどうなるのか?
何と、「誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥」ると
いうのです。

この中で、「誘惑」ということばに注目してください。
このことばは、以下のフイラデルフイアの教会に関して書かれた終末の
試練、大艱難、誘惑の時をさすことばと同じ原語です。
 
 

「黙示録3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている<試練>の時には、あなたを守ろう。」

ですからこれらは関連があると思われます。
すなわち、終末の日の大きな試みの日において、その誘惑、試練、試みにまんまとだまされ、
ひっかかり、結果として永遠の命を失うクリスチャン、それが、「金持ちになりたがる人々」なのであるとこの箇所は語っているのです。

かつての日のこと、初めの書創世記に書かれている誘惑の日は終わりの日、黙示録の時代に大規模で再現することを
覚えましょう。初めの誘惑?すなわち、エデンの園において行われた蛇の誘惑は再現され、
それにだまされた人々は再度命の木から追放、すなわち自らの永遠の命を失うようになるのです。

神みずから「始めであり終わりである」と語られていますが、聖書の始めに起きたことは終わりの日に多く再現されます。

「また人を滅びと破滅に投げ入れる」

これらの金持ち症候群の人々はえさにつられ、誤った道へと引かれ、結果、
滅びと破滅に陥ります。

お金にひかれ、金持ちになりたがる人々は世の中でもだまされます。
いつだか豊田商事という会社の事件がありました。
お金をあずけると10%とか20%とかの大変な利子がつくので、何とかお金を増やしたい人々は
こぞって、
皆この会社にありったけの金を渡しました。ところが、あにはからんや、
この会社はインチキであり、投資した人は皆大損をしました。
結果、財産を失い、人生を破滅してしまった人も多かったのです。
金持ちになりたがり、逆に破滅してしまったのです。

これは世の中の話ですが、霊的な世界、信仰の世界も同じです。
人より数段優れたたまものが欲しい、
と何とか霊的な金持ちになりたい人々は欲に釣られて
怪しい誘い、嘘クサイ話にコロリとだまされていくのです。

"
10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。"
 

金銭を愛することがあらゆる悪の根とは確かにそうです。
井原西鶴の昔から、金があらゆる犯罪の原因です。
強盗をするのは、お金が欲しいため、友人をマルチ商法へ
誘っても恥じないのは、お金に目がくらむため、また旦那に保険金をかけて
殺すのもそれもお金に目がくらんだためです。

さて、世の中はそんな感じですが、信仰の世界も同じく「金銭を愛することがあらゆる悪の根」となることを知りましょう。

リッチになりたい、たまもので満たされたい、他のクリスチャンよりも数段すぐれた
たまものを持つ者となりたい、そんな「金銭を愛する人々」はあらゆる悪へ
引かれていくのです。

ジョンウインバー、ピーターワグナー、ベニーヒン、ビルハモン等の教理は
明らかに聖書的ではなくおかしな教理なのですが、たまものに目がくらむ人々は、
聖書の教理などふっとばし、多少教理がおかしくても自分さえリッチになる、
たまものが与えられればよしとばかり、これらの教理に追随していきます。

世の中でもお金がからむ遺産争いになると常識やら、兄弟の情愛などすぐ吹っ飛ぶものです。
親がわずかながら残した遺産を取り合って、今迄仲の良かった兄弟が憎しみ会い、ののしりあう、などは
よくあることです。また、俺俺詐欺のように、犯罪めいたこともお金のためなら、
進んで行う人も多いのです。

これらの人々、お金に目がくらみ、兄弟を憎み出すような人とは世の中の人のことですが、
しかし、たまものに目がくらみ、キリストのことばを憎んだりすっとばしたり、ないがしろにする
クリスチャンも同じようなものなのです。

終末の時代、7日目のミレニアムはまさに「金銭を愛すること」をえさにあらゆる悪が教会に大手を振って入ってくる時代であることを知るべきです。
この世的な標準を教会に持ち込む、パーパスドリブンチャーチ、カテドラルチャーチなどはそのはしりであり、ピーターワグナーのいうパラダイムシフトすなわち「これからルターの宗教改革に匹敵する
変化が教会に起きる」とのことばの、本当の意味合いは、「金銭をえさに、たまものをえさに
キリスト教会の根本を変えてやる。キリスト教の根本教理を変化させ、堕落させ、変質させ、
もう教会とはいえないものと変えてやる」との偽ユダヤどもの戦線布告なのだということを理解しなければなりません。

どこかの阿呆たれキリスト教会、新聞、雑誌の様に愚かにもこんなムーブメントに踊らされる、もしくは情けなくも
冒涜のお先棒をかつぐ愚か者の模範、愚か者の鑑になってはいけません。
 

「ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」

ある人たちが金を追い求めたそのゆえに信仰から迷いでた、そのことが書かれています。
ですから、終末の日に多くの人々が信仰から迷い出る、背教に至る、
その原因、大きな原因は「金を追い求める」すなわち、たまものに大きく引かれることであることが想像できます。

小さな坊やが車に引かれて死んでしまいました。車道に飛び出したら、あぶないよと
お母さんにいわれていたのに何故飛び出したのでしょう?
それは、坊やがボールを追いかけていたから、ボールしか目にみえず、他のこと、車のことや車道に出たことなどすっかり忘れてしまったからなのです。
これは悲しいことですが、しかし、終わりの日に金、たまものにひかれ、「聖徒にひとたび伝えられた
信仰」から、飛び出ていく金持ちクリスチャンも同じ様なものなのです。
彼らはたまものフイーバー、奇跡フイーバー、しるしと不思議フイーバーの中で、
キリスト教とはいえないものへと変質していき、信仰を変えていくでしょう。しかし、その結果は、
「非常な苦痛をもって自分を刺し通」すことになるでしょう。
 

”11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。”

これらの成り金フイーバー、たまものフイーバー、リッチマンフイーバーを避けることが語られています。
繰り返していいますが、このフイーバーは世界中のキリスト教会を席巻するようになるでしょう。
しかし、それらのフイーバーに巻き込まれて信仰を失うよりは、「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求め」ることが語られています。逆にいうと、金持ちになりたがる人々の間では、「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」などは消えていきます。逆に彼らは律法を守らない不法をなす
人々になるのです。
結果、「主よ主よ」といいながら不法をなすものよと主に叱責されるようになります。

”12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。”

金持ちに関する記述の中に突然の様に「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得」することについて書かれています。そして、これらは関係します。
私達は金持ちになりたがる人々が主張するおかしな教理と戦わなければならないのです。
これに破れ、嘘つき教理に惑わされて永遠の命を失ってはいけないのです。
たまものに目がくらんだ盲人金持ち達の間ではしかし、この正しい信仰に立つ人々、それを告白する人々は
非難されるようになるでしょう。だからこそ、ここで「多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」と書かれているのです。


13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。
14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。”

「主イエス・キリストの現われの時」と関連して、主の命令を守り、告白を守ることが書かれています。
逆に考えれば、その時、主の再臨の時とは、ただしい信仰の告白が難しい、
多くの人が金持ちフイーバーの中でみことばを裏切り、背教に入っていく時代であることが暗示されるのです。
 

さあ、戦いが来ようとしています。これらの戦いの中で正しく戦い、
永遠の命を獲得すべく備えましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
  -----------------------------7d6148320030 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream