NO.521金持ちは殺す


”テキスト:ヤコブ:5:1 聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。
2 あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、
3 あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。
4 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。
5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。
6 あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。
7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
9 兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。”

本日は、「金持ちは殺す」という題でメッセージをしたいと思います。
金持ちは殺すとは何とも物騒なタイトルですが、しかし、このことは上記
ヤコブ書に記されています。

終末の日に金持ちが貧しい人々を殺すということは、実は聖書が暗示していることなのです。
このことを見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ていきます。

”1 聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。”

終末の日の金持ちとは実はトンでもない種類のクリスチャンなのだということは、聖書の
いくつもの箇所が証しすることです。

黙示録にはラオデキヤ教会の金持ちに関して、「富んでいる、豊かになった、乏しいことは何もない」として、その実は、「みじめで貧しく、盲目な者」であることを知らないと述べています。
彼らはたまものに富んでいると勘違いしているが、それは、神からの霊によるものでなく、
実際は彼らは貧しいものであると述べているのです。
彼らは自分はすばらしい神の霊に満ち、たまものに満ちたクリスチャン、リッチな金持ち
クリスチャンであると錯覚しているが、しかし、悲惨と裁きが彼らに襲ってくると聖書は
警告しています。だからこそ、金持ちに対して、「あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい」と語っているのです。

これは何をいっているのか?今はたまものに満ちたすばらしい金持ちクリスチャンとして、自他ともに
誇っているでしょうが、神の前においては裁きが来る、それゆえ、「悲惨を思って泣き叫」びなさいと
語っているのです。金閣寺は美しい寺ですが、しかし、いつまでも安泰なのではなく、ある日、大きな火事が起き、その寺は焼かれてしまいます。その日、この寺をほめている人々も泣叫ぶでしょう。
同じ意味合いで、今、大いにおごり高ぶり、勘違いしているベニーヒン系のたまものに
満ちたクリスチャンに対して、悲惨の日が来ることがよ預言されているのです。

”2 あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、”

これらの金持ちは聖書的な方法、神により喜ばれる方法で金持ちになったのではなく、むしろ
不法に身を渡し、反キリスト系の霊に身を渡し、リッチになりました。
それゆえ、彼らに災いが来ます。
以下の「主よ主よ」といい、多くの奇跡や悪霊追い出しをしながら、なおかつ「不法」の
ゆえに主に裁かれてしまう人々は、この「金持ち」の別の表現です。

”マタイ7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』”

「あなたがたの富は腐っており」とヤコブがいう時、この富はどの様な富なのか、
想像がつきます。
たとえば、ある人が「百万円」のお金を持つ百万長者であるという時、
この人は確かにそれだけのお金を持っているのでしょうが、しかし、
そのお金の入手の方法により、その富はあるいは祝福され、もしくは呪われます。
その富が正しい方法で、まっとうに畑を耕し得られたなら祝福されるでしょう。
しかし、その富が神に喜ばれない方法で得られたすなわち、泥棒稼業により
得られたなら、呪われるでしょうし、その富は腐るでしょう。

同じ意味合いで、このヤコブ書でいう金持ちの富が腐っているといわれる時、この
富はまっとうな方法で得られたものでないことが暗示されます。
どの様な方法で得られたのか?恐らくこれらの金持ちの富は
しるしと不思議を行う悪霊と交わることにより、
得られたものと想像できます。
そして、それゆえ、彼らに対して、神からの祝福は来ず、
その富は腐っていることが語られているのです。

”3 あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。”

金銀は、何度も書いているように、信仰に関することばです。
ですから、彼ら、奇跡や、不思議を行う金持ちクリスチャンは、自分はすばらしい
超人的な信仰を持っているから、神は私をこのように祝福して下さると「勘違い」するのでしょうが、
しかし、聖書は彼らの信仰、金銀は、「さび」が出ていると語っています。
さびの出た金のネックレスなど、高級アクセサリー店の店頭で売るわけにはいかず、
お払い箱になってしまいます。同じく、これらの自称「信仰の勇士達」も神の前に
お払い箱、サタンとその使いが入るべきところに捨てられるのがせきの山です。
ここで書かれた「さび」という原語は以下の「毒」ということばと同じです。
 
 

 ロマ3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの<毒が>あり、」
 

まむしの毒、蛇の毒とは、かねてから語っているように、蛇教理、偽り教理と関係のあることばと
思われます。
ですから、ヤコブ書で、「金銀にはさびが来て」という時、これらの金持ちは、蛇教理、毒教理を
信じ、受け入れていることが暗示されるのです。

終末の金持ちすなわち、たまものやしるし、奇跡を追いかけるクリスチャン達は、いずれ、終末の蛇教理に惑わされていきます。それは、蛇の毒に満ちており、それは、巧妙に人々を偽り、キリストのみことばを否定させます。
レフトビハインドを始めとするキリストの再臨が2回あるとするよた話はその一つです。

”あなたがたの肉を火のように食い尽くします。”

肉と火とが書かれています。火は霊のたとえです。もちろんこれは、聖霊ではなく、悪霊のことをいっているのです。金持ち達が、たまものに引かれ、喜んで受けている毒水こと、その悪霊は、
いずれ彼らの肉を食い付くします。肉を食い付くすとは具体的に何を語っているのか?
おそらく、この悪霊は彼らの肉をうながし、肉的な欲望を喚起し、彼らを肉的なクリスチャンにさせるのでしょう。

霊を受けて肉的になる?変な話ですが、その受けた霊が聖霊ならぬ悪霊なら往々にして
ありえることなのです。
乾いたのどに清涼なわき水を飲ませれば元気はつらつとなります。
しかし、水をあげるよとのかけ声とともに青酸カリ入りの水を飲ませれば彼はいずれ死ぬでしょう。
同じ意味合いで愚かにも悪霊の水、悪霊の火を受ける人々は、信仰の実が結ぶどころか、
その肉が焼き尽くされます。ますます肉的になるのです。
変なスキャンダルがいわゆる聖霊派に多いと聞きますが、これは彼らが聖霊ならぬ
毒水、焼き付くす火を受けているからなのではないでしょうか?
 

”あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。”
 

終わりの日にこの金持ち達は財宝をたくわえたと非難されています。
終わりの日に財宝を貯えるとは、あの7つ目の教会、「富んでいる、豊かになった」すなわち、
財宝を貯えた教会、ラオデキヤと明らかに符合します。
これらの人々は、明らかに終末の惑わし、サタンの巧妙な惑わし、誘惑にみごとにだまされた人々なのだということをハッキリと理解してください。

かつてエデンの園のエバが「見るによく食べるによく賢くなるにふさわしく
」見えた実をとり、惑わされ、命の木、すなわち、永遠の命から切り離された
ように終末の多くのクリスチャンの永遠の命を奪うため、世界規模の惑わしが
許されるようになるのです。
 
 

見るによく、すなわち多くの一目を引く、奇跡やしるしとともに。
また食べるによく、すなわち、食べやすい、一般受けするような巧妙な
教理と「あなたもすばらしい奇跡が行なえます」との耳障りのいい教理とともに。
賢くなるにふさわしい、すなわち、一見すばらしい啓示や、不思議な知識と
ともにこれらの金持ちへのいざないはやってくるのです。

しかし、これらの偽り、誘惑にまんまとだまされたクリスチャン、金持ちクリスチャンを非難して、
聖書は、「あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。」と語っていることをしりましょう。

”4 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。”

畑の刈り入れをした労働者とは、終末の大収穫と関係があります。
終末の日の働き人は、主の命に従い、刈り取りをのわざをします。
それらの働き人をあろうことか、これらの金持ちは非難、投獄、さらに
死を宣告することがこの箇所には暗示されています。

”5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。
6 あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。”

ここで金持ち達は正しい人を罪に定め、殺すことが書かれています。
一体何故この様なことが起きるのか?何故終末の日に金持ちになってはいけないのか?
それは、繰り返しますが、終末の日には、富、金、財宝すなわち、御霊のたまものに関する惑わしがあるからです。たまものにひかれ怪しい器の教理を吟味なく、受け入れる人々は、その教理に
洗脳され、結果、正しい人を罪に定め殺すようになるでしょう。

欲にひかれ、罪に荷担するとは、世の中でもキリスト教会でもよくあることです。
たとえば、マルチ商法とは法律で禁止されたことなのですが、「5人会員を増やせばあなたは、
毎月30万円の収入がある」なんて甘いことばに引かれ、つい一線を踏み外してしまう人は多いのです。

今のキリスト教会では、怪しい教え、裏に意図のある教えが多いです。
「教会のカルト化」うんぬんも福音的な教会を非難し、罪に定め、ついには命を奪うために
画策されたよた話の様に思えますが、惑わされている人は多いのです。

また、霊の戦いなどという怪しい教理も今は神社や仏閣の建物が相手の様ですが、
いずれ、対人間、対教会に向かうでしょう。
ベニーヒン、ラインハルトボンケ、ピーターワグナー、ジョンウインバーなどの
たまものに引かれる人々は、彼らのいうトンデモ教理もすっかり受け入れていますから、
彼らが先頭に立ち、罪のない人々を罪に定める日は近いのでしょう。

「地上でぜいたくに暮らし」

我々クリスチャンは基本的に
この世のものでなく、地上のものでなく、地上にあっては、旅人に過ぎないはずなのですが、
これら終末の金持ちの特徴は、地上でぜいたく、すなわち、この世で成功し、富を持ち、
有名になることです。

悪霊リバイバル大賛成のアメリカテレビ伝道士を始め、彼らの多くはこの世で有名、
金持ちです。
 

「快楽にふけり」

この笑いのリバイバルの特徴は、悪霊的であるとともに、この世的なよいことばかりいうことです。
やれ、金持ちになる積極的思考だの、誰も彼もこの世的であり、快楽を追い求めています。
 

「殺される日にあたって自分の心を太らせました。」

しかし、聖書はこれらの金持ちは「殺される」と書かれていることをしりましょう。
何と彼らは殺されるのです!

そんなわけで繰り返しいいます。明白で明確な聖書の警告をきちんととらえましょう。
この時代の怪しいリバイバルに従い、たまもの、奇跡を追い求める人々は、
なる程いずれ、金持ちになり我が世の春を迎えるでしょうが、しかし、それもつかの間、
いずれ「殺される」と聖書は述べているのです。
結末を知り、よくよくこれらの怪しいリバイバルを吟味しなければならないのです。

「あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。」

金持ちが正しい人を罪に定め殺すことが書いてあります。これはこれから
起こることであり、いわゆる患難時代とはこの日のことをさすのです。
金持ちクリスチャン達が怪しい霊のたまものに惑わされ、聖書の十戒も
教えも投げ捨て、正しい人々を熱狂的に非難、投獄、死刑に処する日、これが
患難時代なのです。

聖書でいう、患難時代とは、未信者によりクリスチャンが殺される日ではなく、
惑わされた神の民が他方の神の民、忠実な神の民を迫害し、死に定める日のことをさすのです。
これは、あの三年半、主の生涯を思い浮かべれば理解できます。
主もその公生涯の3年半の間、苦難にあり、迫害され、非難され、最後には死に定められました。
その迫害はどこから来たのか?それは、惑わされた神の民、そして間違えた律法学者、バリサイ
人の下で起きたのです。

同じ意味合いで、終末の神の民の多くはラオデキヤ、すなわち、金持ちに満ちた教会となり、
彼らはおかしな霊の惑わしの下で、主につく人々を迫害するようになるでしょう。
その日をさして、聖書は、「兄弟は兄弟を訴えて死に至らしめる」また、
「あなたがたを殺すものが自分は神に仕えていると思う時が来る」と預言しているのです。

そんなわけで、今の金持ち予備軍、今しきりにベニーヒン、シンデイージェーコブスなどの
集会に入れ込んでいる人々は、もう患難時代に迫害されるなどと恐れる必要はありません。
めでたいことです。聖書でいう患難時代とは、みことばに忠実な人々、たとえば
黙示録を書いた神のことばにゆえにパトモス島に流された使徒ヨハネの様な人々が
迫害される日のことを語っているのであり、たまものにひかれ、聖書のことばを
投げ捨てる人々が迫害される恐れは皆無です。
むしろ彼らは患難時代で迫害する側、正しい人を罪に定める側になるでしょう。
結果、患難時代よりさらに恐ろしいこと、神の裁きにはいります。
御愁傷様です。

「彼はあなたがたに抵抗しません。」

その日、金持ちにより迫害される主につく人々、笑いやたまものの怪しいリバイバルに同調しない、
貧しい人々は、訴えられ、異端視され、ついには、死刑を宣告されるのですが、しかし、
彼らは抵抗しないことが書かれています。
このことばで思い出すのは、主が十字架につけられる日のことです。
その日、多くの惑わされた群集に熱狂的に非難されても、しかし、その時、主は
弁明も抵抗もしませんでした。そのため、裁判をしているピラトがいぶかった程です。
ですから、終末の日の迫害はやはり、主の時と同じパターンで起きることが想像できるのです。

かつての主イエスの時と同じように、惑わされた金持ちが熱狂的に貧しい人々、
怪しい霊を受け入れない人々を迫害し、死にわたすのでしょう。
 

”7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。”

ここでこれらの金持ちの迫害と関連して、「主が来られる時まで耐え忍」ぶことが
書かれています。ですから、繰り返します。
決して決して間違えてはいけないのです。

主が来られる時に誉れを受けるのは、金持ちすなわち、悪霊のたまものを追い求めている
人々ではなく、貧しい人々、すなわち金持ちに非難される人々なのです。

「見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」

ここで雨について書かれています。雨は聖霊の大傾注のたとえです。
ですから、悪霊の雨の後、「秋の雨や春の雨」すなわち、聖霊の雨があるのであり、
我々はこれを待ち望むべきなのです。

”8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
9 兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。”
 

ここでは、主の来られるのが近い、再臨が近いこととともに耐え忍ぶことが書かれています。
ですから、これらの迫害、金持ちによる迫害が起きたらそれは、すなわち、
主の再臨がもうまじかなのだということを知りましょう。

聖書に書かれているように、金持ちによる迫害が起きたのなら、それはまた、
その後の日、主の再臨が近いことをもさすのです。
決して目に見えることのみでだまされてはいけません。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
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