NO.520 ラオデキヤの教会について

 

 

テキスト:”黙示録3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」”
 

本日は、「ラオデキヤの教会について」としてもう一度この教会について見ていきたいと思います。
ラオデキヤの教会とはどの様な教会なのでしょうか?
ウオッチマンニーは、「フイラデルフイアは兄弟達(ブラザレン)の教会、ラオデキヤは
変質し、高慢になった兄弟達(ブラザレン)の教会」などと、わかったようなわからない
様なことをいっていますが、そのような、J.N.ダービーゆかりのヨタ話を真に受けてはいけません。
ウオッチマンニーの教理は、みなブラザレン、ダービーゆかりの教義であり、またダービーは、
イエズス会出身、偽ユダヤ系くさい怪しい人物、そして何より、聖書にはない、
艱難前にキリストの再臨がもう一回あるなどとの異端再臨話、2段階携挙説を広めた
トンデモ野郎ですので、まともに信じるべきではないのです。

ウオッチマンニー自身は、神の前に真摯に生き、神のみことばを解きあかした人なのでしょうが、
しかし、彼ももちろん、完全ではなく、彼の再臨や、終末預言解釈には、ダービーゆかりの
ヨタ話が大いに入っていますので、参考にはしても盲信すべきものではない、まして、
聖書のみことばをすっとばして盲信すべきものではないのです。
彼の時はまだ終末ではなく、従って啓示の扉はまだ開かれていなかったと思われます。

テキストに沿って見ていきます。

”14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。”

ラオデキヤの教会に関してまず記憶すべきことは、この教会が
7番目の教会であるということです。
7という数字は、聖書において特別な意味合いがあります。
7つ目の日、安息日は以前見たように、特別な日です。
それは一見すばらしい日の様に見えますが、実際に聖書が暗示しているのは、
冒涜の日、善悪が逆転する日、悪を善、善を悪と呼ぶ日のことです。
安息日、7日目はまた7つ目のミレニアムに通じており、このラオデキヤ、7つ目の教会こそ、
7つ目のミレニアムの主流教会であることが予想されます。

そして、もう一つ、フイラデルフイアとこのラオデキヤは明らかに対になっている、
対照的な教会であること、このことをも知りましょう。
テアテラとサルデスすなわちカソリックとプロテスタントが対であるように、
 フイラデルフイアとラオデキヤとは対になっており、互いに対照的な教会なのです。
そして、もう一つまだ7つ目のミレニアムに入ったばかりの私達にとり、
この2つの教会は、まだまだ理論上、教理上の教会であり、実態は見えつつあるというものの、
まだ未来に属する教会である、このことをも知りましょう。

さてまずラオデキヤということばを考えます。
このことばの意味合いは、民の裁きという意味です。
世の中では、民主主義歓迎、民の意見は尊重すべきとなっていますが、聖書の世界ではそうではありません。逆に民がモーセに逆らったように、民の思いに迎合することは聖書的ではないのです。
しかし、この教会は民の裁きが優先するようになり、多くの愚かな惑わされた民の意見を
尊重するようになるのでしょう。
 

”アーメンである方、忠実で、真実な証人”
 

アーメンということばには、真実というニュアンスがあります。
ですからここで書かれているのは、キリストという方は「真実であり、忠実、真実な証人」であるとの
紹介です。しかし、他の教会に関してはそうでないのに、何故、ラオデキヤの教会に関して、キリストが真実、忠実であると紹介されているのか?その理由として類推できることは、この教会が、真実や忠実とはかけはなれた教会、
キリストに関して不忠実となり、偽りの証言をするようになるから、そのことが
予想されます。
 

”15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。”
 

この教会は、キリストから吐き出される教会であることが書かれています。
吐き出すという何気ないことばですが、しかし、このことばはイスラエルの歴史を省みるなら
重い意味合いのあることばです。かつてイスラエルの住民がカナンの地に入りそこを受け継いだ時、
それはまたカナンの地の住民にとっては、その地を「吐き出される」日でもありました。
彼ら、カナンの地の住民の不品行な行いに対してその地は耐えきれなくなり、
これらの住民は吐き出されたのです。
そのようにして、彼らカナン人の代わりにその地に住むようになったイスラエル人なのですが、
あろうことか、
彼らもまたその歴史の終わりに吐き出されてしまいました。

イスラエル、ユダの王朝の終わりに彼らはそのカナンの地を吐き出され、アッシリア、バビロンの地に
捕囚になっていったのです。ですから、
吐き出された世代とは、すなわち、冒涜の世代なのです。
さて、旧約の時代に起きたことは、新約の教会の型でもあります。
かつて起きた「吐き出される」ということがらが、新約の教会の中でも
再現されます。

そして、その世代、教会は、全ての教会時代の世代、7つの教会の中でも
最大の冒涜の教会、背徳の教会であることが暗示されていることを知るべきです。
ユダの王朝の中で最後の王の世代は、冒涜と不信の世代であり、その時代の王は、
バビロンへ捕囚となっていきました。その住む地を追われて行ったのです。

同じく教会時代の最後の教会、ラオデキヤこそ最大の冒涜の教会、約束の地から遠ざけられる教会で
あると暗示されていることを知りましょう。
 

”17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”

ここでいわれている「富む、豊かになった、乏しいものは何もない」といいつつ実際は、
「哀れな者」とは以下に書かれている、富む人と
似ています。

”ルカ6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。
22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。
24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。
25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。
26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。”
 

この箇所がまさにラオデキヤの教会のことをいっているなら、
それを通して理解できることは、
1.終末には、以下の2種類の人々がいる:

a)(たまものに)貧しいが主の前に幸いな人
b)(たまものに)富んでいるが、主の前に実はあわれなもの

2. ラオデキヤ教会は、「(たまものに)富んでいるが、
実はあわれなもの」に満ちている

以上です。
 

「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」

自分が実は「哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者である」のにそれを知らないとは、
まさにアンデルセン童話の裸の王様の様なものですね。
それでこの教会、ラオデキヤの教会とは、大いなる勘違いの教会であることを知りましょう。

その勘違いはどこから来るのか?
それは、霊の大洪水の惑わしに飲まれるからでしょう。
他の箇所で聖書は終末の日に大いなる惑わしが起きることを語っています。以下の通りです。

”2テサ2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。”
 

彼らが何故裸の王様の様に間違えるのか?何故実際は裸なのに、富んでいるように思ってしまうのか?
それはサタンの働きによるものであり、「偽りの力、しるし、不思議」を受け取り、
偽りに惑わされるからであることがわかります。

日本の民話で、きつねにだまされた百姓が、「温泉でいい湯につかっている」つもりが、
実際は、こえだめに入っていたという話がありますが、同じ様なまどわしが終末の教会を舞台に起きるわけです。
 

しるしや不思議をエサにすっかり「サタンの惑わす力」に惑わされた教会、それがラオデキヤであることを知りましょう。
 

「実は自分がみじめで」

ここでいう「みじめ」ということばの原語は以下のみじめと同じことばです。

”ロマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。”

ここでパウロは罪から抜け出せない自分をさして「みじめ」といっています。ですから、同じ「みじめ」ということばが使われている
ラオデキヤの教会も「たまものや、奇跡、しるし」に興じても、
実際は罪にまみれたあわれなクリスチャンであると他でもない主御自身が語っているのです。

これは、実際と符合します。そして、証言もあります。
ラオデキヤのはしりであるトロントリバイバルの集会に出席したある人の話では、
しるしや不思議が強調されていても、罪や問題から抜け出せない人が多いことが
証しされています。これに類した多くの証がトロントペンサコーラリバイバルに
関連して語られています。
 

「哀れで」

哀れということばの原語は新約聖書で2箇所しか使われていません。もう一箇所は以下です。
 

”1コリント15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番<哀れな>者です。”

ここでは、哀れな者とは、キリストの復活を信じずキリストに対して単なる存在していた位の希望を持っているに過ぎない人間的な思いでキリストを理解している人々をさして「哀れな者」と呼んでいます。
 

それで、この箇所を通して、聖書は「哀れ」ということばを通して、この教会に関する隠れたニュアンス、謎を語っているように思えます。

それは、ラオデキヤという教会でこれら起きるキリスト理解、キリストへの信仰に
ついて語っているように思うのです。
この教会はキリストに対して名目的な尊敬、名称を与えるだけで自分の努力や、
たまもの重視また、使徒や預言者をすっかりもちあげて、キリストに対する信仰を
投げ捨てる教会またキリストの復活も再臨もまともには信じなくなっている教会、そんなことが
予想されるのです。
 

「貧しくて」

貧しいということばは以下の箇所でも使われています。
 

”ヨハ12:5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」”
 

この箇所は有名なナルドの油の箇所です。
この時、弟子達は、女が香油を売り、貧しい人々に施すべきだと語っています。香油は、
聖霊のたとえ、尊い純粋な聖霊の働きのたとえです。このナルドの油を持つものすなわち、
この聖霊の油を持つ者は、貧しく何の聖霊をも持っていない人々に分け与えるべきなのでしょう。

同じ意味合いでラオデキヤの教会を「貧しい」と主が語る時、この教会は確かに霊の働きはあるが、
それは他でもないしるしと不思議を行う悪霊に過ぎず彼らは真の尊い油を持たない、「貧しい者」であると主は語っているのかもしれません。

「盲目で、裸の者」

彼らは自分の真の姿が見えない、愚かな盲人であり、惑わしの霊により盲目にされています。
また、義の衣を持たない、裸の者です。
「裸の恥をあらわすな」と黙示録には書いてあるのですが、彼らは再臨の主の前に
義の衣を持たず、裸で出ていく愚か者達です。

”18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。”

「火で精練された金」とは信仰に関することがらです。
この教会の多くの人々は、金を持たない、すなわち、再臨する主にのことなど
信じない不信仰な人々になります。だからこそ、「金」すなわち、信仰を買うようにとの
勧めがあるのです。

「あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい」
とは、この教会が裸の恥をあらわす、すなわち、神の前に義を持たない
教会であることをあらわします。
はっきりしたことをいいますが、いわゆる笑いのリバイバルだの、
第三の波系のリバイバルだのは、たまものや奇跡を強調し、
それに惑わされた信者達を、律法を破るように導きます。
 

その結果、この教会の多くの人々は道徳的に正しくなく、また律法を破るようになります。
今さかんに第三の波系の人々を通して語られている、十一献金を守る必要はない、
日曜日に礼拝を守る必要はない、等の不法はこの教会をいずれ不法者の集団とするでしょう。
聖書に入れ墨をするな、と書いてあるのに入れ墨をする牧師などもこの範疇です。

”また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。”

この教会への勧めの一つは、目薬を買うことです。
風呂に入りなさいといわれるのは、全身どろだらけの子供です。
また電車で席をゆずられるのは、疲れた感じの老人です。
元気はつらつの若者はいくら長い時間立っていても席など勧められないでしょう。
その意味合いで、何故この教会に関してだけ、「目に塗る目薬を買いなさい。」と
主からの勧めがあるのでしょうか?
それは、この教会こそ、とっておきの盲人教会、勘違い教会、
サタンに大いに惑わされる教会だからです。

その惑わしとは今迄書いてきたように、実際はあわれで貧しい者なのに、
豊かであり、富んでいる、乏しいものはなにもないと思い込んでしまう
たまものに関する惑わしなのです。
 
 

”19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。”

この教会は勘違い教会であり、それゆえたまものにあふれているように錯覚したとしても
この教会の信者には、真の平安はありません。
逆にキリストからの叱責やこらしめを多く経験するはずです。
それは、今ベニーヒン等の悪霊の器に聞き従っている人たちも同じです。
これらの叱責やこらしめを受けた時、かたくなにならず、何が正しい神のみここころなのか、
顧みることが大事です。

”20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

キリストがこの教会の「戸の外に立ってたたく」ことが書かれています。キリストは戸の外にいるわけです。
従ってこの教会の多くの人々はキリストとはともに食事をしません。
彼らはキリストを外に追い出すからです。それでは彼らは誰と食事をするのか?それは、
キリスト以外のものです。彼らは
食事すなわち、キリストのパン、みことばを受けません。またぶどう酒すなわち、聖霊の働きをも受けないのです。
むしろ悪霊の食卓に加わるものとなります。
悪霊のパン悪霊の教理を喜んで食べ、悪霊の水を喜んで受けるわけです。
悪霊のパン、悪霊の水などいいがかりだという意見もあるかもしれませんが、
そうでもありません。

ピーターワグナー達の語る、肉体を持たないキリストの再臨という教理は
悪霊の教理であり、彼のいうパラダイムシフト、軸変換とは、要するに今迄の
まっとうな聖書信仰をくつがえして、悪霊の教理一色にしてやるぞとの戦宣布告なのです。
ポストモダンなんとかいうのも同じ主旨です。
横文字を使われると何でもありがたがるのは日本人の悪いくせ、舶来品に弱い
日本キリスト教会の悪いくせですが、こんなものをありがたがって、
受け入れることにはみこころがありません。「エー現代における欧米の神学潮流、
ポストモダンにおけるキリスト教会のありかたを本日は論じます。」なんて
どっかの受け売りをありがたがっている神学者は盲目なあほたれです。
むしろ、これらの偽りを明確に指摘する
勇者にみこころがあります。

”21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」”

この背教の教会ラオデキヤにも勝利者に対する呼び掛けがあります。
教会の方針やら、キリスト教会のトレンドでもなく、むしろ「御霊が諸教会に言われることを聞」く者にみこころがあります。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
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