NO. 515 漏出を病むもの

”テキスト:レビ15:1 ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。だれでも、隠しどころに漏出がある場合、その漏出物は汚れている。
3 その漏出物による汚れは次のとおりである。すなわち、隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは隠しどころが漏出物を留めていても、その者には汚れがある。
4 漏出を病む人の寝る床は、すべて汚れる。またその者がすわる物もみな汚れる。
5 また、だれでもその床に触れる者は自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
6 また漏出を病む人がすわった物の上にすわる者は、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。
7 また、漏出を病む人の隠しどころにさわる者も、自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
8 また、漏出を病む者が、きよい人につばきをかけるなら、その人は自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。
9 また、漏出を病む者が乗った鞍はみな汚れる。
10 また、どんな物であれ、その者の下にあった物にさわる者はみな、夕方まで汚れる。また、それらの物を運ぶ者も、自分の衣服を洗わなければならない。水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。”

本日は「漏出を病むもの」という題でメッセージしたいと思います。

レビ記15章から見ていきます。

”1 ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。”

漏出に関することばを神はモーセとアロンに語られました。
モーセとアロンそれぞれは、2つのことがらをさす型と理解できます。
シナイ山で律法、神のことばを受けるモーセは「みことば」に関する型:
祭司としてのつとめを果たすアロンは祭司、礼拝に関する型:
そんな風に理解できます。要するに、
この漏出とは、神のことば、そして礼拝に影響を与える事柄なのです。


2 「イスラエル人に告げて言え。だれでも、隠しどころに漏出がある場合、その漏出物は汚れている。”

隠しどころとは要するに体の中でいつも隠している部分、たとえ夏に水着を着ても、
その場合でも隠している部分のことです。この様な部分が体にはあります。そしてそれは、
また私達のクリスチャン生活の隠れた部分をさすたとえです。クリスチャン生活の他人からは見えない
部分や、公には出ない、隠してある部分のことをさすと思えます。
そして、その隠れた部分に漏出があるなら、それは汚れていると
語られています。

肉体的なことをいうなら、男でも女でも隠しどころから漏出する場合があります。
それは病によることもあるでしょうし、そうでないこともあるでしょう。

ここでは、具体的、肉体的な漏出について書かれていますが、それは教会時代におけるたとえであり、
教会内で「霊的な漏出」をする人々に関するたとえなのです。

”3 その漏出物による汚れは次のとおりである。すなわち、隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは隠しどころが漏出物を留めていても、その者には汚れがある。”

漏出には色々あるでしょうが、その一つは新約聖書に出てくる長血の女です。
その場合、漏出するのは血です。そして血は霊的なことがらのたとえと理解できますから、
霊的な汚れについて語っているといえると思われます。
流れ出た血が回りを汚したり、場合によっては悪い菌を媒介させたりすることがあるように、
霊的な汚れは回りを汚すのだと言うことを覚えましょう。
 

「隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは隠しどころが漏出物を留めていても、その者には汚れがある。」

漏出を漏らしてもまた漏らさなくても留めていてもその人には汚れがあることが書かれています。
これを霊的なことに当てはめるならこういうことでしょうか。
すなわち、その悪い霊が回りに出ようと出まいと、それを留めているだけで、実は汚れているのだといっているのです。

私達が悪い霊の影響を受けるとします。それが何か罪によるものか、人を許せなかったり、
罪に身を渡したからか、はたまた、何か悪い霊的なものに関係したからか知りません。何しろ、
何か神以外の霊の影響を受けている場合、それはたとえ外に出る程、また何か人前で語ろうと語るまいと、しかし、その霊を受けているだけで、汚れはあると語っているのです。

”4 漏出を病む人の寝る床は、すべて汚れる。またその者がすわる物もみな汚れる。”

肉体的な漏出がある人の寝る床もすわる物もみな汚れることが書かれています。
同じく、霊的な漏出、汚れた霊を受けている人に接触した人も悪い霊の影響を受けることを知りましょう。それは、批判の霊だったり、不信仰、不品行の霊かもしれませんが、何しろ汚れを受けるのです。
 

”5 また、だれでもその床に触れる者は自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。
6 また漏出を病む人がすわった物の上にすわる者は、自分の衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。
7 また、漏出を病む人の隠しどころにさわる者も、自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。”

霊的な漏出のある人に触った者は、その衣服を洗うことが書かれています。
衣服は義の衣との表現の様に義と関係します。悪い霊は罪にいざなうのです。それで
触ったその人は衣服を洗う必要があります。洗うとは水で洗うことであり、すなわち、聖霊による
すすぎ、きよめを受ける必要があります。具体的には祈ることです。
 

「その者は夕方まで汚れる。」

これらの汚れを受けた人は夕方までけがれることが書かれています。

汚れたら、外出したりきよいものに触るべきではありません。
今の教会時代でいえば、その人はみことばの奉仕に与るべきではないと言うことでしょう。
神の奉仕はこのようにして汚れから守らねばなりません。
とはいってもその汚れは永遠のものというより、しばらく、夕方までのものです。
 

”8 また、漏出を病む者が、きよい人につばきをかけるなら、その人は自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。”

つばきをかけるとは何を意味するのでしょう?
肉体的に考えるなら、汚れた菌を洗い流すという意味合いと思えます。
しかし、このことばには隠れた意味合いがあり、つばきは口、ことばに関連した
ことがらです。ですから、汚れた者から、会衆がメッセージを受けるなら、もしくは、
汚れた人と話すなら、きよい人もけがれるというのでしょう。
ですから、我々は誰と話すのかということに気をつけるべきです。相手が霊的に汚れた者なら、
明らかに我我も汚れてしまう、影響を受けることをこの箇所は語るからです。
 

”9 また、漏出を病む者が乗った鞍はみな汚れる。
10 また、どんな物であれ、その者の下にあった物にさわる者はみな、夕方まで汚れる。また、それらの物を運ぶ者も、自分の衣服を洗わなければならない。水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。”
 

汚れた者はその接触するあらゆる物を汚すことが書かれています。
ですから、この箇所がいうように、教会の奉仕において、霊的に汚れた人にその働きをまかすなら、
その接触するあらゆる者に影響を与え、汚すと言うことを知るべきです。
証しをするにしても賛美をするにしても他の奉仕をするにしても影響を与えます。彼はまず、
霊的な汚れからきよめられるべきなのです。またその様な人をいつまでも
人に影響を与える奉仕に用いているなら、大きな影響があることを知るべきです。これは、
教会の奉仕、また大きな意味でいうなら、日本のキリスト教会、世界のキリスト教会全体にもいえます。
残念ながら、世界のリバイバル集会のまん中に汚れた霊をまきちらす器が活躍しており、
その汚れは全世界規模で広がっています。また、これらに追従するキリスト教関連メデイアも多いのです。
汚れは全世界の教会に満ち、荒らす憎むべき者はすでに聖なるところに立っていますが、
私達にあってはみことばに従い、これらの汚れから身をさけましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
  -----------------------------7d61e43202c0 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream