NO.513 飢えるものは幸い

 

 

テキスト:
”ルカ6:
20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。
22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。
24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。
25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。
26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。”
 

本日は「飢えるものは幸い」という題でメッセージしたいと思います。
テキストはルカ6章です。
 

この箇所は聖書の中で有名な箇所なのですが、しかし、よくよく見ると非常に謎めいた、
逆説的な箇所です。
私達の一般的な常識は、富んでいる、飽いている、笑っている、ほめられる、
それは皆良いことの様に思えます。世の中でもそうですが、キリスト教会でも
同じです。献金が多くて、「富んでいる」、霊の糧に「飽いている」、牧師も信者も「笑っている」、日本中の全ての教会から、「ほめられる」ことはとても良いことの様に思えます。
それなのに何故、主はあえて、この様に逆説的なことを語ったのでしょうか?
謎また謎の記述です。

さて、聖書の多くの記述は、終末の日にベールが取られ、その意味合いが
理解できること、また聖書は終末の日にあてて書かれた多くの記述があることを以前語りました。
この記述も終末の日を考慮する時、理解できるかもしれません。

かつて見たように、終末の日、7つ目のミレニアムは、全てが逆転する日であり、善が悪と呼ばれ、
悪が善となる日の様に思えます。その日に関する預言なのかもしれません。
この視点に沿って、この箇所を見ていきましょう。
 
 

 ここでは、貧しい者は幸いであることが書かれています。
さらに、飢えている、泣いている、非難されている人々は幸いであることも書かれています。
これらは逆説的なのですが、このことを解くカギとして、聖書の他の箇所を見てみましょう。
黙示録においては、
「富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と言っている人々がいることが記されています。
以下のラオデキヤの教会の箇所です。

”黙示録3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”

さて。これらの2つの記述、ルカ6章の
貧しく、飢え、泣き、非難されている人々、
及び、ラオデキヤの教会の富み、豊か、乏しいものはないといっている人々
とが
対照的であること、このことが謎めいた記述を理解する助けになると思われます。
その視点でこのラオデキヤの箇所を見ていきましょう。
 

”14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。”

ラオデキヤにある教会に対して、キリストを紹介する時「アーメンである方、忠実で、真実な証人」であることが書かれています。他の教会への紹介文とは異なります。何故なのか?
その理由、察せられる理由は、この教会がアーメンすなわち信頼できるものでもなく、
忠実でもなく、真実に主を証ししているわけでもない、それでこう書かれていることが想像できるのです。ラオデキヤというギリシャ語は、民の義、さばきという意味合いがあります。

民による義、さばきであり、神による義でも、キリストの弟子の義でもありません。
要するに多数決でもって、盲目な民衆が、正しい人々を叫弾する教会となることが暗示されるのです。

”15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”
 

このラオデキヤの教会は、実際は、「哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」なのに、「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と勘違いしている教会です。
何故彼等は勘違いするのか?それは、それらしい現象がこの教会にある、
御霊のたまもの、御霊のはたらき「らしき」ものがこの教会にはあるからでしょう。
しかし、それは実際は悪霊なので、「残念!」ということになります。

さてだいぶ前置きが長くなりましたが、この視点をもとにテキストを見ていきたいと
思います。
 

”20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。”
 

このイエスのことばは謎めいています。ほとんど理解不能です。世の中には、わざと逆説めいた
ことをいって、注目を集めたい、いわゆる反対のために反対をしたいという類いの人々も
います。しかし、他の人はいざしらず、主のことばはそういう類いのものではありません。

このことばはしかし、わかりづらいのですが、だが、終末のある日、出現する予定の教会、
「富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と勘違いする教会、ラオデキヤとの対比に
おいて考えると正しい理解ができるように思えます。

ラオデキヤの教会は、何故「富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と誤解したのでしょうか?それは、彼等が聖霊、実際は悪霊のたまものに満ちているからです。
彼等には悪霊によるいやし、預言、異言、力あるわざなどが伴うのです。
終末に関連して、「偽預言者がしるしと不思議を行う」ことが聖書に記されていますが、
偽預言者に聞き従い、悪霊を聖霊と勘違いする愚かなクリスチャンにも
霊のたまものが与えられてくるのです。

終末の日は、試練、テスト、試験の日ですが、その試験の中には、霊の
たまものに関する試験も含まれていると私は想像しています。

霊のたまものの試験とは?
それはこういうことです。
1. いやし、預言、悪霊追い出し、奇跡などの霊のたまものにひかれて、「たまものさえ与えられるなら」ということで、悪霊を聖霊よばわりするのか
2. それとも何らのたまものを与えられないとしても悪霊を聖霊呼ばわりすることには加担せず、
ただ主のしもべとしてとどまるのか

これらの2者択一の試験が行われると思われるのです。
かつてエデンの園において蛇サタンは「決して死なない、神のようになる」という
すばらしい「おまけつきの約束」をもって、エバを騙しました。
同じく、終末の日にもさかんに「おまけ」が強調され、それに目がくらむ人は偽りに飲み込まれていくでしょう。

悪い誘拐犯が子供を誘うとき、手ぶらでは誘いません。
「このチョコレートをあげるよ」「このおもちゃをあげるよ」
これらのお菓子やおもちゃに引き付けられ、自分を失い、親の注意を忘れる子は、
自分の命を危険にさらします。

今、悪い人々、悪霊を注ぐ人々は、お菓子ならぬ、
「すばらしいたまもの」をえさにしていることを理解すべきです。

ですから、今の聖霊の第三の波を始めとしたムーブメントは今の聖霊のたまものの強調から始まり、
いずれ、「神のようになる」、「不死を着る、死なない」、すなわち、エデンの園の蛇の約束を再現するようになるでしょう。

ちょっと、危ない霊のようだが、しかし、あのリバイバルに従えばすばらしい聖霊のたまものが
与えられる、素晴らしいたまものに満ちたクリスチャンになれる、さあどうしょうという選択、
逡巡が多くのクリスチャンに与えられるのです。

そのような時、我々はどう選ぶべきか?

「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。」との主のことばがその答えです。

今何らの聖霊のたまものが開けないとしても嘆くことはありません。我々の勝負、決着はこの世のものではなく、
神の国に入るか否かです。神の国は、貧しいもの、すなわち、悪霊のたまものに従わない人々に
与えられるのです。

我々はこの世で聖霊のたまもののあるクリスチャンとほめられるために
クリスチャン生活を送っているのではありません。
あくまで、ゴールは神の国であることを思い起こすべきです。
 

”21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。”

飢えているものは幸い?
これもまたわからないことばです。謎が隠されていることが推察できます。
この箇所を解く鍵は以下の黙示録のことばであると思われます。
 
 

”黙示録13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。”
 

終末の時代においては、獣の数字を持つもの以外、誰も買うことも売ることもできなくなることが書かれています。売る買うは、あがない、買い取りに関することであり、すなわち、
救いに関すること、教会の奉仕は獣の霊を受けている人以外許されなくなるのです。
それで世界中の「公認教会」には、獣の霊の影響を受けた教師、牧師があふれるようになります。

狂牛病の牛肉が市場にあふれるようなものです。

さて、そんな時になったら、主につく人々はどうするのか?
どこへ行っても獣公認の教理、獣公認の霊、獣公認のメッセージ、パンしかないから、
「腹が減ってはいくさはできぬ、クリスチャンもとりあえず、説教をきかなければ」と
妥協して獣教会のメッセージ、パンを受け入れるのか?

ここに書かれている「いま飢えている者は幸いです」とのことばがその答えです。
武士は食わねど高楊子、主につくクリスチャンたるもの、獣パンなど、拒否すべきなのです。
そのようにしたら、何のパンもなく、聞くべきメッセージもなくなる、どうするのか?その疑問に関しては、
さらに後半のことば、「あなたがたは、やがて飽くことができますから。」とのことばがまたその答えです。その日、獣パンなど食べず、拒否する人々には、不思議なパンが与えられるようになります。

そのことはエリヤの日、養われたツアレパテのやもめの話に示されています。
ききんが終わる迄、このやもめのパンの粉は尽きず、油は尽きなかったように、
主につく人々はその艱難の日にもパンが与えられ続けられます。
 

”いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。”

泣いている者は幸いであることが書かれています。
何故でしょうか?
このことは終末の日ことと理解するなら、理解は難しくありません。
終末の日は逆転の日であり、善が悪、悪が善と呼ばれ、主につく人々がカルト呼ばわりされ、
みことばのゆえに困難に会うからです。
 

終末の日には、教会の中でもあらゆる偽りと冒涜が氾濫するようになるでしょう。
それらを見過ごしにできなかったり、またみことばへの忠実さのゆえに、困難に会ったり、泣くようになっても、その人は幸いである、そのことを書いてあるのです。
 

”22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。”
 

今、終末の時代に生きる私達は聖書に記されている艱難の時代にいずれ入るようになります。
その時、主につく人々への心構えがここに記されていると理解できます。
終末の日、その日の困難は、イエスを憎むタルムードの民により画策されており、
キリストにつく人々が困難に会うようになります。

すなわち、「キリストのために憎まれ」、「除名され」「はずかしめられ、あしざまにけなされる」のです。その様なことはもちろん人間的には楽しいことではないのですが、
しかし、ここで書かれているのは、そうなった時、私達はそのことをどの様に理解すべきなのかという、
心構えなのです。

私達は憎まれたり、除名されたり、はずかしめられたり、悪口をいわれるので、
自分達の方針を改めるべきなのでしょうか?はたまた、私達がその様な目に会うのは、
私達に何か問題があるからなのでしょうか?神のみこころと思っていたが、
そうではなかったのでしょうか?
これらの疑問に対する答えが以下のことばです。

”23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。”

私達はそれらの困難に会うようになったら、それを「喜べ」「おどりあがって喜べ」と
書いてあります。どういう意味合いでしょう?

つらい目にあっても気持ちしだいで明るくなるから、困難の中で、せめて心だけでも
明るくせよと気休めを書いてあるのでしょうか?
そうではありません。

そうではなくて、もしその日、主のために困難に会ったらもうそれは、天国での大変な祝福を受けること確定なので、大喜びせよと語っているのです。
宝くじが一等にあたっていることが判明し、今所有しているのは紙切れ一枚だが、いずれ
一億円入ってくることは確証済みなので、大喜びしろ、そういった類いの話なのです。

私の理解では、この箇所は、いわゆる艱難時代に関して、私達の一般の理解と異なることを
書いているように読めます。

私達の艱難時代に関する理解とはどのようなものでしょう?
できるなら、艱難時代などには遭遇したくない、そんな時代に間違って遭遇してしまったら、
それは、もう大不幸、アンラッキーである、そんなところでしょうか。
主を裏切りたくはないが、しかし、そんな不運には会いたくない、そんなところが
本音でしょうか。

しかし、この箇所は明らかにこの艱難の時代に関して、我々の常識、先入観と全く
違うことを語っています。
もし、我々が艱難の時代にめぐり会うことになり、実際に艱難に会うようになったら、
喜べ、躍り上がって喜べと語っているのです。

あたかも一億円の宝くじにあたったように、遠い親戚から、莫大な遺産を受け継ぐことになったように、
大幸運を引き当てた時のように大喜びをしろと語っているのです。
ここでいわれているのは、やけくそを言っているのではなく、主のために艱難を受ける、
それは、願ってもない、大幸運、大祝福を引き当てた様なものなので、
大喜びしろと語っているのです。

それで私達は艱難の時、いわゆる艱難時代に関して、世間でいわれているような「常識」ではなく、
聖書に基づいた常識を持たねばならないことがわかります。

多くのクリスチャンは聖書ではなく、この世の常識に基づいた考え、また
終末の空想話に入れ込み、艱難の前にキリストが秘密の携挙を与えると言う
聖書には全く書かれていない、終末ヨタ話を受け入れています。

彼等は建て前はともかく、本音は主のために苦しむことなどこれっぽっちも望んでいないため、
聖書が艱難の時に関して語っている、教えを正しく理解していません。
真理より偽りを好んでいるのです。

しかし、聖書は艱難の時代とは実は主から大変な祝福を受ける基いとなることを明らかに語っています。パウロも以下の様に艱難は重い栄光をもたらすもとになると語っています。
 

”2コリント4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。”

うまくいえませんが、たとえていえば、「エビで鯛を釣る」ような時になるということでしょうか。
 

”24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。”

「富んでいるあなたがた」とは先程見た黙示録、ラオデキヤ教会の「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って」いる人々のことです。
彼等にはそれらしい実際があります。獣の霊による預言やら、いやしやら、奇跡などのたまもの、
働きがあります。そして、教会においては既に有名人になったり、良い収入を得たり、
多くの人から拍手かっさいなのかもしれません。
しかし、そのような人々に関して聖書は、「富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。」と語っていることを知るべきです。彼等はこの世の教会、獣の霊を受け入れている教会において名声を博しています。彼等は神の前には哀れなものです。

主の前に真に尊いのは、この世で既になぐさめ、名声を得る人ではなく、この様な
冒涜の時代に甘んじて神のことばのために艱難を恐れない人々です。

”25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。”
 

食べ飽きるとは、パン、みことばに関することがらです。
獣の数字を持つもの以外は売ることも買うことも許されない、すなわち、
獣の霊を受けた人しか教会でメッセージできない時代が来ます。
そのような時、主につく人々は断食をすべきであり、悪霊にささげたパンなど受けるべきではありません。しかし、何にも考えず、パンを食べ、大いにエンジョイする人々もいます。
その様な人々に対して、「いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。」と書かれていることを知りましょう。

また、獣の霊のリバイバルをすっかり受け入れ、大喜びする
人々もいます。大喜び、大笑い、獣の笑いを大満喫しているわけです。
しかし、彼等に対しては、「いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。」と書かれています。
 

”26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。”
 

これからの時代、教会の中ではすばらしいことが語られて来るようになるでしょう。
また獣の霊により働く人々は、教会でもこの世でも拍手喝采となるでしょう。
しかし、主は明らかに「みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。」と語られたことを知りましょう。7つ目のミレニアムには全てが逆転します。

教会でほめられる道を歩む人は神の前には、偽預言者に過ぎないものとなるでしょう。
 

私達は全てが逆転した時代にもう既に入っているのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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