NO. 512 吐き出されるラオデキヤ


テキスト:

”黙示録3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”

本日は「吐き出されるラオデキヤ」という題で終末の日に吐き出される特別な教会について見ていきたいと思います。

テキストに沿って見ます。

”14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。”

歴史は繰り返すということばがありますが、「地から吐き出される」ということも
聖書の中で何度か繰り返して起きていることがらであることを知るべきです。

*かつてカナンの地はその住民を吐き出し
*カナンの地を受け継いだイスラエルの民もその歴史の終わり、
背信の極まった世代において同じくカナンの地から吐き出され、
アッシリア、バビロンへ捕囚されました。
*さらに新約においても教会時代の終わり、背信の極まった世代において、
神の約束した地から吐き出される教会があるのです。
 

ラオデキヤとは、「民の義」という意味合いのことばです。このことばを通して
いわんとしていることがらは聖書的な視点に立つならあまり良い意味合いとは思えません。

この世においては、民の義、民主主義が花ざかりですが、しかし、聖書にはその様な考えは全くないことを知るべきです。逆に荒野の日にモーセに逆らった民の様に民の総意だの、民の意見だのは聖書においてあまり
良い結果をもたらしません。このラオデキヤ、民の義という名前に関連して想像できるのは、
多数決やら、民の意見ばかりが強く、人間中心主義になってしまった、惑わされた教会の姿です。

「アーメンである方、忠実で、真実な証人」

アーメンとは真実、忠実という意味合いです。ですから、ここでは、
キリストを紹介するのに真実、忠実であることが語られているのです。
ラオデキヤの教会に関連してこれらのことばが使われているのは何故か?それは、このことを通して
この教会が実は、真実でも、忠実でもない、不真実、不忠実な教会となることが
想像できるのです。
 
 

以前見たように、終末の時、主の再臨まで存続する4つの教会があります。
以下の4つです。
テアテラ、サルデス、フイラデルフイア、ラオデキヤ
このうち、テアテラは明らかにカソリック教会を描いています。
対して、サルデスはプロテスタント教会でしょう。
全世界の教会は大きくいえば、上記2つの教会で表されるように
思えます。
フイラデルフイア、ラオデキヤはそれと違い、全世界の教会、クリスチャンの
別の種類の区分です。

ある意味終末の全てのクリスチャンは以下の2つの教会のどちらかに属するといえるでしょう。
フイラデルフイア
ラオデキヤ

ラオデキヤは小数の残りのものの教会であり、ラオデキヤは多数の世についた裁かれる対象の
教会、そんな風にいえるでしょうか。
この2つの区分は今ははっきりしていませんが、背教が増すにつれ、明確になって来るはずです。
もうこれからは教団や教派、またプロテスタント、カソリックその様な区分があまり意味のない時代がやってくるでしょう。神の前に2つの区分、背教かそれとも主に忠実か、その区分しか
ない時代がやってきます。ペンテコステ、福音派またカソリックを問わず、どの教会の中にもフイラデルフイアの歩みをする人がいるでしょうし、逆に
ラオデキヤの歩みをする人がいるでしょう。
 

”15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

ここでこの教会に関して主は、「口から吐き出」すことを語っています。
このことは明らかに旧約聖書で、カナンの地から吐き出された神の民に燗する記述と関係の
あることがらです。
この教会の現状に関しては、ある意味「吐き出す」ということばが全てを物語ります。
かつてのカナンの地の住民が吐き出されたのは、彼等の冒涜と不品行が
極みに達したからです。同じく、カナンの地を受け継いだイスラエルの住民が
再びこの地から吐き出されたのは、彼等の不信が極みに達したからです。
さて、終末の日、7つの教会の最後の教会、ラオデキヤが吐き出されるのは何故でしょうか?
過去に基づいて類推するなら、
この教会こそ、あらゆる教会の中で最悪の教会、不信と冒涜の極みに達した教会であることが
想像できるのです。

JNダービーやら、彼の偽りに従う、ブラザレン系の教理はこの教会に関して「ラオデキヤは
フイラデルフイアが変質したもの」なんて、見てきたような嘘を
いいますが、そんなヨタ話を本気にしてはいけません。
彼等は人々が間違えるようにあらかじめ罠をしかけたのです。
嘘をつかむ愚か者になってはいけません。
 

むしろ、この教会に注目しなければなりません。黙示録の中に7つの教会が書かれ、最後の7つ目の
教会がこのラオデキヤであることには隠れた意味合いがあります。
聖書的に数字を分解する時、7という数字は明らかに6+1という数字に分解できます。
そのようにいう理由は、創世記で「神が6日間、働き7日目には休んだ」と書かれているからです。
そして、7日目は特別な日であり、実はこの日、この7つ目のミレニアムは冒涜の日となることを
聖書は暗示していることをかつて見ました。
7番目とは特別な数字、他の6つの数字とは異なるのです。
そのパターンに従うなら、黙示録7つの教会の預言の中で、明らかに聖書は、7番目の教会に
関して特別な位置を置いていることを理解できます。
この教会こそ、吐き出される教会、もう約束の地にはいない教会、別の表現でいえば、
教会の名はあっても、しかし、その実態は似てもって非なるものとなるのです。

”17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。”

彼等ラオデキヤが間違える方法、その約束の地から移される方法に関して、この箇所は暗示していると
思えます。その方法は、彼等を「富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と
勘違いさせることによります。

今、あの偽使徒、預言者ピーターワグナーを始めとする悪霊の第三の波の怪しい面々が
広げている悪霊の教義こそ、これらの勘違いに導く巧妙な偽りです。
たまものが与えられる、神の子の様に変えられる、変貌する等の甘言に従い、悪霊のバプテスマを受ける人々はここで書かれているラオデキヤの罠に陥いっていきます。
彼等は惑わされ、自分は、聖霊のたまものに「富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと」思うのですが、それは勘違いに過ぎず、実は、「自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」のです。

このラオデキヤ教会はもう既にアメリカで始まっており、その会員はトロント、ペンサコーラを始めとする
悪霊集会で大量生産されています。日本でもあのデーモンおじさん、預言外れまくりの偽預言者
ベニーヒンの悪霊翼賛会、リバイバル大会などで大いに発生しつつあります。

彼等はいずれ、霊の戦いというカルトまがいの行いをエスカレートし、罪のない人々、
聖書に忠実な人々を迫害することに用いられるようになるでしょう。
その迫害のはしりはもうすでにアメリカで始まっており、怪しい器に惑わされた
ヘンテコクリスチャン達が、「イラクに爆弾を落とせ、イスラム教徒を殺せ」と
恐ろしいことを叫んでいます。彼等の願いとおり、すでにアフガン、イラク等で
多くの血が流されています。これらの「流血の罪に加担する愚かな」クリスチャン達はいずれ、
自分の罪を刈り取るようになるでしょう。
 

まとめますが、明らかに聖書は終末の日に冒涜のきわみのゆえに「吐き出される教会」が
存在することを語り、それを警告しています。この教会は全く特別な教会、
いわば獣教会(黙示13章)の様なものであることを知りましょう。

その上、さらに恐るべきことは、もう既にこの教会が起こりつつあり、我々はアメリカで
さらに日本でもその姿を見つつあるのです。
終末は決して遠いことではなく、今、私達の目の前の現実であることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
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