NO.507 あがなう

”テキスト:レビ27:1 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、
2 KJV:Speak unto the children of Israel, and say unto them, When a man shall make a singular vow, the persons shall be for the LORD by thy estimation.
(KJV訳:イスラエルの子らに告げ、彼等に知らせよ。ある人が特別な誓願を立てるなら、
人々は、あなたの評価により、主のものとなる。)
 

3 その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。
4 女なら、その評価は三十シェケル。
5 五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シェケル、女は十シェケル。
6 一か月から五歳までなら、その男の評価は銀五シェケル、女の評価は銀三シェケル。
7 六十歳以上なら、男の評価は十五シェケル、女は十シェケル。
8 もしその者が貧しくて、あなたの評価に達しないなら、その者は祭司の前に立たせられ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じてその者の評価をしなければならない。
9 主へのささげ物としてささげることのできる家畜で、主にささげるものはみな、聖なるものとなる。
10 それを他のもので代用したり、良いものを悪いものに、あるいは、悪いものを良いものに取り替えてはならない。もし家畜を他の家畜で代用する場合には、それも、その代わりのものも、聖なるものとなる。”

本日は「あがなう」としてレビ27章から見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。

1 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、(KJV訳:イスラエルの子らに告げ、彼等に知らせよ。ある人が特別な誓願を立てるなら、
人々は、あなたの評価により、主のものとなる。)”
 

この箇所は、新改訳を見る限りは、
誓願とそれに伴う人に対する評価について書かれているように見えます。神に何か特別な祈願をする、そのためには、
それに応じた金額を納める、そんなことが書かれているように見えます。しかし、
KJV訳で見るとそれに留まらず、隠れたことがら、すなわち、ある人、キリストが、
誓願を行うことに関してのことがらと読めます。
2節には、「ある人」すなわち、キリストが特別な誓願を神の前にたてるなら、イスラエル、すなわち、
クリスチャンは、その評価に従い神のものとなることが書かれているのです。

KJV訳:イスラエルの子らに告げ、彼等に知らせよ。ある人が特別な誓願を立てるなら、
人々は、あなたの評価により、主のものとなる。)」
 

ところで、特別な誓願とは何のことでしょうか?
民数記には、この特別な誓願を行うための備えについてこう記しています。

”民数記6:1 主はモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、
3 ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。
4 彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。”

ここでは、ナジル人が特別な誓願をし、そのためにぶどうの実からの
ものを断つことが書かれています。
そして、新約を見るなら、
このナジル人の特別な誓願のための行い、「ぶどう酒や強い酒を断つこと」は、ナザレのイエスキリストにより行われました。
以下の通りです。

”マタイ26:29ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」”
 

”マタイ27:34「34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」”
 

これらの箇所を民数記の特別な誓願との記述と比べてわかることは、主は
その生涯において「特別な誓願」を行ったということなのです。
そのことを見るとき初めて、もとのテキストであるレビ27章に書いてある
「ある人による特別な誓願」の意味合いがわかってきます。
ここに書いてあるのは、主がその生涯において特別な誓願を行い、それを実行した。
その結果、クリスチャンは価を払われた、結果、主のものとなった、そのことが書かれているのです。


3 その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。”
 

評価は年令により異なります。
同じ男でも20才以下なら、評価は低く、また60才以上なら、また低くなります。
二十歳から六十歳までが一番評価が高いのです。それで、私達は主に仕えるにしても、
年令と言うものが関係することを知ります。
同じ人であってももっとも価値の高い年代というものがあるのです。
その年代の時に主に仕え、自らをささげられる人は幸いです。
 

「その評価は聖所のシェケルで」

聖所のシェケルという特別な貨幣がここで述べられています。
このことの意味合いは何なのでしょう?
想像できることは、聖所のシェケルすなわち神の前における奉仕をはかる尺度といったところでしょうか。
 

”4 女なら、その評価は三十シェケル。”

男性より女性の方が評価が低いようで、差別だという人がいるかもしれませんが、
しかし、主のことばなので尊重しましょう。

男と女とで背の高さも体力も異なるように、残念ながら、
肉体に伴う違いというものはあるのでしょう。明らかに女性には若干のハンデがあります。
ですから、教会の奉仕において、男女同権とばかり、女性に男性と全く同じ
奉仕、役割、要求を求めるのは聖書的ではないといえます。

逆に聖書の主張は、女性は弱い器であるということです。
牧会者はこのことを意識しなければならないのでしょう。
しかし、男女の差は大きすぎて全く比べ物にならないとは
書かれていません。逆に50対30すなわち、男性の60%位の働きは女性に
期待できるのです。

”5 五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シェケル、女は十シェケル。
6 一か月から五歳までなら、その男の評価は銀五シェケル、女の評価は銀三シェケル。
7 六十歳以上なら、男の評価は十五シェケル、女は十シェケル。”

年令の差は大きいようです。60才を超えると50シェケルの男性の評価がいっぺんに15シェケル、すなわち、3分の1以下になってしまいます。しかし、これは世の中でも同じです。世の中の
定年は60才であり、それを超えるとそもそももう雇ってくれません。

ですから、我々がこれらのことから学ばなければならないのは以下のことでしょうか。
主に効果的に仕えるにふさわしい時期、期間というものは人生の中で、厳然と定められているという、
そのことです。60を過ぎるとそれこそ、あまりものを主にささげるような
ことになってしまいます。

さてそうはいっても老年になって仕えることはまったく意味がないかというとそうでもありません。
15シェケルの価値はあるのですから、それはそれで価値があります。
若い人ほど、効果的にはいかなくても若い人の3倍くらい時間をかけるつもりで、
行えば、同じ量をこなせると考えていいのでしょう。

まとめますが、この箇所では、主が特別な誓願をしたこと、その誓願のゆえに
我々は神のためにとりわけられ、価値のあるものとなったということ、それが書かれているのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
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