NO.506ヨベルの年(3)


”テキスト:レビ25:39 もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
40 あなたのもとで住み込みの雇い人としておらせ、ヨベルの年まであなたのもとで仕えるようにしなさい。
41 そして、彼とその子どもたちがあなたのもとから出て行き、自分の一族のところに帰るようにしなさい。そうすれば彼は自分の先祖の所有地に帰ることができる。
42 彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。
43 あなたは彼をしいたげてはならない。あなたの神を恐れなさい。
44 あなたのものとなる男女の奴隷は、あなたがたの周囲の国々から男女の奴隷を買い取るのでなければならない。
45 または、あなたがたのところに居留している異国人の子どもたちのうちから、あるいは、あなたがたの間にいる彼らの家族で、あなたがたの国で生まれた者のうちから買い取ることができる。このような者はあなたがたの所有にできる。
46 あなたがたは、彼らを後の子孫にゆずりとして与え、永遠の所有として受け継がせることができる。このような者は奴隷とすることができる。しかし、あなたがたの兄弟であるイスラエル人は互いに酷使し合ってはならない。
47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。
49 あるいは、彼のおじとか、おじの息子が買い戻すことができる。あるいは、彼の一族の近親者のひとりが買い戻すことができる。あるいはもし、彼の暮らし向きが良くなれば、自分で自分自身を買い戻すことができる。
50 彼は買い主と、自分が身を売った年からヨベルの年までを計算し、彼の身代金をその年数に応じて決める。それは雇い人の場合の期間と同じである。
51 もし、まだ多くの年数が残っているなら、それに応じて自分が買われた金額のうちの自分の買い戻し金を払い戻さなければならない。
52 もしヨベルの年までわずかの年数しか残っていないなら、彼はそのように計算し、その年数に応じてその買い戻し金を払い戻さなければならない。
53 彼は年ごとに雇われる者のように扱われなければならない。あなたの目の前で、その人は彼を酷使してはならない。
54 たとい、彼がこれらの方法によって買い戻されなかったとしても、ヨベルの年には、彼はその子どもといっしょに出て行くことができる。
55 わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。”
 

本日は「ヨベルの年(3)」として、さらにこのことを見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ます。

”39 もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
40 あなたのもとで住み込みの雇い人としておらせ、ヨベルの年まであなたのもとで仕えるようにしなさい。”

さて、ここでは、兄弟を奴隷として仕えさせてはならない、また、ヨベルの年までは、
雇い人として雇うことが書かれています。
その様に書かれていることは、裏返すと終わりの日、ヨベル(角笛)で予表される日には、
自分の兄弟をあたかもどれいとして隷属させる、強制させる人々が現れることが
予想されます。それはどの様な人か?私の想像では、
罪のどれいとする教え、教理をふりかざす人々のことです。
 

”41 そして、彼とその子どもたちがあなたのもとから出て行き、自分の一族のところに帰るようにしなさい。そうすれば彼は自分の先祖の所有地に帰ることができる。
42 彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。”
 

ここでは、「彼は自分の先祖の所有地に帰ることができる」として、先祖の所有地に帰ること、
先祖すなわち、アブラハム、イサク、ヤコブが仰ぎ見た所有地へ帰ることが語られています。
この所有地とは、ヘブル書によれば、天の都のことです。以下の様に書かれています。
 

”ヘブル11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。”

この所有地はクリスチャンが神との約束の中で受けついだものです。
しかし、ヨベルの年、警告の時には、このクリスチャンの受け継ぐべき、永遠の
地が奪い取られる、巧みな嘘のゆえにだましとられる様になり、奪われる人々が続出することが
想像されます。それゆえ、前もって、戒め、
「自分の一族のところに帰るようにしなさい。」とのことばが語られているのです。聖書の神が
約束の地、先祖の地に帰れと語られるのは意味なく語られているのではなく、
意味があるのです。
 

”42 彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。
43 あなたは彼をしいたげてはならない。あなたの神を恐れなさい。
44 あなたのものとなる男女の奴隷は、あなたがたの周囲の国々から男女の奴隷を買い取るのでなければならない。
45 または、あなたがたのところに居留している異国人の子どもたちのうちから、あるいは、あなたがたの間にいる彼らの家族で、あなたがたの国で生まれた者のうちから買い取ることができる。このような者はあなたがたの所有にできる。
46 あなたがたは、彼らを後の子孫にゆずりとして与え、永遠の所有として受け継がせることができる。このような者は奴隷とすることができる。しかし、あなたがたの兄弟であるイスラエル人は互いに酷使し合ってはならない。”
 
 

ここでも同胞イスラエル人を奴隷としてはいけないことが書かれています。
今でいえば霊的イスラエル、クリスチャンを奴隷、罪の奴隷としてはいけないことが
語られているのです。逆にいえば、終末の日にクリスチャンを罪にいざなう人々が暗躍することが
暗示されます。

"
47 もしあなたのところの在住異国人の暮らし向きが良くなり、その人のところにいるあなたの兄弟が貧しくなって、あなたのところの在住異国人に、あるいはその異国人の氏族の子孫に、彼が身を売ったときは、
48 彼が身を売ったあとでも、彼には買い戻される権利がある。彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。"

「彼の兄弟のひとりが彼を買い戻すことができる。」と書いてありますが、
その一人の兄弟とは、他でもない「キリスト」のことと思われます。
買い戻すとは聖書の中で使われる特別なことばであり、要するに「あがない」のことをいっているのです。

私達は奴隷となり、罪の奴隷となるかもしれませんが、しかし、それをもって
絶望することは、ありません。我々には頼りになるある一人の兄弟がおり、
その人が売られた我々を買い戻し、あがない、罪から解放してくれるのです。
それは、我々の真の兄弟である、イエス・キリストのことです。
 


49 あるいは、彼のおじとか、おじの息子が買い戻すことができる。あるいは、彼の一族の近親者のひとりが買い戻すことができる。あるいはもし、彼の暮らし向きが良くなれば、自分で自分自身を買い戻すことができる。
50 彼は買い主と、自分が身を売った年からヨベルの年までを計算し、彼の身代金をその年数に応じて決める。それは雇い人の場合の期間と同じである。
51 もし、まだ多くの年数が残っているなら、それに応じて自分が買われた金額のうちの自分の買い戻し金を払い戻さなければならない。
52 もしヨベルの年までわずかの年数しか残っていないなら、彼はそのように計算し、その年数に応じてその買い戻し金を払い戻さなければならない。”

さて、ここでは、その買い戻し金、新約でいうあがないの代価は、
ヨベルの年までを計算し、それに応じて払われることが書かれています。
ということは、ヨベルの年以降は、買い戻しの金は払われない、今で言うあがないの
代価は払われないことになります。
これをもっと具体的にいうなら、もうあがないということがヨベルの年以降行われないということを
暗示していると理解できます。

ヨベルの年それは終末の角笛、警告の年であり、今迄のキリスト教会の常識がくつがえされ、
きよいあがないの血が教会から追放、排除される日なのかもしれません。
 
 
 


53 彼は年ごとに雇われる者のように扱われなければならない。あなたの目の前で、その人は彼を酷使してはならない。
54 たとい、彼がこれらの方法によって買い戻されなかったとしても、ヨベルの年には、彼はその子どもといっしょに出て行くことができる。
55 わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。”

ここでもヨベルの年には、出ていくことが強調されています。
かつての日、出エジプトの日には、エジプトから出ていくことにみこころがありました。
同じく、終末の日には、エジプト化した教会から出ていくことにみこころがあることを
知りましょう。

終末における主のみこころをおこないましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
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