No.504 ヨベルの年

”テキスト:レビ25:1 ついで主はシナイ山でモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたがはいったとき、その地は主の安息を守らなければならない。
3 六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。
4 七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。
5 あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。地の全き休みの年である。
6 地を安息させるならあなたがたの食糧のためになる。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在留している居留者のため、
7 また、あなたの家畜とあなたの地にいる獣とのため、その地の収穫はみな食物となる。
8 あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。
9 あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。
10 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。
11 この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。
12 これはヨベルの年であって、あなたがたには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。
13 このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。
14 もし、あなたがたが、隣人に土地を売るとか、隣人から買うとかするときは、互いに害を与えないようにしなさい。
15 ヨベルの後の年数にしたがって、あなたの隣人から買い、収穫年数にしたがって、相手もあなたに売らなければならない。
16 年数が多ければ、それに応じて、あなたはその買い値を増し、年数が少なければ、それに応じて、その買い値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは収穫の回数だからである。
17 あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、主である。
18 あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。
19 その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。”
 

本日は、「ヨベルの年」という題でメッセージします。
ヨベルの年に関して聖書が語っていることを見ていきたいと思います。
ヨベルという単語はどういう意味かと言うと、角笛という意味です。
そして、角笛は今まで何度か見てきたように、警告、警戒についてのものであり、特に終末の警告に
関して用いられるものです。ですから、ヨベルの年、ヨベルの時とは、すなわち、
警告をすべき時、その時に関することだということを知ってください。
もちろんこのことは隠されたことがらであり、この章を表面的に見る限りはそうは見えません。
しかし、私達はこの箇所の隠れた意味合いを見ていきたいと願っているのです。

テキストを順に見ます。
 

”1 ついで主はシナイ山でモーセに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたがはいったとき、その地は主の安息を守らなければならない。”
 

ヨベルすなわち、角笛と関連して神が語られるのは、安息を守るということです。
安息を守るとは以前見たように、仕事=行い、すなわち「行い主義」に入らないことに
通じます。ヨベル=角笛の年とは終末の日のことであり、その日、行い主義が
強調されることが暗示されます。

”3 六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。”

6年間は、一週間7日間のうちの6日間に対応するのでしょうか。
その年の間は、働くこと、種をまくこと、収穫が奨励されます。
これはアダム以来の6000年間、具体的には西暦2000年迄の期間に
相当するでしょうか。

”4 七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。”
 

7年目は今迄の6年と全く異なり、畑に種をまくこと、
ぶどう畑の枝から収穫すること、それらが禁止されます。
7年目は、一週間7日間の最後の日、安息日に対応します。
そして、この7日目、7年目は、それ以前の6日間、6年間とは、
全く正反対、対照的な日であると聖書に書かれていることにどうぞ目をとめて
ください。最初の6日間、6年には、種をまくこと、収穫をすることが奨励されます。
しかし、7日目、7年目には、種をまくことも、収穫も奨励されません。
種をまく、刈り取るは、教会と関係したことばであり、具体的には、種まき=みことばを
語る、刈り取る=宣教と理解できます。
7日目、7年目は、かつて見たように、全てが逆転し、正義が不義と呼ばれ、冒涜が
席巻する日なので、この日に教会で語られるメッセージは驚くべき、冒涜的なものとなるのでしょう。
そして、それゆえ、種まきも収穫も奨励されないのです。
 

”5 あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。地の全き休みの年である。
6 地を安息させるならあなたがたの食糧のためになる。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在留している居留者のため、
7 また、あなたの家畜とあなたの地にいる獣とのため、その地の収穫はみな食物となる。”
 

「地を安息させるならあなたがたの食糧のためになる。」と書かれています。
ですから、この7日目、7年目こそ、安息が奨励される日、裏返すとその日は、実際は
むやみに「働き=行い」が強調される日となるのです。
 
 

”8 あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。
9 あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。”
 

ヨベルの年の計算のもといは、七年の七倍=49年がもとであり、
この計算には、7が強調されています。7は7日目に通じ、それは、
終末の最後の時の預言です。その年はまたヨベル=角笛、すなわち、警告の
年であり、キリスト教会が敵に席巻される日を暗示しています。
 

”10 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。”
 

「国中のすべての住民に解放を宣言する」とのことばもまた預言的意味合いがあるのかもしれません。
逆に考えるなら、解放ならぬ、圧迫と強制と重荷を負わされる日となるのかもしれません。
あらゆる行いと達成と重荷が強制される日、それがヨベルで預言される終末の日なのかもしれません。
 

「あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り」とのことばも非常に暗示的、預言的なことばです。
所有地に帰ることが命じられていると言うことは裏返すと、その日にもう既に
自分の所有地、すなわちクリスチャンが得るべき約束の地から、追い出されている、
吐き出されている、出ている人がいることが暗示されているからです。
エサウの様に俗悪となり、長子の特権もクリスチャンの約束をも売り払い、
踏み出している人々に対してこれらのことばは書かれているのです。


11 この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。
12 これはヨベルの年であって、あなたがたには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。
13 このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。”

ヨベルの年には、種をまいてはならないこと、その年には、自分の所有地に帰るべきことが
書かれています。何故か?
それは逆にその日、とんでもない異端教理の種がまかれること、多くのクリスチャンが
自分の受けた永遠の所有の地を売り払う日となるからなのです。

”14 もし、あなたがたが、隣人に土地を売るとか、隣人から買うとかするときは、互いに害を与えないようにしなさい。”

土地を売ること、買うことと関連して、隣人に害を与えることが書かれています。
後の日、終わりの日においては、約束の土地を買う、売ることと関連して、
隣人を圧迫し、害を与えたり、訴えたりする人が起きることが暗示されます。
 


15 ヨベルの後の年数にしたがって、あなたの隣人から買い、収穫年数にしたがって、相手もあなたに売らなければならない。
16 年数が多ければ、それに応じて、あなたはその買い値を増し、年数が少なければ、それに応じて、その買い値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは収穫の回数だからである。
17 あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、主である。”
 

ヨベルの年以降の年数に従い、土地が値段をつけられ、売られることが描かれています。しかしながら、
我々クリスチャンの土地、約束の土地、永遠の領土はそもそも売られるべきではないのです。
しかし、
ヨベル、角笛、警告の時以降、決して売られるべきでない、
我々クリスチャンの土地、約束の土地、永遠の領土が売られていく、そう語られているのです。
 


18 あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。
19 その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。”
 

おきてを行う、定めをおこなうことがヨベルの年の記述とともに書かれています。
ですから、土地を失い、永遠の住まいを奪われていくのは神のことばを行わない
愚かな人々であり、彼らは砂の上に家を建て、押しながされていく人々であることが想像できます。
その地が実を結ぶなら、すなわち、聖霊の実があるなら、そこに我々は穏やかに住むことができるのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
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