NO.493 第7の月の仮庵の祭


”テキスト:ネヘミヤ8:13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。
14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。
15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」
16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。
17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。
18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。”

本日は「第7の月の仮庵の祭」という題でメッセージをします。
かつて私達は、仮庵の祭りには隠れた意味合いがあり、それは終末の日の地下教会に関する預言ではと
理解しました。それでは、その仮庵の祭りで予表されるできごとの実際に実現する日はいつなのでしょう?
聖書は、そのことに関して第7の月にこの祭りが行われることを語ります。
このことの意味合いを見ていきましょう。
 

テキストに沿って見ます。

”13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。”

エズラとはエズラ書の律法学者エズラのことです。
彼は主によって用いられる律法学者です。
新約聖書における主の「わざわいなるかな律法学者、パリサイ人」とのことばが有名なので、
聖書は律法学者、すなわち、今でいう聖書学者、研究者に対してろくなことを書いていない、
全ての律法学者はろくでもない人々と思いがちですが、そうでもありません。
たしかにこれらの人々が悪く、災いなことは事実であり、その類いの人々が
圧倒的多数なのは事実なのですが、しかし、よく見ると聖書は、主に用いられる律法学者についても語っています。

それで、今の私達が知らなければならないのは、全ての神学、全ての聖書解釈者が
悪いのではなく、逆に終末の日には、主のみこころに沿った、聖書研究者が
大いに用いられるということです。
このことに関して、主のみこころを感じる人は、その日のために備えをなし、主の用にたつため、この働きに進むことをお勧めします。

この時代をいうなら、このネヘミヤ、エズラ書が書かれた時は、バビロン捕囚されたイスラエルの
人々がエルサレムに戻ってきた時代であり、これは、終末の日の教会回復の日の予表です。かつての
日、律法学者エズラすなわち、聖書研究者が用いられた様に、終末の回復の日においても
聖書を正しく学ぶ人々が用いられるはずです。
 
 

「律法のことばをよく調べるために」

さて、この回復の日に彼らは「律法のことばをよく調べるために」集まったことがわかります。
このことばは何気ないようですが、しかし重要なことばです。
このことばの意味合いはそれ以前の時代、回復される時以前は、人々は、「律法のことば」すなわち、
神のことばをよく調べていなかった、表面的にしか読んでいなかったことをも暗示するからです。

今の時代を考えるなら、これは事実です。多くのクリスチャン、教師は、律法のことば、すなわち、聖書のことばをろくろく調べてもいないし、知りもしません。
だから、たわいもなく、嘘教理に惑わされていくのです。

キリストの再臨が2回あるなどとのトンデモない教理にやすやすと惑わされるのは、
彼らがろくに聖書を読んでいないことを表します。
彼らはろくに聖書を読んでもいないし、調べてもいないので、「多分マタイの100章あたりに
キリストの2度目の再臨、秘密の携挙について書いてあるのだろう。」などとうろ憶えで
妄想しているのでしょうが、残念ながら、そんなにたくさんの章はマタイ伝にはありません。
本当に不勉強です。
「聖書のどこにキリストの再臨が2度あると
書いてあるのだ、はっきり示して見ろ」と詰問されても、
誰一人示せるものもいません。何の根拠もないのです。
彼らにあっては、まず教理ありき、妄想ありきであり、聖書は、彼らの妄想を
支持するためだけに使われるに過ぎません。本末転倒の情けない人々です。

しかし、終末の日、エズラに象徴される正しい律法学者がこれから現れてきます。
彼は2段階携挙節をはじめとする愚かな妄想、逸脱教理を打ち砕きます。

”14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。”

さて、ここで仮庵という特別な祭りについて書かれています。
この祭りは、実は、ずっとイスラエル、神の民の間で行われていなかった特別な祭りなのです。
しかし、この時、エズラ、ネヘミヤの時に祭りは再開され、行われました。

このことの意味合いは?
仮庵の祭りはエズラ、すなわち、神殿回復の時と関係がありまたネヘミヤすなわち
都の回復の時に関係があるのです。予表としては、終末の日の教会の回復の日のことであり、その
意味合いは、仮の庵をつくること、すなわち、地下教会を作ることです。
 
 

「第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない」

ここで仮庵の祭りが実現する日、それを思い起こしまた実行する時に関して書かれているように思えます。それは、第7の月、すなわち、第7のミレニアムについて語っているようです。
 

仮庵の祭りは枝で家をつくります。
日本に伝わる7月7日に笹の枝を飾る、七夕はそのなごりでしょうか。
 
 

「第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない」ということは、第7の祭りが始まったら、
全ての「エルサレムへ戻った」イスラエル人、すなわち、その日、神のみこころに立ち戻った
全てのクリスチャンは地下教会に住むべく語られているのです。
何故か?それはここにははっきり書かれていませんが、しかし他の箇所から類推できることは、
教会全体が変質し、そしてバビロン化しまた迫害が始まるからです。
 

「書かれているのを見つけ出した」

この仮庵のことは聖書に書かれていたのに、誰もそれを見つけだすことも実行することもしませんでした。
しかし、この神殿、都回復の時、そう聖書に書かれていたことが「発見」されたのです。
同じことが終末の日に起きます。この仮庵の祭りがさししめす真の意味合いが
神の民の間で、「発見」される日がきます。

”15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」
16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。”

オリーブ、ミルトス、なつめやし等はみな神の民をさすたとえです。これらをもって、仮庵を作れとは、
これらの神の民を集めて地下教会を作れという意味合いです。
「家の屋根の上」に仮庵を作れとは、家すなわち、正式、正統的教会以外のところに
地下教会をつくれとの意味合いと理解できます。

もうこの備えをなすべき時がすでに始まっていることを私は告げます。
もう既に古き良き教会の時代は過ぎ去り、私達はすでにかねてから預言されていた7日目、すなわち、
7つ目のミレニアムにいるのです。もう仮庵を作るときに来ているのです。

もうかつての様な歩みをすべき時でなく、かつての様な教会観を持つべき時ではありません。
もう違う時、違う時代に入ってしまったのです。
教会年鑑やら、データブックに自分のとこの教会名や住所、教会員までいそいそと自ら知らせる
時ではなくなりました。キリスト教書店でポイントカードを作ってもらって、
自分の購入した全ての本やらデータを管理把握されるべきではないのです。
また、自分のパソコンや携帯に全ての信者のデータを掲せて、
インターネット経由で偽ユダヤ人に盗まれるこ恐れを考慮すべき時代に来ていりのです。
繰り返し、繰り返しいいますが、携帯電話は盗聴、盗撮の道具であり、
全ての会話は録音され、保存されます。このことを理解しない人、携帯電話を持っている人を目の前にして、
「私に秘密の話を聞かせて下さい」といわれても、それは困るのです。
その程度の認識の人相手にはとても秘密を打ち明けられません。

”17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。”

ヨシュアの時代から、この時に至るまで、この仮庵の祭りは祝われていませんでした。
 
 

ヨシュアとは、新約でいうイエスのことであり、いわんとしていることは、
地下教会を持つということは、かつての日、主イエスの時代以来かつてなかったことだということです。
かつての日、主イエスの日は地下教会の日であり、私達は、主イエスまた弟子達の
行動はまさに地下教会のそれであったことを知っています。
彼らはユダヤ人達に追われており、また、訴訟、逮捕、投獄の危険がいつでもありました。
実際問題、主イエス、またペテロ、ヨハネ、パウロも裁判の座すわらせられたり、
訴えられたり、死罪を申し付けられたりしているのです。

新約聖書の中で使われていることばも見る人が見れば、いかにも地下教会という感じです。
「都に入ったら、水がめを運ぶ人を見る」うんぬん等、これらの符丁、示し合わせは、
まさに隠れたグループが使うものです。またマルコと呼ばれるヨハネというように
本名を隠した言い方も地下に潜った人の特徴です。

そう、私達も地下教会に潜り始めたら、符丁や、あだ名で名前をいいあうべきなのです。
再びいいます。もうオープンな時代は過ぎ去りました。

”18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。”

この日、神のことばはかたられました。そしてそれは、回復の日、喜びの日だったのです。
まとめますが、聖書は明らかに仮庵の祭り、すなわち、地下教会の実行は、第7の月、
すなわち、7つ目のミレニアムにあると語っているように思えます。

今はまさにその時7つ目のミレニアムの時であり、地下教会を真剣に考える時にすでに我々はいることを覚えましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
  -----------------------------7d62ee2d3017a Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream