NO.486 いちじく


”テキスト:エレミヤ24:
1 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕え移し、バビロンに連れて行って後、主は私に示された。見ると、主の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。
2 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。」
3 そのとき、主が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」
4 すると、私に次のような主のことばがあった。
5 「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。
6 わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。
7 また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。
8 しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように、「「まことに主はこう仰せられる。「「わたしは、ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、およびエジプトの国に住みついている者とを、このようにする。
9 わたしは彼らを地のすべての王国のおののき、悩みとし、また、わたしが追い散らすすべての所で、そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろいとする。
10 わたしは彼らのうちに、剣と、ききんと、疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」”

本日はいちじくという題でメッセージします。
聖書でいういちじくの意味合いを見ていきたいと思うのです。

順に見ます。

”1 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕え移し、バビロンに連れて行って後、主は私に示された。見ると、主の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。”
 

かつての日、神の民は、異邦の地、バビロンへ捕らえ移されてしまいました。
このことは、終末の日に再現されます。終末の日に新約の神の民は同じく、現代のバビロン、アメリカゆかりの
神学また、アメリカゆかりの第3の波等のムーブメントに飲み込まれていきます。

アメリカこそ現代のバビロンであると私達がいう時、それは根拠なきいいがかりではありません。
この国を調べ、調査している欧米のクリスチャンは異口同音にこの国のバビロンゆかりの
つながりを指摘しています。

この国の占星術、ニューエージ、また貨幣制度等、多くのことがらはバビロンに端を発しています。
アメリカは黙示録によれば、一つの体に7つの頭、すなわち、7つの指令系統を持つ国ですが、
そのうちの一つは明らかにバビロンです。

また黙示録17章では、このアメリカに関して、昔いたが、今(ヨハネの時)はおらず、
やがてそこ知れぬ所から上って来ると説明しています。この箇所においても、終末に上って来る獣の
国、アメリカとは、かつて、全世界にその汚れをまき散らしたバビロン国の再来であることを
語っているように思えます。

かつての日、エルサレムにいた、全ての神の民はバビロンへ移されてしまいました。誰も彼も
バビロンに住まわせられ、その影響を受けざるを得なくなったのです。
このことは、
予表であり、終末の日に全ての神の民は大なり小なり、バビロン、アメリカに影響されてしまい、
その偽りの神学、偽りの霊の影響を誰も受けてしまうことを預言していると理解できます。

”2 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。」
3 そのとき、主が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」”

さて、この様に誰も彼もバビロンへつれていかれたその民に関しても区分があり、
2つに分かれていることをこの箇所は語ります。
それは、2種類のいちじく、そして、それは、2種類の神の民をさすのです。
この2つのいちじくのうち、一つのかごは良い、非常に良いいちじくであり、
もう一つのかごは悪く、非常に悪く食べられないことが書いてあります。

今のキリスト教会の現状もこんなものだということを知りましょう。
今のキリスト教会はどこもかしこも大なり小なり、バビロン、アメリカの影響を受けており、
たとえば、あの嘘つき男、ブラザレン系のJ.N.ダービーの終末ほら話、
デイスペンセーション主義や、2段階再臨説、秘密の携挙などの偽りの教理、
アメリカ発のほら話の影響を どの教会も受けいれています。

はっきりいいますが、福音派は、キリストの再臨は2回あるなどという
聖書にはない教理を悔い改めるべきです。
愚かにも変えるべきでない、聖書の記述に勝手な追加をし、一度としか書いていない再臨をもう一回増やして、2回とするとは、聖書をも神をも恐れない愚行、冒涜です。
 

さて、これらのバビロンすなわち、アメリカ発の偽り教理が広まった今の教会ではありますが、しかし、その中にも良いいちじくが育っていることを聖書は述べています。
そして一方悪いいちじくは悪く、非常に悪く、とても食べることができないのです。
今のキリスト教会の多くははっきりいって、もう神の前には煮ても焼いても食えないものになっています。

神は、バルトのよた話、神の真にいわれたことと書かれた
ことばは違うなどとのトンデモ教理、またその追随者の妄想話を受け入れ、食べることができるでしょうか。

はたまた、神はあの惑わされた女、マザーテレサの「ヒンズー教徒はヒンズー教徒のまま死なせるべきだ」すなわち、天下に救いはこの方イエスにしかないとのことばに真っ向から、
反対する教理を受け入れることができるでしょうか。
 

この様な教え、またその追随者を神は「非常に悪く、とても食べることができない」と語っていることを知るべきです。

”3 そのとき、主が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」
4 すると、私に次のような主のことばがあった。
5 「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。”

神は「カルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。」と語りました。
今でいえば、バビロン化し、アメリカ神学の影響を受け、アメリカの怪しいリバイバルの霊に惑わされているクリスチャンに主は手をのばし、その中のみこころにかなった人々を良いものにしようとすると
語っているのです。ですから、今、これから、アメリカ発の偽り神学やら偽りリバイバルの害から免れる人々が現れてくるのです。
 
 
 
 
 


6 わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。”
 

ここで、「彼らをこの国に帰らせ」と書いてあります。このことばの重い意味合いをとらえましょう。
かつての日、神の民は不信のすえ、異邦の地、バビロンへ国ごと移されてしまいました。
先祖のゆずりの地、約束の地から移されてしまったのです。

これは、神の民にとり、屈辱であり、敗北である、不信の報いであることを知りましょう。
しかし、希望のあることには、神はそのまま神の民を見捨ててしまうというより、
そのバビロンから、もとの地、イスラエルの国へ再度戻すとここでいわれているのです。

このことは、かつて事実起きました。ネヘミヤ、エズラはそのこと、彼らの先祖の地への帰還を述べます。
さて、このことは、終末の日の予表であり、終わりの日にも、教会のバビロン化しかしそれとともに、
バビロン化した教会から、戻るべきみこころの地へ、戻る民がいることを思い出しましょう。

くり返していいます。多くのクリスチャンが気がづかないことですが、現在のキリスト教は、巧妙に秘密裏に、バビロン化しています。すでにバビロン化は進んでおり、さらに大きく進もうとしています。
そのバビロン化は、世界のキリスト教会を牛耳るアメリカを起点として起きています。

日本では決していわれないことですが、しかし、また欧米の目の開かれた何人かの研究者が述べていることですが、アメリカには、あらゆる形のバビロン、古代バビロンの文化、宗教が入り込み、また影響を与えているのです。

その際たるものは、バビロニアタルムードの影響です。バビロンで集大成されたタルムードは、
多くのユダヤラビ、すなわちクリスチャンの仮面をつけて、キリスト教会に入り込んだ、偽ユダヤの人々を通して、
持ち込まれ、それは、キリスト教の中心教理に影響を与えています。

自動車王ヘンリーフオードは、これらを研究し、その著書「国際ユダヤ人」の中で、「今のクリスチャン
は聖書をユダヤ的な視点で見ることに慣らされており、彼らユダヤ人の教理の影響の下でしか、聖書を読めないようになっている」と述べています。

今のキリスト教会はそんな状態であり、そしてアメリカの影響の強い日本のキリスト教会も同じく、
その様な状態であり、教会はいわばバビロン捕囚された様な状態なのです。

しかし、非常に感謝なことは、神のことばは、「わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ」と語ります。ですから、これから捕囚からの解放、バビロンを去る人々が出てくるのです。
何故彼らはバビロンを離れることができたのか?それは、神のあわれみであり、神が「良くするために彼らに目をかけ」たからなのです。
 

「彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。」

神はこの人々、終末の日にバビロン、アメリカの神学やら、怪しいリバイバルの霊の影響から
免れ出た人々を立て直し、倒れないように植えるといわれます。
具体的にはよくいう、「回復」を与えるということでしょうか。
彼らは本来、神のめざしたところへと建てあげられるのでしょう。

尚、回復ということで一言いっておきますが、この面、回復ということに
関しても、残念ながら、偽りや惑わしがあるようです。
回復ということばを標榜していたとしても「キリストの再臨は10回以上ある(?)」と、
わけのわからないことをいっている何とか離散やら、デイスペンセーション主義擁護のJ.N.ダービー系はちょっと、あるいは
大部違うのではないかと個人的には思っています。

7 また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。”

その日、終末の日、「心を尽くしてわたしに立ち返るからである」というように、神に
立ち返る人々がいます。立ち返るということばに注目すると、これは、間違えたところに
行っていた、神の示すとは違う地に自分達はいるという「自覚」が前提になります。

今の教会の問題、キリスト教会の大問題は、そもそも、自分達が捕囚されている、
バビロン化されていることに気付いていないということ、そこに大きな問題があります。

しかし、神のあわれみの中でそのことを見る人々があらわれるでしょう。
また、自分達がバビロンにいる、そのことに気付かざるをえないようなまか不思議なことがいくつもキリスト教会に起きるようになるでしょう。もっともそうなってもわからない人、目を閉ざされた人々は、
最後まで、見えないのでしょうが。もし、私達が見ることができるなら、かつて主がいわれたように、
「あなたがたの目は見るゆえに幸い」です。

ここでは、「わたしに立ち返る」ことについて書いてあります。
立ち返るという以上、今までと同じではない、何らかの変化があるはずです。

今のキリスト教会の現状は霊的にも、具体的にも明らかにバビロン捕囚状態と理解できます。
そして、主のみこころにかなった人々に関して聖書は、「バビロンの国からもとの国へ戻る」「わたしに立ち返る」と書いています。そういう以上、必ず、この時代に今までのバビロン化した教会、教理、現状に異をとなえ、
脱出する人々があらわれるのです。

これらの人々は今のバビロン化した教会の人々からは、もしかすると異端だの
極端な教えと呼ばれるかもしれませんが、しかし、以前から聖書に語られたことだということを覚えましょう。

”8 しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように、「「まことに主はこう仰せられる。「「わたしは、ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、およびエジプトの国に住みついている者とを、このようにする。”
 

さて、このかつてのバビロン捕囚の時代にもう一種類の神の民がおり、その人々は、
悪いいちじく、食べられないものと語ります。
いちじくはいちじくの実のことであり、それは御霊の実に通じます。
彼らは何らの御霊の実も結ばない、食べられない、すなわち、神には受け入れられない神の民です。
この食べられないいちじくは、終末の時代、バビロン捕囚が預言している時代において、
たくさん、あらわれるようになるでしょう。
 

”9 わたしは彼らを地のすべての王国のおののき、悩みとし、また、わたしが追い散らすすべての所で、そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろいとする。”
 

これらの食べられないいちじく、すなわち、何らの御霊の実も結ばない人々は、
全ての王国のおののき、悩み、またなぶりもの、のろいとなることが書かれています。
すなわち、今でいうなら、彼らは恥を見、面目を失うクリスチャンです。
今はまさにこの様な時代、すなわち、御霊に逆らい、口先ばかりで、
何らのクリスチャンとしても実を結ばない人々が、大いに恥を受け、はずかしめを受ける時代なのです。

カソリックの司祭があろうことか、子供を襲い、修道女を襲い、大いにスキャンダルを起こしていることは、もう誰でも知っていることです。彼らはキリストの栄光どころか、恥を広めています。
まことに彼らこそ、「すべての王国のおののき、悩み」です。

プロテスタントにおいても話は似たようなものであり、アメリカの有名なテレビ伝道士の
スキャンダルがいくつも報道されています。彼らは、まことに「そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろい」になっています。
 
 

”10 わたしは彼らのうちに、剣と、ききんと、疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」”
 

これらの全くバビロン化し、アメリカ発の怪しい神学を全く受け入れている人々には、「剣と、ききんと、疫病」が送られています。

剣、すなわち、偽り神学は教会を席巻し、また、ききん、すなわち、パンもなく、水、聖霊の働きの
ない多くの教会が生まれています。そして、疫病すなわち、健全ではない病んだ様なクリスチャンがたくさんあらわれています。
 

「彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」
 

これらの実を結ばず、悪いいちじくの様な人々は、「先祖に与えた地」すなわち、信仰の先祖である、
かつての信仰の勇者が受けた神の約束や、祝福の地から滅ぼされることが書かれています。従って、
かつての信仰の英雄、デービッドブレイナードなどが受けた祝福は、これらの人々に
とっては絵に書いた餅であり、実際には何ら関係のないものとなってしまうのです。
祝福どころか、それらの約束の地から無縁のものとなってしまうのです。

本日は、「いちじく」として聖書の語るいみじくの意味合いを見てみました。
次回に続きます。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
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