NO.475 突き刺した者たち

 

 

”テキスト:黙示録1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。”
 

本日は「突き刺した者たち」という題でさらに主の再臨に関して見ていきたいと思います。
かつて、主が初降臨した時、神の民の間では、キリストが来ることに関して、誤解と、
混乱がありました。
彼らは主の初臨の意味合い、理由、そして誰がキリストなのかをも理解せず、
自分の誤りの解釈にこだわり、結果として裁きに入ってしまったのです。

そしてこのことは未来に関する預言的な意味合いがあり、終末の時代に住む、神の民も
主の降臨、すなわち、再臨の意味合いを誤解し、結果として、裁きや惑わしに入る可能性があるのです。
このことを見ていきたいと思うのです。

テキストに沿って見ます。

「見よ、彼が、雲に乗って来られる。」

キリストが再び雲に乗って来る時、その時、地には2種類の神の民がいることを覚えなければなりません。
一つは艱難時代の中でも最後まで主に忠実であった人々です。
彼らへの援軍、天からの助けとして主は来られるのだということを覚えるべきです。

ブルートにいじめられているオリーブを助けるためにほうれんそうを食べたポパイがやってきます。
怪獣に破壊された街の人々を助けに宇宙のかなたの星、ウルトラの星から、ウルトラマンがやってくるのです。
それと同じくとといっては、恐縮ですが、神のことばのために艱難の時を過ごす民を助けるために
主イエスがやってこられるのです。

この簡単な事実を聖書は語っています。レフトビハインド、すなわち艱難の前に神の民は挙げられるなどという嘘話にすっかりだまされて、惑わされてはいけません。神の民が
艱難に会わないならわざわざ主の来られる意味はないのです。

もう一つはこれらの忠実な神の民を迫害する、堕落、背信の神の民です。
主の再臨はこれらの人々を裁くためのものです。

「すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。」

全ての目が彼を見ることが書かれています。それで、この再臨は全ての神の民への
裁きという意味合いがあることがわかります。それぞれ、その行いにより裁かれるのです。

突き刺した者ということばから思い出すのは、かつての日、主を十字架上で槍でさした
兵隊達です。しかし、突き刺すということばにはたとえが隠されていると思われるます。
突き刺すとは、槍や剣と関係のあることばであり、また剣は、「御霊の剣、すなわち、神のことば」とあるように、みことばをさすたとえなのです。

それで、この突き刺すとは、神のことばに対する攻撃、非難、反対をたとえたものであると
想像できます。
そう、終末の日に、神のことばに敵対し、非難し、反対する人々は、その日、彼、すなわち、
神のことば自身であられる方が再臨するのを見るのです。
もちろん、これは彼ら敵対者にとり、裁き、報復の日であり、彼らが災いにあう日を預言しているのです。
 

この突き刺した者のもっとも代表的な人々は、
かつての日、神のことばとして来られた方を非難し、逮捕し、そして死罪に定めたユダヤ 議会、
サンヘドリンの大祭司、また彼に連なる人々です。

21世紀の今でもユダヤ教の中にパリサイ人は存在しています。彼らのラビ達はキリスト教会に
入り込み、それを変質撹乱するために、働いています。
私達が名前を聞いたことのある多くの有名な器もその手の人だと聞いたことがあります。
さらに日本においてももぐりこんだ人がいるとか、いないとかうわさを聞いています。これらの
嘘つき隠れラビに惑わされ、神のことばに敵対し、フエミニズム神学がどうの、同性愛を聖書は禁止していないとか、わけのわからないことをいっている人々こそ、かつての日、大祭司に連なった
愚か者の末裔です。また、うわさでは、サンヘドリンも彼らユダヤ人の中に今でも現存していると聞いています。

これらのサンヘドリンはまた、しょうこりもなく、主につく人々を死に定めるのでしょうが、しかし、
これらの偽り者を裁きに処するために主は再臨することを知るべきです。
愚かな(偽)ユダヤ人は、世界を自分達は支配していると、勘違いしていますが、いずれ、
彼らが大勝利と思ったその日に主の再臨があり、何とそれは、自分達が滅び、裁かれる日なのだとわかるようになるでしょう。しかし、
その日気付いたのではもう遅いのですが。

ダニエル書は、終末の日に明らかに獣、すなわち、ユダヤのつくった悪魔帝国アメリカが
滅びる日、またそれを支配する民、すなわち、この愚かな民族がほろびる日を
預言しており、それはもうじき実現しようとしているのです。しかし、世界一愚かな人々、トラックいっぱいのタルムードをもちながら、何一つ聖書を理解せず、ダニエル書をも理解していない人々は、その日、大変残念ながら、滅ぼる様になるのでしょう。
 

”地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。”

ここには、主の再臨の時、嘆く人々がいることが書かれています。
それで、わかることは、主の再臨がある種のクリスチャン、特に地上の諸族、すなわち、
この世につくクリスチャンにとり、災いになるということです。その日は、幸いではなく、
彼らにとり、災いになるのです。彼らはその日、裁かれるのです。
 

彼らが裁かれるその理由は何か?
一つは彼らが神のことばへの冒涜、反逆に連なるから、もう一つは、
この黙示録に書かれている、主につく人々への迫害、殺害に同調、参加するからでしょう。

まとめますが、聖書は明らかに主の再臨はさばき、しかも、不忠実なクリスチャンへの裁きだと語っていることを覚えましょう。

主のおいでは近いのです。まわりを見ず、この方に忠実に歩みましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
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