NO.467 隠れたことがあらわになる日

”テキスト:ルカ8:17 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。

18 だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」”
 

本日は、「隠れたことがあらわになる日」と題してメッセージします。
いわゆる陰謀について語ろうと思うのです。

このサイトができてから、もう7年程経ちますが、お陰さまで現在は働きを続けています。
私が預言解釈の示しを受けてこの働きを始めた後、主がさらに示したのは、いわゆる陰謀に関することでした。小石牧師とのかかわりをはじめ、いわゆる陰謀関係のつながり、広がりが
段々と開けてきたのです。
何故そうなってしまうのか、正直、よくわからないことも多かったのですが、今は少しはわかるような気がします。終末の働き、また終末の世界や、キリスト教会の真相を理解しようとする時、好むと好まざると陰謀の
世界に無知であるわけにはいかないようです。

欧米において、いわゆる陰謀について語り警告する人々がいます。
そして、その多くはクリスチャンなのです。彼等の目は鋭く、正確です。
しかし、クリスチャンは陰謀などに関わるべきなのでしょうか。

その問いに対する答えが上記テキストではないかと私には思えます。
順に見ます。

”17 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。”

私達は陰謀について語りますが、陰謀とは、他でもない、「隠れているもの」であり、
「秘密にされているもの」なのです。
ローマ教会がいつの間にか、某民族に乗っ取られており、最近の教皇の教えは
ますます怪しいもの、聖書から懸け離れたものとなっているなどということは、
教会の公開された文書には載りません。逆に隠され秘密にされていることがらなのです。

これらの秘密が隠されているため、また日本には、これらの秘密をあらわす人々がいないため、
カソリックを密かに誘導する人々は大勝利を収めており、この教会は、
某民族の人々の都合の良い教理を次々と受け入れれるようになりました。
かつてのローマ教会の法皇はタルムード禁書を命じ、このユダヤ経典の教えを罪に定めました。このことは正しく、イエスを冒涜し、クリスチャンの殺害を命じるこの恐るべき書、
最悪の書は、キリスト教会とは全く相容れない忌むべきものです。

しかし、近年密かにこの教会は変質し、方向転換がなされ、「ユダヤ人との和解」などとの
彼等の意に沿った発言をする法皇が起きてきました。
(偽)ユダヤ人が タルムードの罪を悔い改めたり、 クリスチャン殺害の罪を悔い改めた
後なら、和解もありえるかもしれませんが、彼等偽ユダヤ人は
何らの悔い改めもしていないのに、一方的にローマカソリックが ユダヤ人に
謝罪しているのです。これは不思議です。
ここには何かの工作、方策が隠されていると思った方が正しいようです。

さて、このこと、ローマカソリックが密かにある種の人々に操られていることは、
隠れたことであり、秘密にされていたことです。
しかし、これらの隠れたこと、秘密にされたことがらに関して、
聖書は、「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。」と語ります。

すなわち、キリスト教会を牛耳る陰謀、企み、計画に関して、それがどの様に、
用意周到に立てられ、完璧に秘密にされていても、しかし、やはり、それらは、あらわになり、
現れると聖書は語るのです。

何故か?それは、これらの陰謀、企て、計画は、主の許しの中で立てられたとはいえ、
それを通して、義人も悪人も等しく、滅びるということに神のみこころがあるわけではないからです。
かえって、神のみこころは、義人はこれらの偽り、計画を悟り、それらから、
抜け出し、命を救うことにあるのです。

そして、それゆえ、主は後の日に民の中に角笛、警告の角笛を吹く者達を起こすのです。

ですから、結論として、全ての陰謀、全ての悪いたくらみは終わりの時には明らかになるのです。
明確にそれらの偽りをただす人々があらわれるのです。
神はその様に定めているのです。


18 だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。”
 

さて、この様に多くの隠されたこと、秘密にされたことは、主の方法により、また小数の
角笛を吹く者たちにより、明らかにされるのですが、しかし、問題があります。それは、
民がそれらの声、角笛の声をきかないのです。
正確には、耳を傾けるのは小数だということです。

そしてそれゆえ、「だから、聞き方に注意しなさい。」と書かれているのです。
 

”というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。”

かつてのキリスト教会においては、決して明らかにされなかったこと、秘密にされていた多くのことがらがあると知ることは大事です。

キリスト教会や、世界の陰謀を知ること、こんなことは、かつてのキリスト教会において、
クリスチャン信仰とは何の関係もないことがらでした。

しかし、今は、また、終末の時代においては違います。
どう聞くかということは、今の時代、どの様にクリスチャン生活を送るのかということに
密接に関係してくるからです。

たとえば、私達はトロント、ペンサコーラ のリバイバルとは、裏のある働きであり、
その集会の裏には悪魔的な人々がいることを警告します。角笛を吹くのです。しかし、
これらの声に対して、その反応、どの様に聞くのかは人によって異なります。

たとえば、ある人々はそれらの警告を一笑に付し、そして進んでいってこれらの悪霊を受け、惑わされていきます。他の人々は、警告を受け、歩みを変えて、これらのリバイバルに一線を画し、結果として
守られます。

キリスト教会を壊滅させ、全てのクリスチャンを滅ぼそうとする隠れた企みは果たして存在するのでしょうか?
それともそんな話は作り話に過ぎないのでしょうか?

聖書はそれらの問いに対して、「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。」と語ります。すなわち、隠れたことがらが存在し、秘密にされていたことがらがあると語るのです。
陰謀、英語でいうconspirayとは、まさに隠れたことがらという意味あいなのです。

この声に耳を傾けることにみこころがあります。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
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