No.444 安息日を聖とする


”テキスト:出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「
11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。”

本日は「安息日を覚えて聖とする」という題でメッセージしたいと思います。
このことの意味あいを見ていきたいと思うのです。

テキストから見ていきます。

”8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。”

主は十戒の中でことさら7日目、安息日をさしてこの日を「聖」とすることを
語りました。
このことの意味あいは何でしょう?
文字どおり読めばそれは、洲7日間の中で、7日目、安息日を聖なる日、特別な日としなさいという命令です。教会では週の始めの日を特別な日とし、聖なる日として守っています。
このことを第一義的には語っているのでしょう。

しかし、それとともに、多くの聖書の箇所がそうであるように、この記述にも
隠れた意味あいがあるのではと私は思っています。
それは今まで見てきた様に、神は7日目すなわち、7つ目のミレニアムを
特別な時代であると預言しているからです。

今の私の確信では、この時代は、実は大変な恐慌、教会変質、教理改ざんの時代になる
様に思えます。

私達はかつて、安息日、7つ目のミレニアムとは、実は善と悪が逆転する時代、また
安息が消える、行いを強調される時代になるだろうということを見てきました。
同じ考えに立つなら、この同じ安息日に関して、ことさらに
「聖とせよ」といわれる時、ここにも隠れた意味あい、預言的な意味あいがありそうだということを
類推できるのです。

何をいっているのかというと、この日は、実は、聖とすることの逆、冒涜の日となることが予想されるのです。
そして、このこと、「冒涜の日」になりそうな気配は、私達の目の前で、
日々現れています。
ですから、このこと7つ目のミレニアムが「聖」と反対の日、冒涜の日となりそうだということは、
みことばが暗示し、なおかつ、事実が裏書きしているのです。

冒涜?
キリスト教会で今起きている、あらゆる冒涜を一つづつ取り上げるなら、もう、
きりがありません。

霊の世界をいうなら、「獣のしるしをつけろ」なんて冒涜的なことを
いう怪しい器が日本の各地で大きな聖会を開いています。
悪霊も聖霊も区別のつかない盲人クリスチャンにより、これらの
悪霊の器は尊重されています。
しかし、悪霊を聖霊と呼ぶことは冒涜ではないのか?

さらに日本のキリスト神学校においては、「イエスは神の一人子ではない。ただの
大工のおっさんだ。奇跡も処女降誕もない。」なんていう
カルトみたいな教理が真面目に説かれています。
要するにキリストのことばを偽りだといっているわけです。
これは冒涜ではないのか?

また、近年聖書の翻訳はますます怪しいものとなっており、
あらゆる改ざんが行われています。しかし、「ことばは神である」といわれた
方のことばを勝手に改ざんすることは、越権行為、しかも何と神に対する越権行為であり、
冒涜の極致ではないのか?

さらに日本においても「ことばは神である」といわれた方の尊い、みことば
の上に冒涜極まる「外典」をあたかも聖書の一部であるかの様に
聖書内に組み込み「続編」などと紛らわしい名前をつけること、すなわち新共同訳なる
冒涜、これこそ、聖なる方への冒涜ではないのか?
かつての日、冒涜的なローマ兵は、主イエスが十字架につけられる前に勝手な衣装を着せて神の子、イエスを冒涜したが、
聖書にあらざる書、外典なる冒涜の書を勝手にイエスの名前で神のことばにつけ加えることはそれに等しい
神をも恐れぬ冒涜ではないのか?

私、エレミヤはこの様な冒涜に加わることは拒否し、続編などとの
ふざけたいいまわしには断固、反対します。この罪に関しては自分の手を洗い、
この罪に荷担しないことを人の前、神の前に宣言します。
この罪、その血の報いはこの冒涜に荷担する者の頭に帰すべきものであり、
私達とは関係がありません。

個人的には、この罪に関してはそれぞれ、立場を明確にし、
おのおの自分の立場をいいあらわすべきと考えています。
何故なら、私達はその日、この方の前に立ち、いい開きをするようになるからです。

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さて、上記の様に、今7つ目のミレニアムにいる私達、すなわち、聖書でいう7日目、安息日に
たとえられる時代にいる私達は今の時代の教会の現状は、この方を聖とし、この方のみことばを
聖とするというより、逆に冒涜、けがしごとは、教会を覆っていることを見ます。
逆にいうと、何故神が前もって、この日に関してのみ、「この日を聖
とする」と語ったのか、おぼろげながら、理解できるようになっています。

そう、逆説的な意味あいで、このことばは成就し、預言された様に、聖ではなく、その反対の
冒涜が地を覆うようになっていることを見るのです。
 

”9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。「「あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。「「”

この箇所には、仕事をしないこと、新約的にいうなら、奉仕に追い立てられないことが語られています。
すなわち、この7つ目のミレニアムに関しては、主は安息を命じていることを見ます。
しかし、主は別の聖書の箇所で、「決して彼らを私の安息に入らせない」とも語っています。
ですから、結論として、神を聖としない者、悪霊のリバイバルを聖霊であると
語ったり、聖書改ざんの冒涜に加わる者は、この時、安息に入れない可能性があるのです。
これから、始る、この時代のヒステリー的なキリスト教ムーブメントに巻き込まれていき、
働き、奉仕、変革という狂奔に引きずられていく、
可能性があるのです。これは、別のことばでいえば、第三の波系のレニューワル、パラダイムシフト、
トランスフオーメーション等の偽りです。

これらのムーブメント の特徴は、まだまだ教会は進歩、改革が足りない、
主の再臨を迎えるにはそのたけに達していない、古い教義にとどまらず、新しい使徒や、
預言者の声に聞き従い、ますます変革されなければという、変革、奉仕、すなわち、
仕事への促しです。

しかし、みことばは明らかに6日目までに天地創造のわざは終わったこと、たとえの意味あいとしては、
神が教会に関してなそうとしておられた奉仕は6日目までで、一段落すんだこと、
すなわち、7日目になって、7つ目のミレニアムになって、突然、奉仕、変革、
パラダイムシフトなどというやからは、聖書に反したやから、これは、神からの運動でないことを明確に語っています。

また、7日目は安息の日であること、すなわち、7日目に奉仕、仕事をさかんに
言い立てる人々は同じく神から来たものでないことを語っています。
このことを覚えておかなければなりません。

このことを私は前もっていっておきますが、そういわれていてもやはり
惑わされる人が多く出るでしょう。
その日、全世界のキリスト教会を熱病の様に覆うムーブメントが起き、
だまされる人、巻き込まれる人は多く、また、
神に熱心に仕えているつもりで、しかし結果として黙示録に書かれているいなごの軍隊に
参加してしまう惑わされたクリスチャンが黙示録によれば、全世界で2億人いる様になります。
2億人?とんでもない数の様に思えるかも知れません。しかし、今全世界をおおうペンテコステ系ムーブメント、またヨエルの軍隊(ヨエル書はいなごについて語る)、
等を冷静に観察する限り、正直、
もうこの日は遠い日ではありません。
 
 

”11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。”

「天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り」とはたとえであり、要するに
教会とその完成に関するわざは、6日目までに、すなわち、
過去6つのミレニアムで終わった、終了したと語っているのです。
しかし、何故神はわざわざそんなこと、6日で全てのわざが終わったことを強調していわれたのか?
それは、神御自身が7つ目にミレニアムに起きてくる、偽り、
サタン由来のムーブメントを前もって御存じであり、それゆえ前もって、言外にそれに関する
警告を与えておられるとも理解できます。

そう、ですから、これから、何か特別なこと、トンでもないことが起きるのです。
このミレニアムにおいては。私が察するにはそれは、熱病の様なムーブメントであり、
たくみな惑わしの中で、誰も彼も、「まだ、足りない。必要なものを求めなければ。聖徒の完成、
教会完成をなさなければ。」と思わされてくるのです。

それで私は今前もって言っておきます。
もし、そんなことが全く起きなければ私のことを笑い、これらのことばを一笑に付してください。
しかし、もし、その様な時が来たのならーこれらのことばを思い起こしてください。
いずれ、日本にも欧米で起きつつある、狂奔、ムーブメントが起きるのでしょうが、
その時迄、このサイトもそして書く人も存在しているかどうかは定かでないので、今そう書きます。
 

”これを聖なるものと宣言された。”
 

7日目、安息日、すなわち、7つ目のミレニアムは安息の日であること、
また聖なる日であることを神は十戒の中で語りました。
しかし、神にきかず、律法を守らない神の民は、この戒めをも破り、
この7つ目のミレニアムをあらゆる狂奔と、教会完成だの、
主の再臨の前に地をきよめるだののあらゆる(神からでない)行いで満たしていくでしょう。
そして、悪霊を聖霊と呼び、逆に聖霊の働きに対して「霊の戦い」をしかけ、
冒涜し、この日を整なる日どころか、冒涜の日としていくでしょう。

彼らは「聖霊を冒涜する罪」を犯す者、「あなたがたを殺す者が自分は
神に仕えている」と思う時が来ると前もって主に預言されている者達です。
しかし、私達にあっては惑わしに入らず、安息日に関する
戒めを守ることに目を注ぎましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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