NO. 439 からだのあかりは目である

 

 

”テキスト:マタイ6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。”

本日は、「からだのあかりは目である」という題でメッセージをします。

目そして見ることに関するたとえを見ていきたいと思います。
 

テキストは、上記の通りの文章であり、長いものでもまた難しい内容とも思えません。
人によっては当たり前のことをいっていると思うかもしれません。
 

しかし、私達の主がわざわざ語り、我々に伝え、そして主の時から2000年も経た今でも
伝えられていることばには、何かの意味があるのです。いえ、何かどころか、大いに
意味があるのです。特に今の時代、終末の色合いが日々濃くなる時代においては。
そのことを見ていきましょう。

テキストに沿って見ます。

”22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、”

ここで、からだについて書かれています。からだとはもちろん、我々個々の人間の肉体のことですが、
しかし、聖書的には、もう一つの意味あいがあります。
それはキリストのからだとしての教会の意味あいです。
かつて、パウロは、教会はキリストのからだであり、また我々個々のクリスチャンは、おのおの
からだの器官であることを語りました。
器官?そう私達はそれぞれ、手や足や、耳、花などとして、それぞれの役目を教会の
中で果たすのです。
そして、ここではある特定の器官、「目」に関する警告、注意を主は語っていると
理解できるのです。

個々の地方の教会において、見る役割、目の役割を果たすのは誰でしょうか?
牧師や長老でしょうか。それなら、これはその様な人々に関する話です。

もう少し話を広げてたとえば、日本のキリスト教会全体で、見る役目をする人々は
誰でしょう?

教団のリーダーや、監督、また神学校の教師、それから、
キリスト教の新聞や雑誌に色々書くセンセイがた、キリスト教会のオピニオンリーダー
の方々かもしれません。また、キリスト教の新聞や雑誌、テレビ、ラジオ等に関係する
人々かもしれません。
 
 
 

「からだのあかりは目です。」

家を建築する時、その中で光が入ってくる部分は、
「窓」です。窓を解放すれば大いに光が入って来て、部屋は明るくなりますが、
しかし、窓を閉め切り、雨戸を閉め、カーテンもピッタリ閉めるなら、たとえ外は朝の光が
差し込んでいても、部屋は真っ暗です。
同じ意味あいで、からだなる教会において、「目」の器官、役割を果たす人々いかんにより、
教会全体が受ける光は異なって来るのです。
 

「もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが」

ある教会においては、目の役割を果たす、器官に相当する人々が、健全であり、片寄っていないで、
正しく見るとします。
それは、教会のリーダー、預言者にあたる人とかをさすのかもしれません。
彼らが、(または彼女が)、正しく見る時、教会、教団は正しく神のみこころを見、
今の様な偽りと窓わしが横行する百鬼夜行の様な、教会の現状であっても、
しかし、正しく歩むことが出来るのです。時代はますます暗く、
偽りは増すでしょうが、しかし、目が見、そのため、からだに光が注がれます。
すると、からだ全体、教会全体は正しいことを見ます。ただしいことを見、真理を見ます。
 
 

”23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。”
 

しかし、目に問題がある時、からだ全体、教会全体が暗くなってしまいます。ここに書かれた、
(目が)「悪い」ということばには、邪悪という意味あいがあるようです。
ですから、これは単に視力がいい、視力1.0とか 2.0かいう問題でなく、
道徳的にどうか、神の前に正しく歩んでいるかとうかということを語っていることがわかります。

そうです、これは、悪いケースなのです。からだ全体は変わらないとしてもその目にあたる人、
教会や教団のトップ、また日本のキリスト教会全体をリードする人々の目が暗く、罪がある時、
教会全体、教団全体、また日本のキリスト教会全体が暗くなり、誤りに入ってしまうのです。

日本のキリスト教会のリーダー、福音派のリーダーを自他ともに認める人が、
あの偽預言者ピーターワグナーなどの偽預言を吟味する目を持たず、逆に
名声や肩書きなどに惑わされる、また器崇拝、すなわち、偶像崇拝の罪を犯してしまう、
「邪悪な目」であるなら、どうでしょう?
「もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。」とのことばが成就しないでしょうか。

今の日本のキリスト教会の現状はまさにその様なものであり、教会、教団の「目」に相当する
人々が間違え、器崇拝、偶像崇拝に狂奔し、すなわち、「目が邪悪」であるため、
大いなる混乱の中にあり、教会全体、教団全体の「全身が暗い」状態なのです。

ペンテコステ系の教会の「目」に相当する人々も「邪悪な目」となっており、
怪しい獣のリバイバル、トロント、ペンサコーラリバイバルまたそんなリバイバル
を預言した怪しいチョーヨンギなどを器崇拝しています。
それゆえペンテコステ教会の中にこの怪しい霊は燃え盛り、「あなたの全身が暗い」状態なのです。

またキリスト教会の新聞、雑誌、出版など、同じく見ること、「目」に関する
奉仕にあたる人々の目も邪悪になっており、これらの悪、誤りを伝えようとはしません。

旧約の時代、民や王が道を外した時、神のことばを受け、民の誤りをただした預言者がいたものですが、
悲しいかな、これらの新聞や雑誌には、それらの用に役立つものはないようです。

その様なわけで、今の時代に生き、クリスチャンとして歩もうとこころざす私達が
知らなければならないことがあります。
それは、今の時代こそ、目の働き、教会の中で、目の器官として働くべき人々の
目が邪悪になり、暗くなっている時代だということです。
それゆえ、教会全体は暗くなり、怪しいベニーヒン、ビルハモン、それから、
怪しいフリーメーソンである ビリーグラハムなどをみわけることができなくなっています。

これらの「目」の器官が役立たずになっている時、主を求める人々は、自分の目で見ることを求める
べきなのです。

そうです、その様な時代に私達はいるのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 

 
 
 
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