NO.438 花婿が取り去られる日(2)


テキスト:”ルカ5:33 彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。
35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」”
 

本日は、「花婿が取り去られる日(2)」としてさらにこのことを見ていきたいと思います。

テキストを順に見ます。

”33 彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」”

ここでは断食そして祈りについて
イエスに対して質問が行われました。
というより、問い詰める様な感じです。ヨハネの弟子、パリサイ人の弟子と違って、
イエスの弟子は断食をしていない、だからあまり信仰熱心ではないのではないか、
そんなニュアンスが見てとれる質問です。
 


34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。”

断食、祈りすなわち、信仰の熱心さについて問いただしている彼らに対して、主は少し、
方向の異なる答え方をしています。
花婿が一緒にいる、いないということに関して語っているのです。

花婿ということばは結婚式、また披露宴ということを連想させます。
結婚式そして披露宴という時、何と言っても食事や飲み物がつきものです。
そんな時、「私は断食中で」なんていって、何にも食べない、飲まないなんていうのは、
かえって祝宴をこわすようでよくないのかもしれません。
まして結婚式で花婿につきそう友人や、友人代表でスピーチをする人なんかは、
自ら率先して場を盛り上げるべきだから、大いに飲み、食べるべきなのかもしれません。

さて、これは勿論たとえの意味あいです。ですから、花婿とは、具体的には、
イエスキリスト、今の時代においては、聖霊として教会にこられた方です。
花嫁なる教会は花婿、イエスの霊である聖霊を受けており、我々は基本的には、
断食をする必要がありません。

断食とは、パンを食べず、水を飲まないことであり、具体的には、
みことばを受け、聖霊の霊を受けることに関したことがらです。
食べること、飲むこと、
これらは、花婿の友人である弟子、我々が積極的になすべきことであり、
とどめられるべきことではありません。これは、花婿、聖霊なる方がおられる
教会時代の常識です。

”35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」”
 

しかし、主はそれとともにある特定の「時」に関しても語りました。
その時とは「書かれている全てのことが成就する」終わりの日であり、その日、教会時代の
常識はもう通用しません。
聖書の一つの大きな特徴は、この特定の時代、世の終わりに関する多くの記述があることであり、
この花婿のたとえもそのことをあつかっています。

「花婿が取り去られたら」

教会から花婿なる聖霊が取り去られる日とは、ほとんど教会時代の常識、またクリスチャンの
常識を超えるものではありますが、しかし、主は明白に花婿が取り去られる日について
預言し、語りました。
我々は主のことばのみに忠実であるべきであり、曲がってしまった今の教会の
常識にしたがって、考えるべきではありません。
 

「その日には彼らは断食します」

あってはならない日、しかし、神のことばにより預言されているので、いずれ必ず、
実現する日、教会から、花婿なる方、イエスの霊が取り去られ、また「ことばは神である」といわれた
方のみことばが取り去られる日が来たら我々はどうすべきなのでしょうか。
その日に関して主はかたり、
「その日には彼らは断食します」
と主は語ります。
そう、その日には、主の弟子は断食すべきなのです。

断食とは?断食とは、パンを食べないこと、水を飲まないことです。
そして、パンはみことばに関わることばであり、要するにろくでもないパン、
偽りの教理を受けない、食べないことを言っているのです。
今がその時であり、
キリスト教会においては、主のみことばは取り去られつつあり、
ろくでもないパン、教理が提供されています。
エキュメニカルを推進する
ボンヘッフアーやら、同性愛を推進する教理やら、みことばを改ざんしようとするフェミニズム神学、
エコロジー神学だのとんでもない教理がめじろおしです。
しかし、主はこの様な時、みことばが取り去られ、花婿が教会から取り去られ、追い出される日には、
主の弟子は断食するように、すなわちこんなとんでもない「添加物入りのパン」は食わないように、
命じられたのです。

また、霊に関しても同じことであり、トロント、ペンサコーラを始めとする、
怪しいリバイバルはますます教会に広がっています。

これは、一度でも参加した人はわかると思いますが、この霊を受けた人が、
変な笑い声、気味の悪い笑い声を起こすリバイバルであり、また霊を受けた人が、
猿や馬やライオンみたいになる、要するに「獣」になるリバイバルであり、水なのです。
これを我々は受けるべきなのか?
否、そうすべきではありません。主は「その日には断食」をするよう語っています。

今はまだ、この霊、リバイバルは発展中であり、まだ、本音を語っていないかもしれませんが、
しかし、「花婿が取り去られる」追い出されると言うことばから、類推するなら、明らかに、
いずれ、花婿なる聖霊を追い出す方向に向かうことが想像できます。

今は、寺院や、神社に対して行われている「霊の戦い」はいずれ、最終目標として、
聖霊そして、聖霊を受けているクリスチャンを対象にするものとなるでしょう。
それは、また、「聖霊を冒涜する罪」「イエスをベルゼブル」と呼ぶと書かれた
預言が成就する日です。そして「今の世でも次の世でも許されることのない罪」
をこれらの愚かな(悪霊の)酔っぱらいが犯す日でもあります。

しかし、主の弟子はこれらの霊をみわけ、断食すべきです。

再度、繰り返し語ります。アメリカは聖書で名指しで語られた
獣の国、キリスト教破壊のために用いられる獣の国であり、この国を起点として
起きるあらゆるリバイバル運動は要吟味なのです。
これらは祝福というより、実際は破壊を目的としたものなのです。
ペンサコーラはもちろん、
その前のアザサストリートリバイバル、後の雨運動、またそれらに関わる働き人は、
要吟味です。
アメリカにはこれらの働き人の怪しい実態を伝える、文書が多くあるのですが、
悲しいかなそれを日本のクリスチャンに伝える人がいません。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
  -----------------------------7d5a7f102e2 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream