NO.429  安息日に悪を行う

テキスト:”マルコ3:
 

1 イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。
2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
3 イエスは手のなえたその人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。
4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。
5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。”

本日は「安息日に悪を行う」という題でメッセージします。
かつての日、主のいわれた「安息日にしてよいのは..悪を行なうことなのか。」質問の意味あいを
見ていきたいと思うのです。

テキストに沿ってみます。

”1 イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。”

イエスの前に手のなえた人がいます。
この人に対してなされるべき正しいこと、善は以下のうち、どちらでしょう?
1. 彼の手をいやす
2. 彼の手をいやさない

答えは非常にシンプル、簡単であり、誰が考えても、
明解です。いうまでもなく、彼のなえた手がいやされた方が良いのです。

さて、この様にシンプルな問題の答えが、自称、知恵のあるパリサイ人、実質、
単なる惑わされている愚かものにかかると、大分、変なおかしな結論になります。

2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。”

何と彼らの結論は安息日なので、この人をいやしてはいけない、いやしたら、その人間を非難する、訴えてやるというものでした。
病人の薬を間違えて殺してしまった医者は訴えられてもしかたないかもしれませんが、
しかし、見事に難病をいやした医者が訴えられたらこんな事態を何というべきか?
「世もすえだ」といわないでしょうか。
同じ意味あいで手が動かない人をいやしたイエスはそのいやしのゆえに人々から、訴えられているのです。
もうこのパリサイ人の国は世もすえであり、末期的状況にあることがわかるのです。
 
 
 
 
 

そうこの箇所はまさに善を悪、悪を善と呼ぶ、恐るべき時代、全く逆転してしまった
時代に関する話であり、それはまた終末のある日、世の中も教会の中も
全く善悪が逆転してしまう時代に関する預言なのです。

その逆転の時代とは?
たとえば、もし大量殺害大国、戦争大好き国の大統領が、他国たとえば、イラクあたりを
攻撃し、その作戦を「限り無き正義」なんてトンでもない名前を付け始めたりしたら、
この逆転現象、悪を善と呼ぶ日が始まったといえるでしょうか。
 

”3 イエスは手のなえたその人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。”

さてこの様に善を悪と呼ぶ、カン違いの神の民を前にして主はどう行動したか?
危険を感じて、自重したのか?いうことや行いを変えたのか?
否、そうではなく、何らの変更もなく、主は癒すべき人をいやしたのです。
このこと、この主の態度は我々が大いに学ぶべきものです。

1/10献金をすると最近は、カルトだといわれるから、もうやめるのか?
馬鹿をいってはいけません。今さらそんなみえすいたおどかしに乗って聖書のことばを
捨ててどうするのでしょう。
どんな時代であっても真理に変化があるわけはありません。
かつての聖徒達が守りとおしたこの信仰の道、「聖徒にひとたび伝えられた信仰」を、我々は肅粛と
守りとおすだけです。

逆にワンネスだとか、1/10献金はカルト教会だとかいう、
嘘つきどもの嘘をあばいていくべきです。
ワンネスとは、「イエスの御名に救いがある、この名に頼ろう」とする人々を
カルト扱いしようとする、毛が三本足りない浅はか民族の見え透いたたくらみであり、
主旨、意図は明確です。

”4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。”

さて、この話は、安息日に関する話であり、安息日という特別な日が舞台です。
安息日の意味あいとは何でしょう?もちろん、それは安息の日なのですが、
しかし、それとともに知らなければならないのは、この日が7日目であるということです。
さらに考えるなら、7日目は、「1000年は1日のごとく」との聖書の基準で考えるなら、
これは、7つめのミレニアムであるとも言えます。
そう、アダム以来既に6000年が経過し、7つめのミレニアムにいる、私達の
時代と関係があるのです。

かつての日、イエスの時代に神の民の道は曲がり、時代は曲がりきり、
イエスは、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。」という
ほとんど子供にきくような、簡単な質問をパリサイ人に聞いています。
 

そして、悲しいかな、その当時のパリサイ人は、この子供さえ善悪が判断できる
ことがらを理解できず、安息日に正しい善を行ったイエスを殺そうとしていました。
まことに彼らは宗教、聖書の専門家どころか、十戒さえ、まともに理解していない、的外れな愚か者です。

パリサイ派は現在でも、ユダヤ教に残っており、現在の彼らも、
この当時の人々に輪をかけた愚か者です。
神を愛する、殺すな、盗むな等の聖書の戒めを、何一つ守らず、
神の裁きを受けつづけ、さらに裁きに直行する愚か者民族となっています。

さて、このイエスのことばは、安息日に関することばですが、しかし、それは7日目、
7つ目のミレニアムに関する預言ともとることができるかもしれません。
何をいっているのかというと、7つ目のミレニアム、終末の時代には、
善と悪、命を救うことと殺すことが逆転し、善を悪、悪を善と呼ぶようになる、そのことを
これらのイエスのことばは預言しているようにも思えるのです。

そして、改めて、今7つ目のミレニアムにいる私達が周りを見渡すなら、
正直、今はもうその様な時代、善悪が逆転した時代、
悪を善と呼ぶ、善を悪と呼ぶ時代にもう入りつつあることをも理解できます。

例をあげます。
たとえば、ある町一番の暴力男、殺人男がいるとします。
彼は何と前科200犯であり、この町のありとあらゆる人に暴力を振い、
何人も殺しています。自分の月給の半分をも人殺しの凶器を買うことに費やしています。
人の首を縛るロープ、刺すためのナイフ、人を燃やすための油などを
買うために費やしているのです。そして、単に持っているだけでなく、しょっちゅう
使用しているのです。こんな男が、「俺は正義のために街一番働いている」なんて
いったらどうでしょうか?
「もう世もすえ、善を悪と呼び変えている」といえないでしょうか?
これは、ほとんど冗談の様な世界ですが、しかし、恐ろしいことは、これは、現在世界規模で、
成就していることでもあります。

あの獣の国、アメリカがその「正義の国」であり、建国200年の間に今まで、
200回以上の戦争、紛争を他国と起こしています。
国家予算の何十%をも戦争、人殺しの為に使用しているのです。
この国は、東の国、日本に因縁をふっかけ、
恐るべき原爆を2つも落とし、30万以上の人を殺した大東亜戦争といい、
へ理屈をつけて、ベトナムに雨あられの爆弾を落とし、300万以上以上の
人を殺した国なのですが、しかし、驚くべきことには、
多くの国がこの国に賛同し、無茶苦茶な論理、イラクへの
攻撃に賛同しています。我々の日本も番犬よろしく、この獣の国の後をついていっています。

この獣の国の大統領のとんでもない論理、
「限り無き正義」なんていうことばに誰も反対できません。

これを何というのか?
これこそ、善を悪、悪を善と呼ぶ時代です。
もうそんな時代が来てしまったのです。

さて、これはこの世のことですが、しかし、キリスト教会の今の流れもまた、この7つめの
ミレニアムにおいては、「善を行なうことより悪を行うことが賞賛され」つつある、逆転現象が
生じていることを知りましょう。

かつて不信仰な者、神をもキリストをも、その神による奇跡をも進じない
人も少しは教会内外にいました。しかし、彼らは
教会内においては、賞賛されることも、多数派でもなく、
主流派でもありませんでした。不信仰な者として、人から白い目で見られていたのです。
しかし、このミレニアムにはいり、時代は大きく変わって来ました。
不信仰な男、キリストの復活もろくに信じることのできない人々、カルトだか、バルトだか、
いう人々が、何と真正統神学なんて、トンでもない厚かましい名前をつける様になってきたのです。

かつてまともなクリスチャンが相手にもしなかった論理が教会の主流になりつつあるのです。
逆に正しい熱心な信仰を持つ人々は、原理主義だとか、バイブルカルトだとか
ほとんど、こじつけの様な方法で、ユダヤくさい人々、及び愚かな追随者により非難されています。
進化論は科学的(ということは創世記は神話)だなどとマトモな信仰を持っていない不信仰なじいさん、某獣法皇は非難されることなく、逆にこの様なトンでも教会との合同、エキュメニカルは、賛同されています。
聖書の原則を見るなら、かつて主は不信の国北イスラエルとの一致、合同を決して、ユダ、
みこころの民には命じませんでした。
逆に汚れた者に触れるなということが聖書の主の命令なので、マリヤ悪霊崇拝に興じる
カソリックとプロテスタントの合同など、みこころがあるはずないのですが、
しかし、この正しい声はクリスチャンのどこからも出てきません。

そう、神の前に善は、今は悪といわれ、神の前に悪は、本日善といわれているのです。

”5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。”

イエスは彼らの心がかたくなであることを嘆きました。
ここで知らなければならないことは、この時のパリサイ人には、自分達が
神の教えからずれている、間違っているという認識、疑いはこれっぽちもなかったことです。
逆に彼らは自分達は神の義を行っている、神のために行動していると思い込んでいました。

彼らはその当時彼らに対して与えられた教えに忠実であり、彼らの理解、聖書理解に基づいて、
このイエスを判断しました。そして、..悲しむべきは、その理解は全く神の考え、方法、
正義とはずれており、彼らは180度反対のことを信じ、おこなっていたのです。

私は何をいいたいのか?そう、同じことが終末の日にも起きるはずなのです。
この時代における教会の教えに対して100%忠実であり、それなのに、否そうであるため、
全く間違えてしまう人々があらわれるはずです。否、多くの人がその道を歩むでしょう。
しかし、その結論は善と悪の逆転です。
 
 
 
 

私の確信が間違えでなければ、もうこの逆転の時代はすでに始まっています。
キリスト教会においてもまずます、逆転現象が起きて来るでしょう。
今まで正しいと信じ、忠実に行ってきたことがらが間違いだ、カルトだといわれる日です。
1/10献金を忠実に行うことは、ずっと正しいことと教えられてきたのに、それをもとに
カルト的であると非難される日です。もう既にユダヤらしい人々がそんな非難を始めています。

そして、主イエスを一番、この方のみに頼ることは聖徒の中で、賞賛されてきたのに、
今度は何と、イエスのみに頼る人をJesus onlyであり、「ワンネス」という名前のカルトだ、三位一体を否定するものだなんていう呆れた
トンデモナイ非難をするこれもユダヤらしい人々が現れています。
しかし、さてどうするのか?カルトといわれたくないので、我々はもうイエスとはいわないのか?

馬鹿なことをいってはいけません。今さらユダヤお得意のカルト非難などに踊らされてどうするのですか。そんなことに振り回されず、かつて主がいわれた様に、非難があろうが、なかろうが今日も明日も次の日も我々は進んでいくべきではないのでしょうか。

この時、これらパリサイ人の全ての非難を理解した上で、しかし、
神のみこころに従って、イエスは、この人の手をいやしたことを忘れてはいけません。
教会は変わり、神の民も残念ながら、変質し、かつては善、正しいとされたこと、
人をいやし、主に忠実、聖書に忠実である、まさにそのことをもって非難される日が
来るでしょうが、しかし、主につく者はしゅくしゅくとして、歩むべき道を歩むべきです。
今さら、ひよこひよこ道を曲げるべきではありません。

欧米の獣神学を日本のキリスト教会に伝え、伝搬することで飯を食っている、
神学校の教師を始めとする愚か者のたわごとを真に受けるべきではありません。
 

”6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。”

神が与えた祝福である安息日、まさにその日に彼らパリサイ人たちは「イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。」ことが書かれています。
そう、この日は祝福というより、呪いの日、また善を悪と変え、正しい者を滅ぼす日として
用いられてしまったのです。

同じことが7つ目の日、7つ目のミレニアムにも成就するのでしょう。
今、この7つ目のミレニアムに改めて見渡せば、「イエスを葬り去る」ための企みはあらゆる形で実現しつつあります。

NIVを始めとする怪しい英語聖書はますます怪しいものとなり、悲しいいかな、
日本の聖書も若干タイムラグはあるものの、忠実にその「反逆」の道を進んでいます。
そして、日本のクリスチャンは誰もそんな事実さえ知りません。

そのことを語る目の開けた人、また勇気のあるクリスチャンがどこにもいないからでしょうか。
 
 

NIV訳はイエスの神性を否定する訳を打ち出しており、
また、TNIV訳はフェミニスト神学に譲歩した(ギリシャ語原文にない)
両性具有のイエスというとんでもない方向へ道を歩みだしています。

繰り返しますが、かつて幸いたるべき、安息日、7日目の日が
逆転し、善を悪と呼ぶ日となってしまったことは、今、私達の目の
前で成就していることを知るべきです。

この様な時代にあってもこの方に忠実な者にみこころがあることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
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