NO.427 王権はユダを離れず


”テキスト:創世記49:1 ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。
 

8 ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。
10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
11 彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。
12 その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。”

本日は、「王権はユダを離れず」という題で終末の日におけるユダ族の子孫の特別な使命、働きに
ついて見ていきたいと思います。

ユダ族の子孫とは勿論、セム族に属する人々、黙示録に書かれている、
終末の日に「日の上がる方」から、起きてくる人々のことであり、今、中東で、パレスチナ人を
虐殺し続けている悪魔的な民のことではありません。
こんな人々がアブラハムの子孫の様に見える日本のある種の人々は、「白が黄色」に見える色盲であり、
「中東の彼らが終末の日に神の働きの中心になる」なんて理解している人々は、聖書が正しく読めない、
誤読する盲人、穴に落ち込む解説者に過ぎず、彼らの愚かな論議は、まともに考慮すべきことがらではありません。
この視点に沿ってテキストを見ていきましょう。

”1 ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。”

この日、ヤコブは、その子供達を呼び、12部族の未来に関して預言を行いました。
これは、彼の最後のことば、遺言でもあります。その預言は、いつを指すのか?
それは、ここに明らかに書かれているように、「終わりの日に、あなたがたに起こること」なのです。

それで、もしアジアにこのイスラエル、ヤコブの12部族の子孫が住んでいるなら、この預言は、
これらの国の終末の状態を前もって語ったものだということがいえます。


8 ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。”

彼、ヤコブの預言はイスラエル12部族全てに関する個々の預言ですが、本日は、ユダに関する預言のみとりあげましょう。
ユダは現在のどの民族、どの国に対応するのかといえば、何度か書いている様に、この国、日本こそが、
それに対応している様に思えます。
何故か?それは、何度も繰り返すようにこの国にこそ、聖書が語るユダのあらゆる特徴があるからです。
特徴?すなわち、ダビデの王族の系統である可能性がもっとも高い、世界で唯一紀元前から続いている、万世一系の天皇家、またエルサレム(平安の意味)と同じ名前の日本の都、平安京、平城京、
さらにエルサレムの神殿と同じ構造の日本の神社、またさらに神社に鎮座するユダのシンボル、獅子の像(狛犬)等です。

兄弟たちはあなたをたたえ」

兄弟たちはあなたをたたえということです。ですから、イスラエル12部族がアジアに来ているなら、
この国ユダは、アジアにおいて、抜きん出た国、皆の感嘆のまととなる国であることが、
想像できます。

アジアで抜きん出た国とはどこか?
偏見なく、客観的に考えるなら、日本こそアジアで抜きん出た国であることは、
多くの人が認めるところです。

政治的には、アジアで唯一のサミット参加国であり、またその経済力は、ヨーロッパのドイツ、イギリス、フランス等の国々を
凌駕しています。軍事的なことをいうなら、第2次大戦前、アジアの多くの国は
欧米の植民地になっていました。その時、アジアでほとんど唯一の独立国、日本の
活躍、戦いを通して、これらの国々は、植民地からの独立を果たしたのです。
また、その製造技術のことをいうなら、日本の国が技術のどの分野においてもトップクラスであることをいうのに多くのことばは必要ありません。テレビ、家電、自動車、鉄鋼、半導体、コンピューター、携帯電話、あらゆる分野で、ナンバーワンに上り詰めています。

ですからこのことばから考えてみても、聖書でいう「ユダ」国とは実は日本であると考えることは、
無理な解釈でもみことばの曲解でもありません。

「あなたの手は敵のうなじの上にあり」

さて、ユダの特色は、獅子ということであり、獅子の特徴は、百獣の王、戦いに
勝つ動物であるということです。
ですから、ユダの国がもし、アジアにあるなら、その国は戦い、戦争と関係のある国であり、しかも
獅子の様に戦いに勝つ国であるはずです。

さて、アジアの国の歴史を客観的に考えるなら、日本ほどこの預言に
ぴったりの国はありません。
ちなみに他の国を考えてみましょう。韓国はどうか?
韓国の歴史は、他の國に侵略される歴史であり、決して獅子の様ではありません。
もちろん、それが悪いというのではありませんが、ただ、このみことばのいう「獅子」との
特色はこの國にはないといっているのです。
中国はどうか?かつて中国は「眠れる獅子」といわれましたが、後で、そうでもないことがわかりました。

中国の近代の歴史もイギリスとのアヘン戦争を始めやはり他国に侵略される歴史です。他の東南アジアの
国々も同じく欧米の植民地の歴史が長いのです。
しかし、アジアの抜きん出た國、日本においては、その歴史が異なります。
日本が鎖国から出て、世界の歴史に躍り出たほんの百数十年前よりこのかた、この国の歴史は、
アジアを属国とし、虐げる敵、欧米に追い付き、そして追いこす歴史だったのです。
日清の戦いに勝ち、そして、この国は、当時そして今でも世界1大きな国、ロシアを戦いで破ってしまったのです。まさにこのことば、「あなたの手は敵のうなじの上にあり」とはこの国において成就しています。

”9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。”

ユダ族のシンボルはここに書いてあるように、獅子であり、百獣の王、ライオンです。これは、
日本各地の神社に見られるものです。(狛犬)
獅子は戦いに勝つ動物であり、この国、日本の国の歴史も戦いにおいて勝利に勝利を重ねる歴史であることを思い出しましょう。

かつての日、あれは鎌倉時代、世界は、蒙古の恐怖におびえていました。
どう猛な蒙古の軍隊の襲来にヨーロッパ各国は、悩まされ、おびえていたのです。
さて、このどう猛な蒙古が、日本にも攻めてくることがわかりました。蒙古の使者が鎌倉幕府にも遣わされ、降参することを命じたのです。それでどうしたのか?日本はすぐに降参したのか?
ここが日本の獅子たるゆえんですが、その当時、時の執権法条時宗は、蒙古の使者を切って捨て、
この国が臆病な国でなく、獅子の国であることを世界に表明しました。
まだ若き20代の執権時宗のうちにも、この国の人々の内に脈々と流れる「獅子」の血が
たぎっており、勝算や、彼我の軍隊の差を考慮するより、獅子の国の誇りを選ぶことにしたのです。

さて、使者を切られてしまった、当時の世界最強の強国、蒙古です。使者を切られてそれで、蒙古は収まるのか?収まるわけはなく、何千という船をつらね、彼らは東の小国を席巻すべく押し寄せてきました。
それでどうなったのか?その後のことは、歴史に詳しいのですが、2度に渡る、彼らの蒙古襲来は、
不思議な神風とともに、獅子の国、日本の勝利に終わったのです。時は鎌倉時代、あの陰惨な、豊臣、徳川のキリシタン迫害が始まる前、この国が神の裁きを受ける国として定められる前のことです。

さて、これはこの世のことですが、この国のクリスチャンは、しかるべき時に、「獅子」として、
世界のキリスト教会に登場する日があることを知るべきです。そして、その日は、私の理解が
正しければとても近いのです。

”わが子よ。あなたは獲物によって成長する。”

近代における日本の勝利や、成長の原則は、このことばの通り、「敵の獲物により」成長することです。
敵とは?たとえば、戦前においては、アジアの同胞を奴隷化し、植民地にする、欧米の征服者のことでしょうか。

アジアの同胞が軒並み植民地にされている時代に鎖国の門を解いた、獅子の国、日本は
ただちに何をしたか?若き日本のリーダー達は、富国強兵の旗印の下に欧米の科学、軍事を吸収し、
自国のものにすることにやっきとなったのです。

そして、開国以来数十年でそれらを自分のものとしてしまった、この獅子の国は、
あの大国ロシアとの戦いで、その技術力を遺憾なく発揮しました。日本がロシアに勝利し得たその理由は、偶然や幸運のみによるものでなく、優秀な機関銃を使用し、また優秀な軍艦、大砲を作る
技術によったのです。それをもって、彼らは世界最強といわれたコサック兵を破り、バルチック艦隊を粉砕したのです。まさに「あなたは獲物によって成長する」とのことばはこの国において成就しました。

戦後、日本は、平和の国になりましたが、しかし、このことば、「あなたは獲物によって成長する」とのことばは、さらに成就し続けました。日本は、自国のものではない技術である鉄鋼、自動車、半導体等の技術で、欧米各国の敵のお株を奪いつづけ、世界のトップを走り続けました。
今でもコンピューター、携帯電話等、多くの「当初は自国のものではなかった技術」でトップを
とりつづけています。このことばは今でも成就し続けているのです。

sて、これらはこの世のことに過ぎませんが、いずれ、このことばは、霊的な面でも信仰的な面でも起きてくると思われます。キリスト教は欧米において、発達、広がりましたが、いずれこの
国が欧米のそれらのキリスト教の伝統、知識を下敷きにした上で、さらに
この面においてもトップに出るのではないかと思われるのです。
信仰の世界にトップもびりもないようですが、要はこの国が主の用に大いに持ちいられる日が来るのではないかと思われるのです。

”雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。”

うずくまる獅子、身を伏せる獅子についてここでは書いてあります。
このことばも暗示的です。うずくまる、伏せるとは、攻撃している姿でもなく、また
大いに認められたり、自分の存在を多くの人に誇示して姿でもありません。
逆にうずくまるのは、身を隠す様であり、また、伏せるのは、小さく、低くなることです。
彼は獅子であり、百獣の王でありながら、身を小さく、伏せるというのです。
そうですね、
最近の日本なんかまさにこのことばの通りかもしれません。イラクに駐留した、日本の自衛隊は、
オランダ軍の護衛の下で色々と支援活動を行ったとのことです。しかし、
お嬢さんじゃあるまいし、他の国に掩護される「軍隊」なんて聞いたことがありません。

確かにこの国はうずくまり、低くなりました。かつて、アジアで白人の軍隊をけちらした獅子の国の軍人のなれの果てとは到底思えません。
また、南京第虐殺の大嘘を始め、この国をおとしめ、プライドを落とし、
自信を失わせることがら、情報には事欠きません。
この何十年かこの国に関して、うずくまり、伏せる時代が続いたのです。

しかし、「雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり」とのことばを覚えてください。
たとえ、低くなったとしてもうずくまったとしてもこの国はそれでも「獅子」の国なのです。
腐っても鯛とのことばがありますが、この国はどんなにどんぞこでもやはり獅子の血が流れており、その生まれは争えないのです。

かつて眠れる獅子ということばがありましたが、この国も獅子の様に、また眠れる獅子の様にうずくまった時代が続いたのです。しかし、いつまでもそんな時代が続くわけではありません。
そろそろ眠ったふり、死んだふりは中止して、獅子の
働きに帰るときが近付いています。

さて、これは信仰の面でもいえるかもしれません。
長い間、この国においては、「うずくまり、身を伏せる」すなわち、信仰の停滞、
宣教の停滞が続いていました。しかし、それは、この国が悪魔の国、徹底して神の呪われた国だからではありません。かえってこの国は獅子の国であり、いずれ、あるべきポジションにこの国はつきます。
眠る獅子は、役に立ちませんが、しかし、獅子がひとたび目覚めるなら、全ての他の動物にまさり、
そのトップにつくでしょう。それは、獅子の血がなせるものであり、獅子の生まれがなせることです。
同じ意味あいでこの国が長い信仰の眠りからさめたその日こそ、世界のキリスト教会のリーダーと
なる日なのです。
 
 
 
 

”10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。”

王権はユダを離れずという時、その第一義は、ダビデ王朝の流れ、子孫たる王族が、このユダ族を離れることはないという意味あいです。逆にいうと、もし世界のどこかの国が自分こそ、このユダ族の末裔だというなら、
その国は必ず、ヂビデ以来継続する王朝を擁していなければならないことになります。
ダビデ以来、ダビデの血が継続している王朝というと、現実問題大変長い歴史を持つ王朝でなければなりません。ダビデ王朝は14代続き、その最後の王は、今から、2600年前バビロン捕囚時、歴史から
消えました。
 

またダビデ王朝の王権に関しては、「王の子が王となる」すなわち、同じ家系が継続することを定められています。
ですから、もし、今でもこの王朝が続いているなら、2600年以上の長い間、万世一系の王朝でなければならないのです。
そんな王朝が世界のどこにあるのか?
アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、中国、ソ連どこにも存在しません。
アブラハムの子孫が住んでいることになっている、中東のイスラエル国にももちろん存在しません。

しかし、「王権はユダを離れず」と明確に書いてあるのですから、彼らが本当に
(偽物でなく)本当のユダヤ人なら、またその様に主張するのなら、このダビデ以来絶えることのない、王族を
持っていなければならないのですが、実際はそんな王族は彼らの間には存在しないのです。
これは、ゆゆしき問題、彼らの血筋に疑いを持たせるには十分な問題なのですが、怪しい人々である
メシヤニックジュー及び聖書の記述などどうでもいい、何しろ、メシヤニックジューのいうことが全て正しいというがごとくカンちがいしてしまっている、愚かな日本の和製シオニスト、
追随者には問題とはならないようです。

さて、このように聖書の記述を気にとめない愚か者はともかく、我々神のことばに忠実な人々、
「王権はユダを離れず」とのことばを真摯に受け止める人々にとっては、驚くべき国が実は、あります。
それは、紀元は2600年として、2600年以上もの長い間万世一系の王族を誇る、
東の不思議な島国のことです。
すなわち、セムの血筋、ダビデの王族の血筋に連なる可能性のある世界唯一の王族を擁する国の話です。
それは、他でもないこの日本であり、われらの天皇家のことです。

さて、万世一系に関連して、我々クリスチャンが知らなければならないことがあります。
それは、昨今ユダヤ及びユダヤの属臣になったかの様な日本の政治家が何とか無理にでも押し進めようとしている、「女性天皇」の誕生です。これは、実は由々しき問題、日本の万世一系を断絶させようとの
試みであることを知ってください。

女性が天皇となり、他の男性と結婚し、その子供を生むなら、天皇家の万世一系の血筋は断たれ、
相手側の男性の血筋となってしまうのです。
かつて、日本にも持統天皇等、女性天皇が存在した時代はありましたが、
彼女達は次の男性天皇が立つまでのつなぎであり、天皇の位にいる間は、独身として暮らし、結婚することはありませんでした。

”統治者の杖はその足の間を離れることはない。”

統治者、杖とのことばは、指導する者、リーダーとなるという意味あいでしょうか。
これは、日本の歴史の中で成就しています。

戦前、日本の指導の下で、アジアの国、台湾、韓国等が発展したことは歴史の事実です。
またアジアの共栄、すなわち、大東亜の旗印を掲げてこの国が戦った大東亜戦争後、日本軍の残留兵の支援の下で、アジアの植民地各国は、支配階級である、白人支配に立ち向かい、それを追放し、
独立を勝ち取ったのです。この国こそ、「統治」の国であり、また「杖」すなわち、
教師の役割を果たす国なのです。
また今でも日本の教師的な役割は大きく、たとえば、中国の工場では、日本の技術者の指導の下で、
飛躍的な発展をとげています。

しかし、これらのことはこの世のことであり、いずれこのことばは信仰の面において
成就すると思われます。すなわち、終末のキリスト教回復、復興の働きの中で、「統治者の杖」すなわち、
ユダの末裔である日本が指導的な立場に立つことはこれらのみことばから、大いに予想できることがらなのです。

”ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。”

シロということばの意味あいは辞書を調べても何だかよく意味がわかりません。
暴君というような訳もありますが、まあ、君主、治めることに関することばの様です。
君主に関することばと理解するなら、このことばは、主イエスの時、成就しています。
主の主、王の王であるイエスに「国々の民は」従ったからです。
しかし、このことばは、2重の意味あいがあると理解するなら、終末の日のキリスト教の
回復は、ユダの国の末裔であるこの国から起き、指導者もこの国から起きるということなのでしょう。

実はユダの部族から、終末の日の指導者が出てくることは多くの聖書の箇所が預言しています。以下の
通りです。

”1歴代5:2「ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからである。」

ゼカリヤ10:3「3 万軍の主はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる。
4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。
5 道ばたの泥を踏みつける勇士のようになって、彼らは戦場で戦う。主が彼らとともにおられるからだ。馬に乗る者どもは恥を見る。」”
 
 

ですから、日本から信仰の指導的な人々があらわれ、主につく世界の「国々の民は彼に従う」でしょう。

”11 彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。”

ここでは、ぶどうのこと、ぶどう酒のことが書かれています。
これは、何度もいうように、聖霊のたとえと思われます。ですから、このユダの国は、
聖霊に関することで大きな働きをするのです。

「彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ」

ぶどうの木は、ぶどう酒のもとになります。ですから、このユダの末裔、
日本こそ、終末の日に聖霊の油の大傾注をもたらす国といえるでしょう。
黙示録に書かれている、イスラエル12部族、その筆頭のユダを始めとする部族、14万4千人
が聖霊の印を受けるとのことばは、このことばとも符合します。

「彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。」

着物は裸の恥を隠すものとして、「義」をたとえているのでしょうか。「着物を、ぶどう酒で洗い」とは要するに聖霊の働きの中で、義を得ると言うことでしょうか。
さあ、その時がやってきます。今は情けない国、不倫と裏切りと不実、盗み、詐欺が横行するこの
国が、義に目覚める日がきます。
人の目には、そんな日が来るようには思えないのですが、しかし、主がそのみことばで語られたのなら、その日はきっと来ることを私達は知っています。

”12 その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。”

その目、見通す目は回復し、神を見ること、何が正しいのかを理解する目が回復します。

「その歯は乳によって白い。」

乳は、ヘブル書に「みことばの乳」と書いてあるように、みことばのたとえです。
ですから、正しいみことば、まっすぐなみことばもこのユダの末裔により、回復されます。

まとめますが、これらの節に書かれている様に、イスラエル12部族の中で、ユダの役割は、
非常に大きく、前部族の筆頭、中心であることを私達は知ります。
教会時代でいうなら、教会の働きの鍵、キーポイントなのです。
そして繰り返しますが、このユダは他でもないこの日本である可能性は大きく、非常に大きいのです。
そんなわけで、この国のマイノリテイ、主につくクリスチャンの役割は大きいことがわかります。
私達が正しく主につくなら、私達はこの国に対して、主がもたれている、大きな計画のその
一部にあずかるようになるでしょう。

しかし、道をはずすなら.....。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
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