NO.420 セムの天幕


”テキスト:創世記9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。”
24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」”

本日は「セムの天幕」という題でメッセージしたいと思います。
かつて、ノアがヤペテに対して預言した「セムの天幕に住まわせる」とのことばの意味あいを見ていきたいと思います。
 
 

始めにノアに3人の息子がいて、その名前は、 セム、ハム、ヤペテであることは、
よく知られていることです。そして、この3人こそ、全世界の全ての民族の基いなのです。
以下の様に書かれています。

”18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。”

さて、世界の民族は3つに分かれますが、ここでいう、セムは黄色人種の先祖、
ハムは黒色人種の先祖、ヤペテは白色人種の先祖です。
今回のテキストはいわば、これら3つの民族の位置関係、つながりを示すものといえるでしょうか。
 

”24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」”

さて、3人のうち、ハムの息子カナンはノアから呪いを受けてしまいました。
ハムのしたことが、父を恥ずかしめることだったからです。
さて、このことは、カナンの行く末を決めてしまいました。
彼は、そして彼の子孫は、自分の兄弟のしもべのしもべとなってしまったからです。

それで、ここは白人種、黄色人種、黒色人種これらの関係を書き、そして、特にカナン、黒人種の子孫に関しては、兄弟のしもべとなる、すなわち、白人や黄色人種のしもべとなることが語られ、
予言されているのです。

さて、このことの是非はともかく、このことが実現したのかどうかを見てみましょう。

歴史を見るなら、このことは実現したことを我々は見ます。
黒人奴隷ということばがあります。黒人は白人に奴隷にされ、しもべとされたのです。
たとえば、あの新大陸アメリカにおいては何百万人、何千万人という奴隷がアフリカから、
奴隷船により、連れて来られました。

同じ人間どうしなのに、白人が黒人を捕らえて、労働に使役させるということが
行われたのです。
このことは、勿論良いことではありません。しかし、聖書で書かれたことばは、
預言的に成就したことを私達は見るのです。
 

”26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。”

さて、ここでは、セムについて書かれています。
セムとは、何か、これは黄色人種なのです。
そして、このセムについて「セムの神」と呼ばれています。
このことばのいうことは重いと思われます。

かつて、主は、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれました。
私達は、このことばの意味あいを知っています。
アブラハムも、イサクも、またヤコブも神とともに「地上の寄留者」として
歩んだ者であり、神は彼等の神と呼ばれることを恥としませんでした。
神はしかし、「パロの神」とは呼ばれませんでした。
パロはエジプトで神の民を虐げました。彼は悪王です。
また、神は、バラクの神とは呼ばれませんでした。彼は、かつてバラムにより、
イスラエルを呪おうとしました。

さてしかし、神は「セムの神」と呼ばれることをよしとしました。
ハム、ヤペテの神とは呼ばれないのに、「セムの神」と呼ばれることは、
よしとされたのです。ですから、セム、ハム、ヤペテ3兄弟、また3民族の中で、
セムにポイントがあることがわかります。
色に関していうなら、黄色人種、すなわち、アジアの人々にみこころがあるのです。

「アブラハムの神」と呼ばれた彼、アブラハムは神とともに歩むことにより、多くの奇跡と祝福を受けて来ました。
同じ意味あいで、「セムの神」と呼ばれる、セムに神とともなることによる、
祝福と奇跡を期待できることがわかります。
セムということばの意味あいは、「名前」という意味があり、神の「名前」は、彼セム
の上に帰せられることがわかります。
このことは確かにセム アブラハム、イサク、ヤコブの上に、またイスラエルの民の上に
成就し、彼等の上には、神の「名前」がきせられ、彼等は神による、栄光、祝福を
受けてきました。

”27 神がヤペテを広げ、(神はヤペテを大いならしめ:口語訳)セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」”
 

かつての日、アブラハム、イサク、ヤコブの時、またイスラエル民族の歴史において、
神は、「セムの神」であることを誰の目にも明らかに示し、彼等は神の民であることの
祝福を表して来たのですが、しかし、その状態が、変化する日がきました。
それは、あの日、セム、イスラエルの王として来られたイエスキリストを彼等が自分の
手で十字架につけた日です。
それ以来、栄光はセム族を去りました。

セムが住む地、アジアへみことばを伝えることをパウロに対して、聖霊は「禁じた」のです。
結果として、セム族の住む地、アジアは福音から懸け離れた地、恵みから遠い地になってしまいました。
東に住む、セム族、たとえば日本では、もうかつて持っていた、神の律法もしきたりも、
礼拝も消え、自分達がいったい誰なのか、それこそ、民族として、記憶喪失にかかった様な状態になってしまいました。

しかし、見る人が見るなら、この国には明らかに聖書の民の風習、慣習が残っています。
聖書に記された神殿とそっくりの構造の神社、また、過ぎこしの祭りのしきたりとそっくりな
日本の正月の風習等です。

人が記憶喪失にかかり、自分が誰であるかわからなくなったとしても、着ている着物、
また持っている手帳に書かれている名前等で、どこの誰だかわかります。
同じ意味あいでこの国、
記憶喪失国、日本の持ち物、風習で、この国がどこにルーツを持っているのかは、明らかになるのです。
聖書とその記述に詳しい人々は明らかにこの国に聖書と同じ習慣、風俗を発見します。

さて、それでは、私達は、今、こうきかなければなりません。もうかつての
ことば、「セムの神」とのことばは、無効になってしまったのでしょうか?

その答えは、パウロと同じく、「決してそんなことはありません」というものです。
多くの聖書のことばは、終末の時に開花し、成就します。
この「セムの神」ということばもこれから成就するようになるでしょう。
私の想像が間違えでなければ、今の世代はこのことを見るようになるでしょう。

”神がヤペテを広げ、(神はヤペテを大いならしめ:口語訳)”

さて、神はヤペテ、白人種に関して、大いなるものとすることを約束しました。
この預言、約束は成就したでしょうか?
これは、成就しました。

白人は、自分達のいた、ヨーロッパにとどまらず、アフリカ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、アジアを征服し、自分の植民地とし、その国を属国としたのです。
研究者によれば、第2次大戦前、世界の地域のほんの5%を占めるヨーロッパ白人が何と世界の4/5の地域を支配するようになったのです。この神のことばはまことに成就しました。
彼等、白人は、3つの人種の中でまさに大きな位置を占めるようになったのです。

さて、それでは我々はきかなければなりません。彼等ヤペテ、白人種が大いなるものとなった、
その理由は何か?
その理由はセム族、イスラエル民族が追放、死に渡したイエスキリストを
彼等が受け入れたからです。かつて、アブラハムの子孫(イエスキリストのこと)に関していわれた
「あなたを祝する者を私は祝する」とのことばは、ヤペテの上に成就したのです。

かつて、アジアで福音を伝えることを聖霊に禁じられたパウロがヨーロッパで福音をのべつたえて以来、
このイエスを信じることにともなう祝福はヤペテの子孫、 ヨーロッパの末裔である白人の上に成就したのです。

” 神がヤペテを広げ、(神はヤペテを大いならしめ:口語訳)セムの天幕に住まわせるように”

さて、このことばです。セムの天幕ということを考えてみましょう。
天幕ということばを考えるときペテロの手紙に警告されているように、私的解釈すなわち、
そのことばのみ、テキストのみで考えず、同じことばが使われている他の箇所を参照していきましょう。すなわち、検索するのです。天幕ということばは例えば以下で使用されています。

出26:36「天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で刺繍をした幕を作る。」

ここでいう天幕とは、すなわち、会見の天幕、神の住まいです。
それでここでいわれていることはこの様なことでしょうか。
かつて、神が「セムの神」といわれた様に、またセム族である、イスラエルの子孫が
代々神の幕屋、天幕を持ち運んだ様に本来天幕、すなわち、神の臨在、またそれに伴う祝福は、
セムのものだったのです。
だからこそ、セムの天幕と呼ばれているのです。
しかし、不都合があり、セムは自分の天幕を放棄し、その務めを捨て去りました。
それで、その代わりにヤペテがその天幕に住むようになったのです。

かつてセムの子孫である、イスラエル民族がイエスキリストを排除し、彼を殺した時、
その時、栄光はイスラエルを去り、神の臨在は彼等のもとを離れたことを知るべきです。
栄光はセムの子孫であるイスラエルを去り、彼等はその天幕から追い出されました。
この天幕、すなわち、神の家はもとは、セムのものだったのですが、しかし、彼らは自ら、それにふさわしくない者となり、結果として、彼らの天幕にヤペテが住む様になったのです。
その結果、ヤペテ、白人種は大いなるものとなり、神の祝福の中で、政治、経済、軍事、科学と
栄え、地上の支配者の様な立場につきました。
このことは歴史が証明します。

しかし、再度いいますが、聖書は神について「セムの神」と書き、またその天幕、神の家に関しても、
「セムの天幕」と書いています。これを通して聖書は何を語ろうとしているのか?
それは、今の白人支配とは、一時的なものであり、またキリスト教、聖書の教えの本場が
白人種、西洋にあるという考えも間違ったものであり、キリスト教の本場はセム、アジアにあり、
福音がアジアに戻った時、その時、キリスト教の本格的な働きは始まるのだということなのです。

ヤペテ、白人種は、あらゆるものをあたかも始めから自分達のものであるように所有しています。
聖書もその教えも神の力も..。さらに驚くべきことは、旧約聖書に記されているユダヤ人、も自分達、白人、ヤペテだとさえ主張しているのです。

今、ユダヤ人と自称し、ニューヨークやイスラエルあたりに住む、色の白い、
「ユダヤ人だと自称する」人々のことです。
しかし、くり返しますが、セム族は黄色人種であり、彼らは黙示録にいう「ユダヤ人だと嘘をつく
悪魔礼拝者」にすぎません。彼等は確かにセム「語」族ではあるかもしれませんが、
セム族ではありません。

一方、自分の天幕を貸し、そしてあまりにも長い年月が経ったので、それが自分のものであることさえ、
忘れてしまった哀れなセムもいつか自分は何ものだか気付く時が来ます。

今までの「ここはどこ、私は誰」状態から抜け出す日が来るのです。
それは全てのみことばが成就する、このセムへの預言も成就する終末の日のことです。
その日、背教が末期的状態にいたった、白人種、西洋から、福音はアジアに移って来ます。
そう、ここでも「後なる者は先」になるのです。

ここで一言、申し上げるなら、聖書はこの様に聖書の神は「セムの神」また、キリストの教会は、「セムの天幕=教会」であることを強調しています。ですから、聖書のことばが本当なら、福音、キリスト教の本場、本家は
アジア、また何と日本なのです(?!)

ですから、いつまでも西洋の腐れ切った冒涜神学をあの西洋の果て、アメリカで
学ぶ時代ではないことがわかります。あの獣の国から冒涜神学や、冒涜悪霊を持ち帰る愚か者が日本の神学校や、教会で、リードする時代は急速に終わりつつあります。

”カナンは彼らのしもべとなれ”

さて、この短いいくつかの節の中で、何度も「カナンは彼らのしもべとなれ」とのことばが語られています。
このことの意味あいを考えてみましょう。

カナンということばの意味あいは「低い土地」、そしてその語源は、「低く遜る」という意味あいがあります。このことは、3つの人種のうち、黒人の未来を預言したものと考えられます。
しかし、多くの聖書のことばがそうである様に、もう一つの意味あいがある様にも思えます。

それは、へりくだってヤペテすなわち、白人種に仕え、また遜ってセムすなわち、黄色人種に仕える方のことです。この方により、ヤペテ、すなわち、白人種の国への福音は成功しました。
同じく、終末の日のセム、すなわち、黄色人種が福音に触れることも成就するでしょう。

このへり下る方、
かつてペテロや弟子達の足を洗い、今も我々に仕えている方によりこれらの預言は成就するのです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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