NO.419 再びヨセフと会うイスラエル


テキスト:創世記45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。
10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。
11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。
12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。
16 ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ。
17 パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、
18 あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』
19 あなたは命じなさい。『こうしなさい。子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。
20 家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから。』と。」
21 イスラエルの子らは、そのようにした。ヨセフはパロの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧をも与えた。
22 彼らすべてにめいめい晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚とを与えた。
23 父には次のような物を贈った。エジプトの最良の物を積んだ十頭のろば、それと穀物とパンと父の道中の食糧とを積んだ十頭の雌ろばであった。
24 こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」
25 彼らはこうしてエジプトから上って、カナンの地にはいり、彼らの父ヤコブのもとへ行った。
26 彼らは父に告げて言った。「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」しかし父はぼんやりしていた。彼らを信じることができなかったからである。
27 彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。
28 イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」”

本日は、「再びヨセフと会うイスラエル」という題でメッセージしたいと思います。

ヤコブすなわち、イスラエルはよく知られている通り、イスラエル民族の最初の先祖ですが、
彼はその生涯において、また親子関係において劇的な体験をします。
それは、一度はもう死んでしまった、いなくなってしまったと思われた
最愛の息子、ヨセフと再会したことです。
さて、この劇的な再会は、しかし、また将来起きることがらの預言ともいえると
思われます。

すなわち、終末の日のイスラエル、アジアに散らばるかつてのイスラエル12部族の末裔が、
もういなくなり、無縁と思っていた、息子ヨセフすなわち、イエスキリストと劇的な
再会を果たす、その日の予表とも思われるのです。このことを見ていきましょう。
順に見ていきます。

”1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。”

かつて自分を殺そうとし、穴に投げ込み、売った兄弟達に対して、ヨセフは見知らぬ者の
様にふるまっていました。彼はエジプト1の権力者となっていたのですが、自分が身内である弟のヨセフであることは、決してあかさなかったのです。
さて、これは、まさしく今の時代、成就していると思われます。
アジアに散らばる日本を始めとするかつてのイスラエルの子孫達が決して想像しないこと、心に思わないことがあります。
それは、あのイエスキリスト、西欧の宗教の祖であると思われている人物が、何と、
このアジアの同族の兄弟、同胞であるということです。
ヨセフは兄弟と再会してもしばらくの間、自分の身分をあかしませんでした。
同じ様にイエスキリストは長い間、このアジアの国々に対して、御自分の出自すなわち、
自分がアジアの民族と同じ血筋、血族であるということはあかしませんでした。

このことは神の主権と知恵の中で今に至るまで隠されて来たのです。
しかしその日が来ます。すなわち、イエスが自分の出自をアジアの民族に明かす日が来るのです。
それは上記節で書かれている「ヨセフが自分のことを兄弟達に明かした」日で予表される日ののことです。

”ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。”

このこと、ヨセフが兄弟に自分を明かしたことは、ひっそりと誰もいない時、行われました。
同じ様に、イエスがアジアの同胞に自分を明かす日もひっそりと来るのでしょう。


2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。”

ヨセフは声をあげて泣きました。兄弟との再会のため、感情があふれて来たのです。
同じく、これから、起きるアジアに散らばるイスラエルの子孫がキリストに再会することに
関しては、主の大きな思い、また強い期待があることを知るべきと思われます。

”3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。”

兄弟達は、今までエジプトの偉い宰相だとばかり思っていた、その人物が自分達の兄弟、ヨセフであることを知って、大きな驚きに包まれました。
同じくアジアの人々もあのイエスキリスト、西洋の宗教の教祖だとばかり思っていた人物が
何と自分達の同胞であることを知って大きく驚くことでしょう。

”4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。”

ここでヨセフは自分の兄弟に近寄る様にいいました。ヨセフがキリストの型だとするなら、
その日、終末の日、キリストはアジアにいる自分の兄弟、同族に対して、「自分に近寄る」様に
語るでしょう。何故なら、長い間、アジアの国々は、キリストから遠ざけられ、離されていたからです。
何故離されていたのか?それは、彼等イスラエルの民が自ら、キリストを拒否し、排除し、
あまつさえ、その命まで奪ったからです。

かつて伝道者パウロが「アジアへ福音を伝える」ことを聖霊により、とどめられたのは、
このことが理由です。
さて、それから長い長い時間が経ちました。2000年もの時が流れたのです。
そして、この時、再度、主はその同族を顧みようと思われたのです。

くり返す様ですが、全てのことは神により、始められ、神により、とどめられることを知らなければなりません。かつて、神の聖霊がアジアへ福音を伝えることを禁じた時、アジアはこの福音に
関して、全くうとく、何の関係もない、光もない国々となってしまいました。

しかし、ここにヨセフがその兄弟に語った、「私に近寄ってください」とのことばがあります。
かつて神により、キリストにより禁じられた福音、すなわち、キリストに近付くことは、
今同じく、神の許し、キリストの許しの中で開かれてきます。
否、この方が開かれるなら、このアジアへの福音の門は決して閉じることはないのです。

”5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。”

何でこんなことが許されたのか?
何故イスラエルの兄弟達は、自分の実の弟を殺そう、また穴に投げ込み、売り払うなどということを
行ってしまったのか?そのことに関して、ヨセフは、「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」といいます。
ここには神の計画と配慮があるのだというのです。
さて、このことは、今アジアに散らばるイスラエルの子孫にもいえます。
何故我々は他ならぬ救世主、キリストを排除してしまったのか?
その答えは、「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」とのことばです。すなわち、我らの同族であるキリストは前もって、神のもとに送られ、
今のこの終末の時代、我らを救い、我らの命を救うために送られたのだというのです。
そうです、ですから、これから、我々はキリストによる救いを見るようになるのです

”6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。”

「国中にききんがあったが」とのことです。ですから、これは前もって語られている終末の日の
7年にわたる、ききん、艱難の時代のことです。
「あなたがたのために残りの者をこの地に残し」とのことですが、終末の日は多くの者が惑わしに入る時であり、小数の残りの者にみこころがあります。その「残りのもの」をこのイスラエルの子孫、アジアに
いる人々の中から起こすということなのでしょう。
さらに「また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです」とのことです。
ですから、これから、世界に大いなる死の時代がやってきます。
何のために生きているのかその目的がわからない、心にやすらぎがない。
しかし、その時代にあってもこの東のイスラエルの子孫の国々は生きるのです。
すなわち神のことばに触れ、聖霊の力に触れることにより生きるのです。
神はこの終末の時代、この東の国々に真の命を与えるためにこのことがらを起こされたのだと
ヨセフはすなわちキリストはいっているのです。

”8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。”

このこと「ヨセフが前もってエジプトに送られ、そこで最も位の高い人となった」という不思議なことは、人というより、神から出たことでした。
これをとおして、兄弟達はききんから命を救われたのです。
同じく、
アジアに散らばるイスラエルの子孫がかつて、キリスト殺しの大罪を犯したという恐るべきことがらも、
それも神の配慮の中から出たことなのです。
これにより、アジアの人々は終末の日、命の糧に預かり、救いにあずかるのです。

かつてのヨセフは今や、「パロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者と」なっていました。同じくかつて我々の同胞、血肉であられたナザレのイエスは、今や、王の王、主の主となっておられます。

”9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。”

ここでヨセフは父イスラエルが自分のところに上って来るように語りました。
イスラエルはヨセフの父ですが、そしてまたイスラエル12部族、12兄弟全ての父です。
ですから、ここではイスラエル民族全てを代表しているともいえます。
後の日に同じくキリストはアジアに散らばるイスラエル民族全てに対して、「自分のところに上る様に」すなわち、道であるキリストをとおして神を知るように語るでしょう。そして、
それは、他ならぬ神であるキリストのことばなので、実現します。

”10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。”

ゴシェンとは、「側に引き寄せる」という意味があります。ですから、ここでは、イスラエルが ヨセフ
の側にいることについて書いてあるのです。これは、後の日にアジアに散らばるイスラエルの子孫がキリストの側近くに住むようになることの予表です。
同じクリスチャンであっても、キリストから遠い人とすぐ近くにいる人とがいることを知りましょう。
主イエスがおられた時、すぐ近くにいた人々の代表はあの12弟子です。彼等は、
この方が誰であるか理解し、そのみこころを行うことを実行したのです。彼等は神の
働きをにないました。
同じく、イスラエルの12部族の子孫であるアジアの人々は、その日、主の近くに住み、
かつての12弟子の様な働きをになうことを知りましょう。

”11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。
12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。”

「この私の口です」といいヨセフはかつての血肉であったそのまさにヨセフがここで
語っていることを強調しました。このことは予表であり、終末の日、
アジアのイスラエルの子孫は、かつて殺してしまった自分達の同胞であるそのキリストの口がまさに自分達に対して語られるのを見るようになるでしょう。

”13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。”

兄弟達はヨセフと抱擁をかわし、親しく語り合いました。ですから、その日、アジアに散らばるイスラエルの
子孫は、彼キリストと再会し、親しく語り合うようになることを知りましょう。
このことはもう起こり始めています。

”16 ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ。
17 パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、
18 あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』”

「エジプトの最良の地を与え」とは要するにキリスト教会におけるもっとも優れた
位置におきということ、また「、地の最も良い物を食べさせる。」とは要するに
もっともすばらしいみことばのメッセージ、パンを与えると言うことでしょう。
このことがアジアの国々に実現します。

”19 あなたは命じなさい。『こうしなさい。子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。”

ここでイスラエル、またイスラエルの一族郎党をヨセフのもとに運ぶために、「車」が与えられたことが描かれています。
車の意味あいは何でしょうか?

私が思うにこれは「人を運ぶもの」としての聖霊のたとえではないかと思います。
私達は遠いところへいくのに、人の力、人力だけでは、限界があります。
でも車に乗るなら、100キロでも200キロでも簡単に行くことができます。
さて、私達クリスチャンは、遠いところ、人の力ではとても達することのできない
場所、天のみくにへ行こうとするもの、罪のない神のみ前に行こうとするものであることを
思い出しましょう。
東京から大阪まで、歩いていくこともちょっと大変なことである様に否、それ以上に
私達が天のみくにに入ることは、難しい、不可能なことであることを知りましょう。
さて、この様に人力で行けないところへ行くことができる様にと、その日、
イスラエルの12部族の子孫に「車」が与えられることを覚えましょう。
車は私達が自力では決して入ることのできない「み国」へ導き入れる乗り物としての
聖霊のたとえです。

”20 家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから。』と。」”

この「家財に未練を残してはならない」とのことばも語りかけのあることばです。
私達がキリストの後にしたがって行こう、彼を信じて歩もうとする時、捨てなければならないことがら、
財産、名声、地位があるかもしれません。
しかし、それを惜しみ、家財に未練を残すなら、自分の地を去ることはできず、結果として、
ヨセフのもと、キリストのもとへ行くことはできません。
そう、だから、「家財に未練を残してはならない」のです。

”21 イスラエルの子らは、そのようにした。ヨセフはパロの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧をも与えた。
22 彼らすべてにめいめい晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚とを与えた。”

晴れ着は、何のたとえでしょう。着物は「裸の恥」、罪を隠すものという意味あいで、「義」、「正しさ」をあらわすのでしょうか。
ですから、この日、イスラエルの子孫の国々は、晴れ着を着せられた者、すなわち、義の衣を着たものとして、人の前に神の前に立つわけです。

”23 父には次のような物を贈った。エジプトの最良の物を積んだ十頭のろば、それと穀物とパンと父の道中の食糧とを積んだ十頭の雌ろばであった。
24 こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」
25 彼らはこうしてエジプトから上って、カナンの地にはいり、彼らの父ヤコブのもとへ行った。
26 彼らは父に告げて言った。「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」しかし父はぼんやりしていた。彼らを信じることができなかったからである。”

父イスラエルは、死んだはずのわが子、ヨセフは実はまだ生きているのだと告げられました。
しかし、父はそのことばを信じることができませんでした。父イスラエルはその日、
終末の日におけるアジアに散らばるイスラエル12部族を総称するたとえです。
その日、これらのアジアの国々に、「かつて十字架につけられたナザレのイエスは実はアジアの
民族の兄弟、血族である」ことが告げられます。しかし、多くのイスラエルの子孫は、
それを信じることができないでしょう。

”27 彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。
28 イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」”

さて、今まで信じられなかった父イスラエルはヨセフの車を見た時、態度が変わりました。
彼はこのことを信じることができたのです。
車は何のたとえか?前に書いた様に聖霊のたとえでしょう。
ですから、その日、イスラエル12部族の子孫は常識ではとても信じられないこのことを
聖霊により啓示され、悟るのです。

さあ、この日は近付きつつあります。もうすでに韓国や中国ではこれらのことばは成就しつつあります。ですから、キリストから最も遠い国、東の国、ユダに連なると思われる島国が眠りからさめ、真実を知る日も近付いているのではないのでしょうか。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー
 
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